日々是映画日和(154)――ミステリ映画時評
タイトルロールの女性指揮者をケイト・ブランシェットが全身全霊で演じきり、遂には女優引退の話にまで飛び火した「TAR/ター」は、まるでサイコロジカル・スリラーのような触れ込みだが、残念ながらミステリ映画ではない。音楽界を席巻するマエストロの栄光と凋落の物語が、精緻かつスリリングに描かれる。喧伝されているラストシーンに唖然(褒め言葉です)とするのも、この作品の愉しみの一つだろう。
パルム・ドール受賞監督の是枝裕和作品であることや、坂本龍一の音楽の話題が先行するが、個人的には坂元裕二のオリジナル脚本という点に期待が膨らむ『怪物』。テレビをあまり見ない私も、「カルテット」や「大豆田とわ子と三人の元夫」、「初恋の悪魔」など、ここ数年、贔屓の連ドラはこの人の作品だった。
夜間のビル火災をベランダから眺める母一人子一人の親子。豚の脳を移植した人間は豚か人か、という息子の湊の問いを、母の早織は怪訝に思う。湊の不審な行動は続き、学校での苛めを疑う母親は、意を決して小学校の校門をくぐるが、校長や担任の煮え切らない対応に痺れを切らす。
逆ギレした担任に、息子こそが苛めの張本人と反論された早織は、被害者だという星川依里を訪ねる。粗野な父親と二人暮らしの少年の腕には痛々しい火傷痕があったが、湊の苛めは受けていないと言い切る。やがて事態はマスコミを巻き込み、世間を騒がせる中、総てが反転する嵐の一夜がやってくる。
全体は三部構成で、主観人物を母・教師・息子と交替しつつ、視点を変えながら同じ物語がリピートされていく。個人的にはこの繰り返しの手法を、ガス・ヴァン・サント監督の名作に喩えてエレファント型と呼びたいところだが、羅生門形式の方がイメージし易いかもしれない。
眺める角度が変わるたびに先の印象が覆され、徐々に真相に迫っていく展開はスリリングで、予想だにしない地点に観客を連れ去るという意味でも、ミステリ映画のカタルシスは十分。ただ、真相との落差が大きな分だけ、ミスリードを誘う描写にも思い切りの良さだけでなく、細心さも要求される。もう少し説明があればと惜しまれる場面もあった。
物語の中心を占める黒川想矢と柊木陽太の少年たちや、母の安藤サクラはじめ、校長の田中裕子、担任の永山瑛太が、それぞれに難役を見事にこなしているのも成功要因だろう。暗示的なラストもいい。(★★★★)※6月4日公開
すでに世界数カ国でリメイクされているが、イ・ソンギュンとチョ・ジヌンの名優二人が激しい警官同士のデッドヒートを繰り広げた同題韓国映画の日本版が『最後まで行く』だ。所轄署の刑事を岡田准一が、県警の査察官を綾野剛がそれぞれ演じ、激しい火花を散らす。
年の瀬も押し迫った雨の晩。車を飛ばす埃原署の工藤は、母危篤の報と、裏金の悪事が露見したことで、気も狂わんばかりだった。そのため、飛び出してきた男をうっかりはね、慌てて遺体をトランクに隠すが、折悪しく飲酒運転の検問に引っかかってしまう。
しかし、偶然通りかかった県警査察部の矢崎は工藤の窮地を救い、裏金の取り調べでも、何故か手心を加える。一方工藤は、轢いた死体を隠すため母親の通夜を利用して奇策を講じ、事故の痕跡の隠蔽にも成功。懲りない彼は、弔いに現れた腐れ縁のヤクザ仙波が言葉巧みに持ちかけた儲け話に食指を動かすが、その矢先、スマホに謎の脅迫メッセージが届く。
