推理小説・二〇一六年
香山二三郎
二〇一六年の出版界も低迷が続いた。出版科学研究所によれば、出版物の販売額は前年比三・四%減で一二年連続のマイナス。ただし書籍は石原慎太郎『天才』(幻冬舎)を始めとするベストセラーのおかげで〇・七%マイナスの微減に留まった。電子書籍も前年比一三・二%増と健闘したし、暗い話題ばかりではない。ミステリーのジャンルでも、横山秀夫のベストセラー『64(ロクヨン)』(文藝春秋)がCWA(英国推理作家協会)賞のインターナショナル・ダガー(翻訳部門賞)の候補に選ばれるという嬉しい話題があった。惜しくも受賞は逃したが(受賞作はピエール・ルメートル『天国でまた会おう』)、桐野夏生、東野圭吾のMWA(アメリカ探偵作家クラブ)賞ノミネートや中村文則のデイビッド・グーディス賞受賞に続く快挙であり、日本ミステリーの国際進出も着々と進んでいると思いたい。
一六年の作品をまず新人作品から振り返っていこう。第六二回江戸川乱歩賞は佐藤究『QJKJQ』(講談社)が受賞した。両親も兄も皆猟奇殺人鬼という女子高生の家族に次々と異変が起きる異色編。第三六回横溝正史ミステリ大賞は逸木裕の『虹を待つ彼女』(「虹になるのを待て」改題 KADOKAWA)が受賞。第二三回日本ホラー小説大賞は大賞なしに終わったが、坊木椎哉『きみといたい、朽ち果てるまで ~絶望の街イタギリにて』(「黄昏色の炎と213号室の雫」改題 KADOKAWA)が優秀賞、最東対地『夜葬』(KADOKAWA)が読者賞に選ばれた。第二六回鮎川哲也賞は市川憂人『ジェリーフィッシュは凍らない』(東京創元社)が受賞。第二三回松本清張賞は蜂須賀敬明『待ってよ』(文藝春秋)が受賞。時間が逆さまに流れる街を訪れたマジシャンの身に起きる出来事の数々。第一九回日本ミステリー文学大賞新人賞の嶺里俊介『星宿る虫』(光文社)は発光する虫の大群が人間に襲いかかるホラーサスペンス。第一四回『このミステリーがすごい!』大賞は、株取引の天才「黒女神」の活躍を描いた城山真一『ブラック・ヴィーナス 投資の女神』(「ザ・ブラック・ヴィーナス」改題 宝島社)と、謎の現代美術家の幻の作品をめぐって殺人事件が起きる一色さゆり『神の値段』(宝島社)の二作が受賞。第八回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞は一九六五年にオランダ・アムステルダム運河で起きた日本人バラバラ殺人事件の真相を追う原進一『アムステルダムの詭計』(原書房)が受賞、松本英哉『僕のアバターが斬殺{や}ったのか』(「幻想ジウロパ」改題 光文社)が優秀作に選ばれた。第六回アガサ・クリスティー賞は該当作なし、春坂咲月の着物にまつわる日常の謎系の連作ミステリー『花を追え 仕立屋・琥珀と着物の迷宮』(「花を追え」改題 ハヤカワ文庫JA)が優秀賞に選ばれた。短編賞では、第三八回小説推理新人賞に久和間拓の高校野球もの「エースの遺言」が選ばれている。
新人賞以外の文学賞では、荻原浩の家族小説集『海の見える理髪店』(集英社)が第一五五回直木賞を受賞。第二九回山本周五郎賞には湊かなえの心理サスペンス『ユートピア』(集英社)が選ばれた。第五〇回吉川英治文学賞は警察国家化した近未来日本を舞台に描いた赤川次郎の『東京零年』(集英社)が受賞、第三七回吉川英治文学新人賞には薬丸岳の少年犯罪もの『Aではない君と』(講談社)が輝いた。また、新たに設立された吉川英治文庫賞は畠中恵「しゃばけ」シリーズ(新潮社)に贈られた。第六九回日本推理作家協会賞は、柚月裕子『孤狼の血』(KADOKAWA)が長編及び連作短編集部門、大石直紀「おばあちゃんといっしょ」(一七年三月光文社刊『桜疎水』所収)と、永嶋恵美「ババ抜き」(一五年一一月文藝春秋刊『アンソロジー 捨てる』所収)の二作が短編部門、門井慶喜『マジカル・ヒストリー・ツアー ミステリと美術で読む近代』(幻戯書房)が評論その他の部門に選ばれた。第一九回日本ミステリー文学大賞は北村薫が受賞。第一八回大藪春彦賞には須賀しのぶ『革命前夜』(文藝春秋)が輝いた。第一六回本格ミステリ大賞は、鳥飼否宇『死と砂時計』(東京創元社)が小説部門、浅木原忍『ミステリ読者のための連城三紀彦全作品ガイド 増補改訂版』(Rhythm Five)が評論・研究部門に選ばれた。第一一回中央公論文芸賞は東山彰良のディストピアSF『ブラックライダー』の前日譚『罪の終わり』(新潮社)が受賞。第七回山田風太郎賞は塩田武士『罪の声』(講談社)に贈られた。
