男女同姓は明治時代から

若桜木虔

 朝井まかて作『恋歌』を直木賞受賞作ということで期待して読んだが、時代考証が出鱈目で、どっちらけ。直木賞の選考時に、なぜ時代考証の専門家を入れないのか、苦言を呈したい。
 主人公の中島登世が林家に嫁入りして林登世となり、事情があって「旧姓」の中島登世に戻るのだが、そんな馬鹿なことがあるわけがない。結婚して同じ苗字になるのは明治三十一年に成立した民法で「夫婦は同姓とすべし」とされてから。明治九年の太政官布告では「妻は実家の姓を使用すべし」だから、江戸時代は養子に入らない限り、苗字が変わることはない。
 見延典子の大作『頼山陽』でも、母親の梅颸が「頼梅颸」と名乗っているが、これも間違いで「飯岡梅颸」でなければならない。歌人なので、「ペンネーム」として「頼梅颸」と名乗ったのであれば許されるが、そんな記述は、どこにも見当たらない。
 そもそも、こういう間違いは細川ガラシャのせいだろう。歴史上、「細川ガラシャ」なる人物は存在しない。「明智ガラシャ」である。
 北条政子は「源政子」ではないし、日野富子は「足利富子」ではない。織田信長の正室は斎藤帰蝶(もしくは胡蝶)であって織田帰蝶ではない。
 豊臣秀吉の正室の寧々は豊臣寧々や羽柴寧々ではなく、最初が杉原寧々で、浅野家の養女となって浅野寧々となり、秀吉に嫁いだ。
 秀吉の盟友の前田利家の正室の松は、篠原松であって、前田松ではない。こんな、ちょっと調べれば、すぐに分かることを、なぜ怠るのか、甚だ疑問である。