火中の栗を拾う
以前は古代中国を舞台の時代小説ばかり読んでいたのだが、このところ日本を舞台の時代小説に読書の中心を移した。
そうしたところ、とんでもない時代考証間違いに気づいた。
時代考証がきっちりした名うての方々の作品なのだが、「火中の栗を拾う」が頻出する。これは実はフランスの詩人ラ・フォンテーヌが著書『寓話』の中で書いた言葉「tirer les marrons du feu」で英訳だと「pull chestnuts out of the fire」となる。邦訳は昭和十七年が初めて。
ただ、大正四年に徳富蘇峰が「日本が列強の為に、自ら手を火中に投して、栗を拾い上げたるは、智なりとせん乎、愚なりとせん乎」と使っているので、明治時代の末期には、知識人の間では知られていた言葉だろう。
ラ・フォンテーヌの『寓話』は寛文八年(一六六八)の発表なので、これ以前の使用は、どうにも戴けない。ところが鎌倉時代が舞台の時代小説に頻出するのだ。日本古来の諺だと錯覚するのだろう。
「一石二鳥」も、そう。これは英語の諺「To kill two birds with one stone」からの翻訳造語で、幕末から英和辞典に収載され、明治時代になって「一石を以て二鳥を殺す」と訳された。これを「一石二鳥」と、いかにも諺っぽくしたのは昭和十九年の八木義徳。時代小説に使うのなら「一挙両得」でなければならない。これは中国の『晋書』の「束晳伝」に出て来る。
「又昔魏氏徙三郡人在陽平頓丘界、今者繁盛、合五六千家。二郡田地逼狹、謂可徙還西州、以充邊土、賜其十年之復、以慰重遷之情。一舉兩得、外實內寬、增廣窮人之業、以辟西郊之田、此又農事之大益也」という文章である。