続いて注目作。本格ミステリーからいくと、青崎有吾『図書館の殺人』(東京創元社)は学校に住む高校生探偵・裏染天馬が市民図書館で男子学生が殴殺された事件に挑むシリーズ第四作。青崎は〝怪物〟専門の探偵の活躍を描いた『アンデッドガール・マーダーファルス1』(講談社)や探偵コンビが活躍する短編集『ノッキンオン・ロックドドア』(徳間書店)等も要注目。早坂吝『誰も僕を裁けない』(講談社)は〝援交探偵〟上木らいちがメイドとして雇われた屋敷で殺人事件に巻き込まれる。日本ミステリーのパイオニア黒岩涙香の隠れ家にはいろは四八文字を一度ずつ使う〝いろは歌〟を飾った個室が並んでいた! 竹本健治の囲碁棋士探偵牧場智久もの『涙香迷宮』(講談社)は独創性極まる暗号ミステリー。井上真偽『聖女の毒杯 その可能性はすでに考えた』(講談社)は旧家の婚礼の席で起きた毒殺事件に探偵上苙丞が挑む横溝タッチのシリーズ第二作。谺健二『ケムール・ミステリー』(原書房)は特撮ドラマ、ウルトラ・シリーズでお馴染みのキャラクターに取りつかれた男の屋敷で密室自殺が続く。島田荘司『屋上の道化たち』(講談社)はビル屋上からの不可解な転落死事件に名探偵御手洗潔が挑むシリーズ五〇作目を飾る長編。深水黎一郎『倒叙の四季 破られたトリック』(講談社)は「完全犯罪完全指南」というファイルを手にした者たちによる犯罪劇四編を倒叙形式で描く。青山文平『半席』(新潮社)は若き徒目付が不可解な事件の動機を探り当てる時代小説の連作集であり、ホワイ・ダニット・ミステリー。芦沢央『許されようとは思いません』(新潮社)は連城三紀彦張りのヒネリをきかせた短編集。深木章子『猫には推理がよく似合う』(KADOKAWA)は弁護士事務所の事務員としゃべる猫との推理合戦が繰り広げられる。平石貴樹『松谷警部と向島の血』(東京創元社)は相撲界で起きた連続殺人に挑む松谷健介警部、現職最後の事件。北村薫『遠い唇』(KADOKAWA)は多彩なミステリーを収めた短編集。三津田信三『黒面の狐』(文藝春秋)は第二次世界大戦に敗れ虚無感に駆られた青年・物理波矢多が北九州の炭鉱で働き出し、怪事件に遭遇する。七河迦南『わたしの隣の王国』(新潮社)は空手少女と研修医のカップルがテーマパークでファンタジー世界と現実世界に分かれて事件に直面する。法月綸太郎『挑戦者たち』(新潮社)は様々なスタイルで「読者への挑戦」に挑んだ実験と遊戯の書。白井智之『おやすみ人面瘡』(KADOKAWA)の背景は全身に人面瘡が出来る奇病が蔓延するディストピア日本。東北の町で起きた人身売買をめぐる殺人事件の顚末を描いたグロテスクにしてロジカルなミステリーだ。市川憂人『ジェリーフィッシュは凍らない』は小型飛行船内の殺人を皮切りに密室状況下で起きる事件の謎を追い「二一世紀の『そして誰もいなくなった』」と絶賛された。西澤保彦『悪魔を憐れむ』(幻冬舎)は万年学生の匠千暁と仲間たちがついに社会に出て様々な事件に遭遇する短編集。米澤穂信『真実の10メートル手前』(東京創元社)は新聞記者からフリーライターへと転じた長編『さよなら妖精』のヒロイン太刀洗万智の活躍を描いた短編集。
