日々是映画日和(92)――ミステリ映画時評
本号が配られる頃には公開されている筈の二十一年ぶりの続編『T2 トレインスポッティング』がすこぶる付きの面白さだ。二十世紀も押し迫ったあの時代を切り取った青春映画であり、犯罪映画のスリルもあった正編から二十年。前作のラストでオランダに逃げた主人公のユアン・マクレガーが、エジンバラに帰ってくるところから始まる。故郷に置き去りにした過去に、彼はどう落とし前をつけるのか。ノスタルジーに流れず、老いを蹴散らす四人組が、ポップでカラフルな映像もそのままに、痛快な後日談を繰り広げる。
さて、今月はテッド・チャンの短編「あなたの人生の物語」を映画化した『メッセージ』から。原作はネビュラ賞を受賞したSFだが、映画はミステリの色合いが濃い仕上がりなのは、監督のドゥニ・ヴィルヌーヴのせいだろうか。世界十二か所に宇宙船が飛来し、謎の知的生命体と意思疎通を図るため言語学者のエイミー・アダムスが駆り出される。物理学者のジェレミー・レナーとともに、UFO船内のルッキンググラス越しに、七本足(ヘプタポット)と呼ばれるエイリアンとのコミュニケーションを試みるが、手探り状態のやりとりから、やがて彼らの使う文字が人類の言語を上回る機能性を備えていることに気づく。しかし同時に、彼女は幻視にも似た不思議な現象に襲われ始める。
異星人の目的は何か? 人称や時制を巧みに使い分けながら読者に語りかける原作に対して、映画ではもっぱら観る者のイマジネーションに委ねられる。さすがは『灼熱の魂』や『プリズナー』の監督で、その答えが静かに浮かび上がる終盤のカタルシスには、原作の叙情的なエッセンスを抽出したかのような感動が寄り添う。※五月十九日公開予定(★★★★)
今年の大阪アジアン映画祭で上映された『七月と安生』の叙述トリックには、見事足元をすくわれたが、二人のヒロインの片割れを演じたチョウ・ドンユイが韓国のイ・ジュンギと共演するのが、リン・ユゥシェン監督の『シチリアの恋』だ。上海の設計事務所で働く相思相愛の男女が、悲劇的な運命に翻弄されるというラブロマンスだが、こちらもプチ・ミステリ映画の趣向が隠されている。オペラを学ぶと宣言し、姉の一家が暮らすイタリアへと旅立った彼。しかし、残された彼女のもとに届いたのは、山の滑落事故で命を落としたという訃報だった。彼女は自暴自棄となるが、せめて彼が遺したやりかけの仕事を、自分が成し遂げようと決意する。
チョウは、母国の中国で〝十三億人の妹〟の異名をとる人気女優で、本作でもわがままで自己中のヒロインを奔放に演じている。物語は甘口だが、伏線やミスリードも巧みで、『モンガに散る』でおなじみのイーサン・ルアンの役どころにはニヤリ。ただ、作中のエメラルドグリーンに輝くシチリアの海は美しいが、タイトルにはふさわしくない。原題はNever Said Goodbye で、そちらの方が内容を言い当てている。(★★★)
若き女医のアデル・エネルは、知人の老医師の頼みで、暫くの間、小さな診療所を預かっていた。ある晩、時間外に鳴ったベルに扉を開けようとした研修医を叱り、訪問者を放置してしまう。翌朝、ベルの主と思しき身元不明の少女は、近所で死体となって発見される。もし手を差し伸べていれば、という罪悪感に苛まれた、女医は少女のことを調べ始める。
ジャン・ピエールとリュックのダルデンヌ兄弟監督の『午後8時の訪問者』は、スー・グラフトンやサラ・パレツキーらの台頭で3Fの時代と言われた昔を思い出させる。本作のヒロインは、将来を嘱望され、大きな病院で働くことも決まっている優秀な女性医師だが、事件を調べて回る一途で、粘り強い姿は、かつての女探偵たちと重なり合う。基本的には、医療を志すヒロインの成長の物語なのだが、往診先で重要な手がかりを掴んだり、闇雲に深入りして窮地に陥ったりと、その女探偵ぶりが印象に残るのである。※四月八日公開予定(★★★)
先号で紹介したパク・チャヌクの『お嬢さん』、キム・ソンスの『アシュラ』、そしてここに紹介するナ・ホンジンの『哭声/コクソン』と、この春、日本公開の韓国映画は狂い咲きの様相を呈しているが、最大の問題作はこの『哭声』だろう。一家惨殺事件が続発する山村で、警察官のクァク・ドウォンは、謎の女チョン・ウヒから、すべては悪霊の仕業だと告げられる。妙な噂のある日本人の國村隼を怪しむ彼は、仲間とともに男の住まいを捜索。奇妙な祭壇の片隅に転がる靴が、ここのところ奇行を重ねる愛娘キム・ファニのものに酷似していることに動揺する。一連の事件の犯人に共通する謎の発疹が娘の体にも広がっていることを知った彼は、悪霊を祓うため評判の祈祷師ファン・ジョンミンを頼ることに。
騒動は、渦中の人物たちによる壮絶なサイキック・ウォーズを経て、オカルト・ミステリとして鮮やかな解決を迎える。しかし問題はそこからで、一旦示された整合性のある解決は、いともあっさりと突き崩されてしまうのだ。本作の覗くたびに絵柄が変わる万華鏡のような作りは、アンチ・ミステリというよりは、多重解決好きのミステリ・ファンにアピールする筈だ。とまれ、『チェイサー』、『哀しき獣』、本作と、一作ごとにギアを過激な方向へとシフトさせるナ・ホンジンは、嵐を呼ぶ韓国映画界の台風の目と言っていいだろう。(★★★★)
※★は最高が4つ。公開日の付記なき作品は、既に公開済みです。