健さんのミステリアス・イベント体験記 第92回
エドワード・ゴーリーのダークな世界三たび
二〇二〇年六月十三日~七月十七日 東京・東銀座 ヴァニラ画廊
ミステリコンシェルジュ 松坂健
久しぶりの登場。
とにかく、コロナ騒ぎでほとんどの劇場公演、イベントが中止。これでは、書ける題材がなし。と思っていた矢先、筆者である僕自身も病を得て、入院。世の中の自粛期間と入院期間がちょうど重なったわけだ。まあ、皆さんと同様、最大のミステリアス体験は、この強度の自粛生活だったかもしれないと思う。
NYのブロードウェイも今年いっぱいは閉めっぱなしというし、ロンドンの劇場街ウエストエンドも小屋の七割が経営不振でどうなるか分からないという状況。日本も決して楽観視できないということで、事務局と相談の上、毎月連載の形式をあらため、特筆すべきイベントなどがあった場合に原稿を寄せる形式にしようとなったので、どうかご了承願いたい。
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さて、経済活動が再開され、美術館、博物館なども人数制限つきで、開放され始めた。
東銀座のリトルミュージアム、ヴァニラ画廊も再始動で、本来四月から五月にかけて行われるなずだった、『エドワード・ゴーリーの世界展3』が六月十三日~七月十七日の日程で実現した。エドワード・ゴーリー没後二〇周年を顕彰してのものだから、本当に開催できてよかったと思う。
ゴーリー展は前回全国行脚した「エドワード・ゴーリーの優雅な秘密展」に続く三回目。
いずれのコレクションも濱中利信さんという一個人の収集物で構成されているというから、すごいものだ。
前回の「優雅な秘密」は少し一般的というか、ファンタジーやメルヘンの要素が強い展示だったが、今回は濱中さん曰くの「暗黒の香り漂うゴシックでメランコリーな一面にスポットを当てます」ということだから、見逃せないよね。
ゴーリーワールドとは何か。
そんなことは各人が答えを出せばいいのだが、僕には、普通の生活にふと闖入してくる「うろんな客」の存在感としかいえない。うろんな、というのは原語ではDoubtulなのだが、どうも腑におちない、理解しがたいものといった意味で、ゴーリーの代表作だ。うろんな客は、現実にはありえない動物の形をしているが、それがゴーリーさんにとっての、言語にできそうもない「存在」感を象徴するものだったのでないか。その存在への不安感がまさにダークでゴシックなゴーリーワールドを作っていたのではないか。
今回のイベントに関連して、月刊モエの二〇一九年十二月号がいわば展示会の図録として発刊されている。その中に、ゴーリーが終生愛した作家たちを紹介するコーナーがあり、いまわの際まで、こだわっていたのが紫式部の『源氏物語』だったというのは意外だった。
解説には「西洋文学にはない存在についての感情を表現している」ことが気に入ったのか、とある。「源氏」に出てくる物の怪、それがゴーリーにとっても「うろんな客」だったのかもしれない。
ゴーリーの日本趣味は本物だったらしく、終生の夢は京都の竜安寺の石庭を眺めることだったそうだ。
そんなことなら、どこかの出版社が日本ミステリの装丁などお願いしても良かったのじゃないかと、と思ったり。乱歩さん、久作あたりのものにどんな装画をしてくれたか見たかった気がする。
ちょっと理屈をこねすぎた。ゴーリーの作品は直接見て、居心地の悪さと妙な愛嬌とユーモアが同居していことを感じとればいいのではないだろうか。
それにしても、濱中さん、僕は個人的に若干のお付き合いがあるけれど、文房具メーカーにおつとめの実直なサラリーマンさんだ。とても、このような世界的な(大袈裟ではない)コレクションを作り上げた人のようには見えない。ふと入手したミステリの絵本(Audry - Gore Legacy)がきっかけで、コツコツ四〇年、こういう偉業がなせるんだなあ、とゴーリーさんと同様、濱中さんにも拍手を送りたい。