冒険・ハードボイルドものに移ると、月村了衛『ガンルージュ』(文藝春秋)は韓国要人の拉致事件に巻き込まれた少年を救うべく母親とその相棒の女性教師が群馬の温泉地で韓国特殊部隊と激突! 本城雅人『ミッドナイト・ジャーナル』(講談社)は誤報で左遷された記者たちが七年後に似たような誘拐事件の取材に挑む報道ハードボイルド。樋口明雄『ブロッケンの悪魔 南アルプス山岳救助隊K─9』(角川春樹事務所)はK─9の面々が山小屋を乗っ取った武装集団に立ち向かう。長浦京『リボルバー・リリー』(講談社)は消えた陸軍資金の鍵を握る少年を凄腕諜報員の美女が護衛するノンストップ・アクション。藤田宜永『亡者たちの切り札』(祥伝社)はバブル崩壊で巨額の借金を背負った男が銀行勤めの旧友のトラブルに巻き込まれていくクライムノベル。深町秋生『ショットガン・ロード』(朝日新聞出版)は伝説の暗殺集団から足を洗った男がかつての仲間たちに命を狙われ、日本各地で死闘を繰り広げる。深町は警視庁組織対策部四課所属の悪徳刑事の姿を描いた『卑怯者の流儀』(徳間書店)や山形在住のアラフォー女探偵の活躍を描いた『探偵は女手ひとつ』(光文社)等でも気を吐いた。宮部みゆき『希望荘』(小学館)はついに家族と別れ私立探偵事務所を開いた和製アルバート・サムスン、杉村三郎の活躍を描いた連作集。若竹七海『静かな炎天』(文藝春秋)は古書店のアルバイトと並行して探偵業を営むクールな女探偵葉村晶の活躍を描いた、ミステリーの蘊蓄も盛り沢山の連作集。辻原登『籠の鸚鵡』(新潮社)はバブル期の一九八〇年代半ば、和歌山県で実際に起きた公金横領事件をベースにヤクザやホステス、不動産業者を絡ませた迫真のクライムノベル。黒川博行『喧嘩{すてごろ}』(KADOKAWA)はお馴染み〝疫病神〟シリーズ。建設コンサルタントの二宮はヤクザ絡みの選挙の暗部に首を突っ込み、破門中のヤクザ桑原を巻き込むのだが……。大沢在昌『夜明けまで眠らない』(双葉社)は元傭兵のタクシー運転手が過去の因縁から再び命を狙われる羽目になる。
次はサスペンス系。相場英雄『ガラパゴス』(小学館)は警視庁捜査一課継続捜査担当の田川警部補が自殺に偽装された殺人事件を掘り起こす社会派ミステリー。遠田潤子『蓮の数式』(中央公論新社)は不妊で苦悩する人妻が算数障害の男と出会い、逃避行に出る。真藤順丈『夜の淵をひと廻り』(KADOKAWA)は街を偏愛する交番警官の活躍を描いた捜査もの。原田マハ『暗幕のゲルニカ』(新潮社)はピカソの名画をめぐって現代とスペイン内戦時を往還する美術サスペンス。伊坂幸太郎『サブマリン』(講談社)は家裁調査官の陣内と武藤が少年犯罪者と対峙する『チルドレン』の続編。宮内悠介『彼女がエスパーだったころ』(講談社)は超常現象をテーマにした独自の連作集。初瀬礼『シスト』(新潮社)は若年性認知症の女性ビデオジャーナリストが世界規模の感染症の謎に迫る。津原泰水『ヒッキーヒッキーシェイク』(幻冬舎)はヒキコモリ支援センター代表のカウンセラー竺原がネットを通して顧客たちを連携させ、怪しいプロジェクトを立ち上げる。葉真中顕『ブラック・ドッグ』(講談社)は遺棄動物の譲渡会とペット販売が行われるイベント会場を謎の猛獣が襲撃するホラーサスペンス。今野敏『去就 隠蔽捜査6』(新潮社)は大森署管内で発生したストーカー事件をめぐって署長の竜崎が新任の上役と対立する。塩田武士『罪の声』はグリコ・森永事件から三一年後、新聞記者と幼少時に事件に関わった男が新たに犯人像に迫る社会派サスペンス。逸木裕『虹を待つ彼女』は人工知能の研究者が自殺した伝説のゲームクリエイターの人工知能化に挑む。長崎尚志『パイルドライバー』(KADOKAWA)は横浜で一五年前の未解決事件を髣髴させる一家三人惨殺事件が発生、県警はかつての事件の捜査に当たった異形の退職刑事、久井重吾を嘱託採用する。川瀬七緒『潮騒のアニマ 法医昆虫学捜査官』(講談社)は伊豆諸島のある島でミイラ化した女性の遺体が発見され、警視庁の岩楯警部補と法医昆虫学者の赤堀涼子が捜査に当たるシリーズ第五作。冲方丁『十二人の死にたい子どもたち』(文藝春秋)は集団自殺志願の少年少女が廃病院に集まるが、そこには一三人目の少年がいた。
