社団法人化への道
五四年に江戸川乱歩が百万円を寄付したことは前述した。五八年には、角田喜久雄がクラブ賞の賞金増額のために五十万円を寄付している。これらをそのままクラブに渡すと、半分近くを税金で取られることが判り、六〇年七月九日に開かれた総会で、クラブを社団法人にしようという案が出た。だが、この手続きは煩雑を極め、開かれた検討会は二十数回、文部省に提出した申請書類は第五稿におよんだ。中島河太郎、山村正夫、大河内常平ら、担当役員の足掛け四年にわたる奔走で、文部省から認可が出たのは、六三年一月三十一日のことであった。こうして任意団体だった日本探偵作家クラブは、社団法人日本推理作家協会へと変わり、それまでの親睦団体から、プロ作家たちが運営する職能団体へと性格を変えていくことになる。
初代理事長には江戸川乱歩が就任したが、病状が思わしくないため、半年程度なら、という条件つきで、同年八月には、早くも松本清張が二代目理事長に選ばれている。以後、松本清張が第五期まで(六三~七一)、島田一男が第六期(七一~七三)、佐野洋が第七期から九期まで(七三~七九)、三好徹が第十期(七九~八一)、山村正夫が第十一、十二期(八一~八五)、中島河太郎が第十三、十四期(八五~八九)、生島治郎が第十五、十六期(八九~九三)、阿刀田高が第十七、十八期(九三~九七)が、北方謙三が第十九、二十期(九九~)の理事長をそれぞれ務めて、現在に至っている。
日本探偵作家クラブ会報と日本探偵作家クラブ賞は、それぞれ日本推理作家協会会報、日本推理作家協会賞に名称を改め、号数、回数は継承した。会報の編集委員は、山村正夫から、結城昌治、多岐川恭、加納一朗、城昌幸、加納、協会書記局(中島河太郎)、都筑道夫、中島、伴野朗、泡坂妻夫、井沢元彦、山前譲と受け継がれ、現在は、山前に大多和伴彦、日下三蔵を加えた三人が、これに当たっている。