提言・翻訳ミステリに推理作家協会賞を!
海外ミステリの熱心な研究者であり、その紹介にも力を尽くした江戸川乱歩の時代から、日本のミステリは海外の作品との二人三脚で発展の道を歩んできた。一九五四年に探偵小説を推奨する目的で創設された江戸川乱歩賞が、立て続けに中島河太郎氏の『探偵小説辞典』、〈ハヤカワ・ポケット・ミステリ〉の刊行と、海外の作品にまたがる著作、叢書に賞を授けたのも、内外分け隔てのないミステリの発展を願ってのものであったと思う。
その後、翻訳ミステリの出版点数が増加したひと頃もあったが、現在海外作家は国内作家の陰に隠れがちな状況に陥って久しい。出版不況の直撃もあり、翻訳小説部門からの撤退や縮小に追い込まれた版元も少なくない。推理作家協会に所属される多数の翻訳者の皆さんや、海外作品の紹介に力を注いできた出版社各位は、冬の時代を痛感されているのではないだろうか。
しかし、インターネットが普及した今も、読者にとって小説が世界に向って開かれた窓であることに変わりはない。現在のわが国のミステリ界が、世界各国の多種多様な作品から学んだり、刺激を受けるなどの無形の恩恵を受けてきたことは、間違いないだろう。
一方で、わが国の文学が海外で注目される機会も増えている。ミステリの分野では、老舗のMWA(アメリカ探偵作家クラブ)主催のエドガー賞で、桐野夏生氏の『OUT』(二〇〇四年)や東野圭吾氏の『容疑者Xの献身』(二〇一二年)が最終候補となり、大きな話題となった。また、CWA(英国推理作家協会)のインターナショナル・ダガー賞には、横山秀夫氏が『64(ロクヨン)』(二〇一六年)で、さらに東野氏の『新参者』(二〇一九年)で相次ぎノミネートされたのも記憶に新しい。両賞以外でも、中村文則氏(デイヴィッド・グーディス賞)や湊かなえ氏(全米図書館協会アレックス賞)らの活躍もあった。
ちなみに横山氏や東野氏が候補に挙がったインターナショナル・ダガー賞は、主催するCWAが、二十一世紀に入り、質、量ともに成長著しい北欧をはじめとする非英語圏の作品の動きをいち早く捉え、二〇〇六年に従来のゴールド・ダガー賞部門から切り離し、独立させた経緯がある。その結果、非英語圏からの翻訳作品の注目度は上がり、自国をはじめ英語圏作品のアイデンティティが鮮明となるという相乗効果もあった。この見直しは、世界中に広がりつつあるミステリ文化のグローバル化促進のモデルケースとして、一つの成功例と言っていいだろう。
さて、やや前置きが長くなった。一部の協会理事の方々に相談をさせて頂きつつ、今回筆を執らせていただいたのは、長年にわたり翻訳ミステリに親しんできた一人として、また日本推理作家協会の一員として、日本ミステリ界の発展に重要な役割を担う協会にも、海外作品についてできることがあるのではないかと考えたからである。すなわち、推理作家協会賞に〝海外部門〟を新設してはどうだろうか、という提案である。
海外作品への賞の授与は、翻訳者や出版社という関係者に対する褒賞という意味だけではなく、日本のミステリ文化が、作品の輸入、輸出の双方向を重視していることを世界に向けてアピールすることにも繋がる。それはとりもなおさず、近年めざましい日本作家の海外進出にも、大きく寄与することは間違いないところだと思う。
ただ、賞の新設には課題もあると思う。その最たるものは、費用だろう。既に協会は、長編・短編・評論の三部門に毎年推理作家協会賞を授与しているが、当然、選考や授賞も費用を要し、協会の経済状況にさらなる負担を強いるのは良策とは言い難い。
まずは、コストを抑えた形での実施を検討する必要があるだろう。そして、場合によっては、スポンサー(後援者)を募るという方策を考えなければならないかもしれない。
後援者が替わる毎に賞の名称が変わってきた英国のCWA賞も、おそらくはこの方法を採用していると思しい。スポンサー探しは容易ではないだろうが、賞のネーミングライツを付与することを対価とするなど、理解ある企業や団体を募集するのがいいと思う。
また、もしもまとまった形でのスポンサードを得ることが難しい場合は、有志から募った寄付や協力金を基金のような形でプールし、そこから費用を捻出していく方法もある。資金調達の手段としては、クラウドファンディング等の利用も考えてもいいと思う。
いずれにしても、出資者を探さねばならないという大きな課題はあるが、選考や授賞にかかるコストを最小限に押さえての運営は、賞を続けていく上で必須となろう。慎重な準備、運営が必要なのは言うまでもないが、まずは五年といった期間限定でコストをかけない形で賞を試行し、その間に世間への知名度を上げるというのも、一つの方策ではないかと思っている。
翻訳業の方々は、十二年前に翻訳家と書評家有志の肝いりで、翻訳者が読者に読んでほしい作品を選定するという趣旨の〈翻訳ミステリー大賞シンジケート〉という活動をスタートさせ、翻訳業界として積極的な自助努力も行っている。しかし、協会にも多数所属されている翻訳関係者の方々への公平性という点でも、何らかの恩賞があってしかるべきだと考える。推理作家協会賞も七十四回を数える今、その具体策を考えるべき時期に差し掛かっていると思う。
海外ミステリの翻訳紹介に寄与し、日本ミステリ界全体にも資するところの大きい、この新賞の創設について、どうか前向きな検討がなされることを心から期待したい。実現に向けては、もしできることがあれば、率先してお手伝いを申し出る所存です。
上記、三橋暁さん提言を受けて、翻訳ミステリー部門設立が実際に可能であるか、現実面の検討を行うことが第三回理事会にて承認されました。阿津川辰海・斜線堂有紀・杉江松恋(理事)・松坂健・三橋暁をメンバーとする準備委員会が以降その任に当たります。経過は都度この協会報等でご報告してまいりますので、ご協力の程をお願いいたします。(杉江)