松坂健のミステリアス・イベント体験記

健さんのミステリアス・イベント体験記 第94回
乱歩さんは伊勢の人? それとも尾張の人?
江戸川乱歩旧居跡記念碑建立めぐって
2020年10月30日 名古屋・栄町

ミステリコンシェルジュ 松坂健

 名古屋市の栄といえば、市内いちばんの繁華街だが、その一角、広小路の交差点に乱歩さんを顕彰する記念碑が、建立された。除幕式は2020年10月30日で、市長はじめ多くの方々が列席し、にぎにぎしく執り行われた。
 この記念碑は、乱歩さんが名古屋に住んでいた寓居跡を示すもので、モチーフには怪人二十面相が選ばれ、その指さす方向に、乱歩さんが少年期を過ごした住居があるという設定だ。
 乱歩さんの碑といえば、やはり生誕地である三重県名張市の駅前の銅像が有名だし、こちらには彼がおぎゃーと生まれた生家の跡地もきれいに保存されていて、それを示す記念碑もある。同じ三重の鳥羽には小規模ながら江戸川乱歩館なる小さなミュージアムもあり、こと乱歩さんを観光資産に使おうということだと名張が一歩も二歩も先行していることになる。
 これに異議を唱えたのが、乱歩さんの母校である早稲田のOBで構成される名古屋稲門会の人たち。これに近代文学研究家のグループ、旧制五中(乱歩さんの出身高校)のOB会、栄町の商店街振興組合が参加して乱歩旧居跡記念碑建立実行委員会を立ち上げ、除幕式までこぎつけた経緯だ。
 彼らの根拠は、名張は乱歩さんが生まれただけで、2歳までしかおらず、彼の記憶には一片の名張のことも残っていないのだが、名古屋の方は、1897年から高校卒業の1912年まで合計15年間も住んでいたということにある。中学、高校と多感な青年期を過ごしたのだから、名古屋の地が乱歩さんの性格、作風などの影響を与えていないはずはない、というのが論拠だ。
 しかし、筆者にとっても、乱歩さんは伊賀上野、名張の人という印象が強い。もちろん、たびたび名張の地を訪れている親近感も手伝って、僕には、やはり伊勢の人であっても、尾張の人のイメージは薄い。
 実際、除幕式を見物に来ていた市民も、え~、乱歩って名古屋にいたの~、という人が多数を占めていたという。
 除幕式で挨拶に立った金城大学教授の小松史生子(しょうこ)先生など、最後は選挙演説さながらの絶叫調で「乱歩先生は名古屋の人なの~」と訴えたとのこと。
 ちなみに小松先生の研究だと、名古屋の浅草というべき大須観音さんの見世物小屋などには、のちのグロテスク趣味が反映しているのではないかという。
 除幕式の翌日は、名古屋市の市政資料館という大正11年に建てられた堂々たるクラシック建築(ここだけでも見に行く価値はあり)を会場に記念講演会も行われた。講師は小松先生と乱歩さんのお孫さん、平井憲太郎先生。
 なお、この講演に合わせてお隣町の蟹江町に生まれ、生涯、乱歩さんを側面で支え続けた小酒井不木展も行われた。17巻にわたる大全集を残したこの医学博士兼探偵作家の人となりについては、あまり語られることがなかったので貴重な機会ではなかったかと思う。
 乱歩さんはその後、大阪の守口にも住んでいるので、そちらにも寓居跡の記念碑ができると面白いなと思う。
 それにしても、乱歩さんは伊勢の人? それとも尾張の人? みなさんはどう思われるのだろうか。