韓国映画リメイクで大きな改変といえば、『22年目の告白 私が殺人犯です』(元は『殺人の告白』)が思い出される。本作は原典を下敷きにしつつ、随所にオリジナルの展開を絡めており、老獪なヤクザの組長や心優しき工藤の妻、矢崎の義理の父ら日本版のみに登場する役どころが、独自の展開へと物語を導いていく。
いわゆる悪徳警官ものとしての出来栄えは、韓日どちらにも持ち味があり甲乙つけがたいが、日本版ではタイトルの意味するところを印象付ける強烈なラストが用意されている。堕落警官のダメっぷりをこれでもかと演じる岡田と、時折その表情にとてつもない凄みを覗かせる綾野の配役もいい。(★★★1/2)※5月19日公開
三話ずつを二人の監督(内田英治・片山慎三)が担当した『探偵マリコの生涯で一番悲惨な日』は、新宿歌舞伎町を舞台にしたオムニバス長編だ。バーのママで探偵業も営む主人公のマリコを伊藤沙莉が演じている。
ゴールデン街の片隅にある「カールモール」は、若いが面倒見のいいママの人柄もあり、元ヤクザやキャバ嬢ら常連で夜毎に賑わっていた。店仕舞いしたばかりのある夜更けのこと、FBIを名乗る男女三人組が訪ねてくる。歌舞伎町に身を隠す地球外生命体を探してほしいというのが彼らの依頼だった。
この第一話「歌舞伎町にいる」の冒頭からも窺えるように、タイトルからヒロインが活躍する私立探偵ものを期待すると、あっさり裏切られる。サイコキラーや姉妹の殺し屋、落ちぶれたヤクザらのエピソードがくんずほぐれつする犯罪映画の趣きこそあるが、巨匠スピルバーグの名作からフランケン・ヘネンロッターのカルト・ホラーまでを闇鍋風にごった煮にしたキッチュ映画と呼ぶのが正しい。世界三大ファンタスティック映画祭制覇が目標というのも、なるほど頷ける。
ただ、現時点ではないものねだりになるかもしれないが、周囲の騒がしさをよそに奇を衒わない探偵マリコにはリアルな存在感と魅力がある。『さがす』の片山監督には、正統派の私立探偵映画として続編をお願いしたいところだ。(★1/2)※6月30日公開
※★は四つが最高点
パルム・ドール受賞監督の是枝裕和作品であることや、坂本龍一の音楽の話題が先行するが、個人的には坂元裕二のオリジナル脚本という点に期待が膨らむ『怪物』。テレビをあまり見ない私も、「カルテット」や「大豆田とわ子と三人の元夫」、「初恋の悪魔」など、ここ数年、贔屓の連ドラはこの人の作品だった。
夜間のビル火災をベランダから眺める母一人子一人の親子。豚の脳を移植した人間は豚か人か、という息子の湊の問いを、母の早織は怪訝に思う。湊の不審な行動は続き、学校での苛めを疑う母親は、意を決して小学校の校門をくぐるが、校長や担任の煮え切らない対応に痺れを切らす。
逆ギレした担任に、息子こそが苛めの張本人と反論された早織は、被害者だという星川依里を訪ねる。粗野な父親と二人暮らしの少年の腕には痛々しい火傷痕があったが、湊の苛めは受けていないと言い切る。やがて事態はマスコミを巻き込み、世間を騒がせる中、総てが反転する嵐の一夜がやってくる。
全体は三部構成で、主観人物を母・教師・息子と交替しつつ、視点を変えながら同じ物語がリピートされていく。個人的にはこの繰り返しの手法を、ガス・ヴァン・サント監督の名作に喩えてエレファント型と呼びたいところだが、羅生門形式の方がイメージし易いかもしれない。
眺める角度が変わるたびに先の印象が覆され、徐々に真相に迫っていく展開はスリリングで、予想だにしない地点に観客を連れ去るという意味でも、ミステリ映画のカタルシスは十分。ただ、真相との落差が大きな分だけ、ミスリードを誘う描写にも思い切りの良さだけでなく、細心さも要求される。もう少し説明があればと惜しまれる場面もあった。
