第六十六回日本推理作家協会賞贈呈式・パーティ開催
本年度の日本推理作家協会賞贈呈式は、五月三十一日(金)午後六時より、新橋の第一ホテル東京「ラ・ローズ」にて開催された。
道尾秀介常任理事の司会で挨拶に立った東野圭吾理事長が「先日ある書類を書いたが、職業を書く欄で困った。自営業の項目に作家や小説家はない。[その他]を選んだ場合は詳しく書けとある。応対した女性が、ではサービス業ではいかがですかと言ったので、とても納得した。ミステリーを書くことは間違いなくサービス業だ。二年前の大震災の時、小説家に何ができるのだろうかと思ったが、サービス業と考えれば、いろいろと提供できるものがある。文学賞はたくさんあるが、この賞はもっとも良いサービスをした人に受け取っていただく賞ではないか。そう解釈するとこれほど楽しい賞はない。そういう賞を四回も運営する機会を持てたことを誇りに思っている。これも皆様のおかげであるというお礼の言葉を、私の最後の挨拶としたい」と語り、長編および連作短編部門の山田宗樹氏、短編部門の若竹七海氏、評論その他の部門の諏訪部浩一氏に正賞の腕時計(大沢商会協力)と副賞の五十万円を贈った。
続いて選考委員を代表して井上夢人氏が長編および連作短編部門の、佐々木譲氏が短編部門と評論その他の部門の選考経過を報告した。
井上氏は「各選考委員が候補作に付けた○△×の評価が議論の叩き台になる。×といっても作品の価値を否定するのではなく、あくまでこの賞にふさわしいかどうかの観点からである。山田作品は他の候補作を上回る三名の選考委員から○評価を受けた。しかし×評価の委員も二人いた。私は○評価の一人で、面白いシチュエーションのシミュレーション小説である本作を肯定的に読んだ。しかし×評価の委員からは、この政治家たちの行動や判断は少し常識から離れすぎているし、絵画や音楽、文学や映画など文化面への言及がないのはおかしいという批判があった。しかし永遠の命を得た者は創造性をなくすという設定がきちんと描かれているので、周到な作りになっているという意見もあり、議論は平行線をたどった。しかし消去法的な考えからではなく、積極的な判断で三人の委員が○をつけたことに、残る二人の委員が納得してくれたので、本作が受賞作と決まった」と熱弁を振るった。
佐々木氏は「選考会は何度も体験しているが、今回ほどすんなり決まったことはなかった。若竹作品は探偵役によってある謎が解明される過程が描かれ、隠されていた犯罪が暴かれる。しかしその過程が最後になって別の意味合いを持っていたことが分るという、非常に巧緻で魅力的な構成だった。最後のざわりとした感触が、言い短編を読んだという気にさせてくれた。謎の解明とは直接関係のないあるトリックが使われているが、余裕の読者サービスであるという気がした。文句なしの受賞だ。諏訪部さんが今回の著作で取り上げた「マルタの鷹」は四十年以上も前に読んだ。三人称客観描写の物語だが、「血の収穫」の方がずっと面白いと思っていた。今回は諏訪部さんの作品が候補になったので、小鷹信光さんの新訳を読んでから取りかかった。初めて読んだ時は、主人公のふるまいや行動の理由が分らないままだった。また当時のことなのでアメリカ西海岸の文化や風俗の知識もなかったので、よく読めていなかった。諏訪部さんはそれらの疑問を徹底して解読してくれた。その読み方や手さばきが快感で、しばしば目からウロコの思いを味わった。文芸作品を精読するということにこれだけの快感を得られるのかということをあらためて知った次第だ」と両受賞作を絶賛した。
この後、各受賞者から挨拶があった。山田氏は「この作品はいったんボツになったネタだった。それを墓場から引きずり出してくれたのは編集者だった。デビューから十五年だが、いつもこうだった。多くの編集者のさまざまな助言に助けられ、ここまで来た。そうでなければとうに小説家廃業だったと思う。お礼を言う方は大勢いるが、この場では特にこれまで私とおつきあい下さった編集者の皆様にお礼を述べたい。これからもよろしくお願いします」、若竹氏は「世界最高の短編作家はスタンリー・エリンだ。私は彼のことを本当に尊敬している。彼は一年に一編だけ短編ミステリーを書いて生活していた。私はその尊敬する彼を見習い、昨年一編だけ短編を書いた。それが今回受賞した。あんまり仕事をしない怠け者。こういう怠け者でも、呆れずに仕事の場を与えてくれた編集者のおかげです。この場を借りて誓います。今年は去年の倍書かせていただきます」、諏訪部氏は「話に収拾がつかなくなると困るので、原稿を用意した。普段の講義でも原稿を用意して、準備をしているというポーズをとりながら好き勝手な話をしている。二○○九年四月に研究社のウェブサイトで連載を始めた時、「講義」と付けたのも、そのような気持ちがあったから。講義なのだからいつものようにやればいいと。当時は本を一冊書いただけの若手で、一種の気楽さを確保しなければ、初めての連載という緊張感に対処できなかったと思う。ミステリーの評論を書くのも初めてで、うかつなことをいうとマニアの方に怒られると思ったことも緊張感の源になった。だがいつも通りのスタンスで続けることができた。十代の頃は奨励会に入りプロ棋士を目指していたが、努力も才能も足らずに挫折した。いわば第二の人生としてアメリカ文学の研究を選んだが、現在では天職と信じている。文学も英語も遅れて勉強を始めた私が、なんとかこれまでやってこられたのも家族や恩師や編集者のおかげだ。私以上に私のことを信じ、身に余る評価をしていただいた。今回の受賞についても、過分な評価をいただいたというやましさのような気持ちが強いが、伝統ある賞にふさわしい実力をつけ、ご恩返しをしていきたい。今後とも変わらぬご指導をお願いしたい」と、それぞれ喜びを語った。
続いて壇上に立った今野敏氏の提唱により、四月二十七日に亡くなった元理事長・佐野洋氏のご冥福を祈り献杯を行った。
その後今野氏は「三月に父親を見送り、四月に佐野さんがご逝去された。そこで考えたのが残された者の責任だ。世代交代ではないが、われわれ残された者が推理作家協会やミステリー界を引っ張っていかなければならない。間違いなく未来へと引っ張っていく方々がここに並んでいる」と挨拶し、壇上に上がった受賞者と選考委員ともども、力強い発声で乾杯し、三百人近い出席者は午後八時の散会まで、受賞者を囲み歓談のひとときを過ごした。当日の模様はスカイパーフェクTV!「AXNミステリチャンネル」で放映の予定である。