新入会員紹介

新入会員挨拶

阿部暁子

 新入会員の阿部暁子です。多くの方々のご協力をいただいて入会いたしましたが、私はまだミステリ作家ではありません。ミステリ系文学賞を受賞したこともなく、ミステリ作品もまだ一作しか書いたことがありません。その一作も、刊行の準備中です。
「ミステリ」というジャンルそのものが、私には深遠な謎です。
 私は「乙女のバイブル」コバルト文庫からデビューしました。そこで乙女がまったく恋愛しない、顧客のニーズを無視した作品ばかり書いて鳴かず飛ばずの年月を送り、まあそれはどうでもいいのですが、ある時「流行のライトなミステリを書いてみましょう」と担当編集者に提案されました。私は流れに身をゆだねて生きるイエスマンなので「書きます」と即答しましたが、その時点で読んだことのあるミステリ作品は片手で数えられる程度でした。宮部みゆき先生の『火車』は痛切な感動に胸を抉られましたし、大沢在昌先生の『新宿鮫』シリーズはあまりの面白さに連日徹夜で読みふけりました。しかし触れた数がやはりあまりにも少なく、当時の私はミステリについて無知でした。ホワイダニットもフーダニットもわかっていませんでした。
 安請け合いしたもののなかなか作品を書き上げられず、私はじわじわと追い詰められました。そこで私は、多くのミステリ作品を手掛けてきた編集者S氏にSNSを通じて教えを乞いました。これがご縁で一緒にお仕事させていただくことになるのですが、これはもう少し後の話です。
「それさえ押さえればミステリとして成立する秘訣のようなものはありますか?」と私は質問しました。〆切が迫っていたとはいえ、随分あけすけで思い返すと居たたまれません。そういう秘訣のようなものはないのだ、とやんわりした答えが返ってきました。そんな殺生なと落ち込む私に、S氏はなんと「ミステリ講座初級編」を開いてミステリの基礎知識を伝授してくれました。これがもうめっぽう面白いのですが、字数の問題上割愛します。
 その後ライトなミステリは何とか書き上げましたが「ライトな」というワンクッションで許されている出来だということは、自分でもわかっていました。この時から私は考えるようになりました。「ちゃんとミステリを書けるようになりたい」「しかし、ではミステリって何なのか?」と。
 本当なら体系立てた知識を得るところから始めるべきなのですが、説明書を読むのが大嫌いで「使えばわかる」といきなり家電をさわる私は「読めばわかる」とミステリ作品を読むことに注力しました。しかし読めば読むほどよくわからなくなりました。密室トリックも警察小説も日常の謎も本格も新本格も全部ミステリ。ミステリ帝国はあまりにも広大で全容が見えない。しかもミステリとして売り出され、私にはミステリだと思える作品も、読者から「これはミステリではない」という声が上がることもある。なぜそんな声が出たのか? どうであれば「これはミステリだ」と言えるのか?
 何の答えも出ないまま、私はS氏と作品づくりをすることになりました。書き上げたものは「ミステリだ」と判断され、改稿作業が始まりました。戦慄しました。熟達の編集者の目によって矛盾点が徹底的に洗い出され、その矛盾を正すことを求められる。しかしそれを直すことによって物語に齟齬が出てはならない。それまで私はこんなにも容赦も際限もない修正を求められたことがなく、たちまち疲弊しました。しかし同時に、ミステリ作品を作り上げることの厳しさを体験して、うっすら見えたものもありました。
 一作のミステリには、作り手の執念がこもっている。最後に読者をあっと言わせるため、冒頭の一文から策略を張り巡らせ、それを読者に悟らせないため、かつ読者に対してフェアであることを貫くため、自分が持てる知識と技巧を尽くす。それさえ押さえればミステリを成立させられる秘訣はわからない、でもこのとことん自覚的で能動的な意志がなければミステリは成り立たないのだということはわかりました。
「自分はミステリ作家だ」と名乗る書き手は、手がけた作品をミステリとして全うさせるという揺るぎない意志を持った人であり、その意志のもとに読者へ向けて渾身で仕掛けた「謎」がドラマと完全に調和した時、その作品には、他のジャンルにはない途方もない感動が生まれる。
 そういう意味では、私はまだミステリ作家ではありません。それを名乗るにはあまりに未熟です。しかしいつか必ず、読者をあっと言わせ、自分でも「これはミステリだ」と胸を張って言える、すごく面白い小説を書きたい。その野望のため、日本推理作家協会の一員として精進していきます。