「雰囲気」には、つくづく困る

若桜木虔

 言葉に関してまで正確に時代考証しようとすると、おそらく最も困るのが「雰囲気」である。
「雰囲気」は時代劇に頻出するし、奈良時代以前が舞台の時代劇にも出て来る。それも時代考証に正確な方々の作品に。
 そもそも「雰囲気」は、最初「地球を巡る大気」の意味であった。したがって「空気」の存在が認識されるようになる以前には有り得ない言葉なのだ。
 だから、代替用語を思いつけなくて非常に困る。
 日本語における「空気」はオランダ語からの翻訳造語で、嘉永二年(一八四九)に、上田帯刀(尾張徳川家に仕えた蘭学者)が訳した『砲術語選』が初出。
 関連付けて言うと「酸素」は天保四年(一八三三)の宇田川榕菴(津山松平家に仕えた蘭方医)の造語で、「窒素」と「水素」は、天保五年(一八三四)の宇田川榛斎(宇田川榕菴の義父で前野良沢、大槻玄沢などに師事。『解体新書』の杉田玄白の女婿となるも、離縁して、宇田川家の養子となる)の造語。
 要するに、一八〇〇年代の中盤から、「大気」関連の言葉が、どんどんオランダ語から翻訳造語されて日本語に入ってきたわけである。
 しかし依然として「雰囲気」は「地球を巡る大気」の意味であって、現代の我々が使っているニュアンスでの用法は、北原白秋を待たなければならない。
「雰囲気」は、北原白秋が明治四十二年に発表した『邪宗門』に「濃霧」と題して、次のように使われたのが初出(「雰」ではなく「氛」という同音異字だが)。
「濃霧はそそぐ……腐れたる大理の石の生くさく吐息するかと蒸し暑く、はた、冷やかに官能の疲れし光―月はなほ夜の氛囲気の朧なる恐怖に懸る」
 現代の用法の「雰囲気」も「地球を巡る大気」も、英訳すれば同じ「atmosphere」であって、早稲田の英文科で学んだ北原白秋は「そうか。atmosphereには、こういうニュアンスの使い方もあるのか」と閃いて使ったのだろう。
 結局、それが日本では「atmosphere」の第一義的な意味の「大気・空気」を完全に駆逐して、英語では第二義的な意味でしかない「その場の様子」といったニュアンスだけになったの面白いと言えば、つくづく面白い。