物語の中心を占める黒川想矢と柊木陽太の少年たちや、母の安藤サクラはじめ、校長の田中裕子、担任の永山瑛太が、それぞれに難役を見事にこなしているのも成功要因だろう。暗示的なラストもいい。(★★★★)※6月4日公開
すでに世界数カ国でリメイクされているが、イ・ソンギュンとチョ・ジヌンの名優二人が激しい警官同士のデッドヒートを繰り広げた同題韓国映画の日本版が『最後まで行く』だ。所轄署の刑事を岡田准一が、県警の査察官を綾野剛がそれぞれ演じ、激しい火花を散らす。
年の瀬も押し迫った雨の晩。車を飛ばす埃原署の工藤は、母危篤の報と、裏金の悪事が露見したことで、気も狂わんばかりだった。そのため、飛び出してきた男をうっかりはね、慌てて遺体をトランクに隠すが、折悪しく飲酒運転の検問に引っかかってしまう。
しかし、偶然通りかかった県警査察部の矢崎は工藤の窮地を救い、裏金の取り調べでも、何故か手心を加える。一方工藤は、轢いた死体を隠すため母親の通夜を利用して奇策を講じ、事故の痕跡の隠蔽にも成功。懲りない彼は、弔いに現れた腐れ縁のヤクザ仙波が言葉巧みに持ちかけた儲け話に食指を動かすが、その矢先、スマホに謎の脅迫メッセージが届く。
韓国映画リメイクで大きな改変といえば、『22年目の告白 私が殺人犯です』(元は『殺人の告白』)が思い出される。本作は原典を下敷きにしつつ、随所にオリジナルの展開を絡めており、老獪なヤクザの組長や心優しき工藤の妻、矢崎の義理の父ら日本版のみに登場する役どころが、独自の展開へと物語を導いていく。
いわゆる悪徳警官ものとしての出来栄えは、韓日どちらにも持ち味があり甲乙つけがたいが、日本版ではタイトルの意味するところを印象付ける強烈なラストが用意されている。堕落警官のダメっぷりをこれでもかと演じる岡田と、時折その表情にとてつもない凄みを覗かせる綾野の配役もいい。(★★★1/2)※5月19日公開
三話ずつを二人の監督(内田英治・片山慎三)が担当した『探偵マリコの生涯で一番悲惨な日』は、新宿歌舞伎町を舞台にしたオムニバス長編だ。バーのママで探偵業も営む主人公のマリコを伊藤沙莉が演じている。
ゴールデン街の片隅にある「カールモール」は、若いが面倒見のいいママの人柄もあり、元ヤクザやキャバ嬢ら常連で夜毎に賑わっていた。店仕舞いしたばかりのある夜更けのこと、FBIを名乗る男女三人組が訪ねてくる。歌舞伎町に身を隠す地球外生命体を探してほしいというのが彼らの依頼だった。
この第一話「歌舞伎町にいる」の冒頭からも窺えるように、タイトルからヒロインが活躍する私立探偵ものを期待すると、あっさり裏切られる。サイコキラーや姉妹の殺し屋、落ちぶれたヤクザらのエピソードがくんずほぐれつする犯罪映画の趣きこそあるが、巨匠スピルバーグの名作からフランケン・ヘネンロッターのカルト・ホラーまでを闇鍋風にごった煮にしたキッチュ映画と呼ぶのが正しい。世界三大ファンタスティック映画祭制覇が目標というのも、なるほど頷ける。
ただ、現時点ではないものねだりになるかもしれないが、周囲の騒がしさをよそに奇を衒わない探偵マリコにはリアルな存在感と魅力がある。『さがす』の片山監督には、正統派の私立探偵映画として続編をお願いしたいところだ。(★1/2)※6月30日公開
※★は四つが最高点