アンソロジーはまず『冒険の森へ 傑作小説大全』(集英社)のシリーズ。第二巻『忍者と剣客』で全二〇巻が無事完結した。他には山前譲編『山岳迷宮 山のミステリー傑作選』(光文社)、ミステリー文学資料館編『電話ミステリー俱楽部』『名探偵と鉄旅』(光文社)、『このミステリーがすごい!』編集部編の『5分で笑える! おバカで愉快な物語』『5分で驚く! どんでん返しの物語』『10分間ミステリー THE BEST』(宝島社)、徳間文庫編集部編の『悪夢の行方 「読楽」ミステリーアンソロジー』『憑きびと 「読楽」ホラー小説アンソロジー』(徳間書店)、有馬頼義他『隣りの不安、目前の恐怖 日本推理作家協会賞受賞作家 傑作短編集3』(双葉社)、綾辻行人他『自薦 THE どんでん返し』(双葉社)等がある。個人のアンソロジーでは、著作権が切れた江戸川乱歩の復刊ものにご注目。『明智小五郎事件簿』(集英社)は全一二巻、一六年はそのうち八作が出た。さらには『桜庭一樹編 江戸川乱歩傑作選 獣』『湊かなえ編 江戸川乱歩傑作選 鏡』(文藝春秋)、『江戸川乱歩名作選』(新潮社)等もある。他には海野十三『蠅男』『深夜の市長』(東京創元社)、『松本清張ジャンル別作品集1~6』(双葉社)、『岬にて 乃南アサ短編傑作選』『すずの爪あと 乃南アサ短編傑作選』(新潮文庫)、日影丈吉『日影丈吉 幻影の城館』(河出書房新社)等がある。懐かしの作家では『香住春吾探偵小説選Ⅱ』『飛鳥高探偵小説選Ⅰ、Ⅱ』『大河内常平探偵小説選Ⅰ、Ⅱ』『横溝正史探偵小説選Ⅳ、Ⅴ』『保篠龍緒探偵小説選Ⅰ、Ⅱ』(論創社)が刊行されている。
エッセイ集は、常盤新平の回想記『翻訳出版編集後記』(幻戯書房)、柳広司の単行本未収録作品とエッセイを集めた『柳屋商店開店中』(原書房)、石上三登志の未単行本化連作集『ヨミスギ氏の奇怪な冒険 フィクションエッセイ0012』(書肆盛林堂)、冲方丁の留置場体験記『冲方丁のこち留 こちら渋谷警察署留置場』(集英社インターナショナル)、戸川安宣著、空犬太郎編の自伝+ミステリ専門書店運営記『ぼくのミステリ・クロニクル』(国書刊行会)、大瀧啓裕『翻訳家の蔵書』(東京創元社)等がある。研究書では、長山靖生『奇異譚とユートピア 近代日本驚異〈SF〉小説史』(中央公論新社)、多胡吉郎『漱石とホームズのロンドン 文豪と名探偵 百年の物語』(現代書館)、佐々木敦『ニッポンの文学』(講談社現代新書)、鈴木智之『顔の剝奪 文学から〈他者のあやうさ〉を読む』(青弓社)、竹内瑞穂+「メタモ研究会」編『〈変態〉二十面相 もうひとつの近代日本精神史』(六花出版)、原口隆行『鉄道ミステリーの系譜 シャーロック・ホームズから十津川警部まで』(交通新聞社新書)等がある。ブックガイドは、早川書房編集部編『新・冒険スパイ小説ハンドブック』(ハヤカワ文庫)、別冊宝島二五〇一『金田一耕助完全捜査読本』(宝島社)、喜国雅彦、国樹由香『本格力 本棚探偵のミステリ・ブックガイド』(講談社)等が出ている。映画関連では『映画秘宝EX 100人の映画ジャンキーが選ぶ! 最強ミステリ映画決定戦』(洋泉社MOOK)がある。
最後におくやみ。三月に夏樹静子が、四月に戸川昌子が逝去した。夏樹静子は一九三八年東京生まれ。大学四年の六〇年、江戸川乱歩賞に応募した『すれ違った死』で最終候補に残ったのがきっかけでNHKの推理クイズ番組「私だけが知っている」のレギュラーライターになる。六九年に同賞に応募した『天使が消えていく』も最終候補となり、受賞は叶わなかったがこの作品で作家デビュー。七三年『蒸発 ある愛の終わり』で第二六回日本推理作家協会賞を受賞、その後も長短編で活躍するほか、巨匠エラリー・クイーン(フレデリック・ダネイ)と親交があり、多くの作品が海外で翻訳紹介され、国際的にも知名度が高かった。戸川昌子は一九三三年東京生まれ。高校を中退、商社で英文タイピストとして勤務したのち、シャンソン歌手に転身。その傍ら執筆した『大いなる幻影』で六二年に第八回江戸川乱歩賞を受賞、次作の『猟人日記』も直木賞候補になるなど一躍人気作家となり、長短多彩な作品で活躍する。夏樹と同様、海外でも評価されるいっぽう、音楽活動も晩年まで続け、六七年から二〇一〇年までシャンソンバー「青い部屋」を経営していた。