日々是映画日和

日々是映画日和(138)――ミステリ映画時評

三橋曉

 北アイルランドの中心都市の名をそのまま頂いた『ベルファスト』は、同地出身のケネス・ブラナーが生まれ育った町への郷愁と、幼い頃から培った家族愛を、主人公少年の成長の中に映し出してみせる。巻き起こった内戦状態への市民たちの困惑や、子どもの目線で捉えた宗教問題の卑小さなど、フィクションの中でしか紛争を知らない我々が初めて知らされることも少なくない。『オリエント急行殺人事件』でキャストの要にあったジュディ・デンチの祖母役が人生について呟く悟りにも似た独白が心にしみいる。さりげなく描かれる、ブラナーがミステリの女王に愛着を抱く一因も、どうかお見逃しなく。

 ケネス・ブラナーがハリウッドでポアロ・シリーズをリブートさせるにあたり、『オリエント急行殺人事件』を最初に選んだのは、知名度の高さに加え、豪華な配役が映える作品だからだろう。第二弾の『ナイル殺人事件』も同じ理由に違いないが、さすがに数多の登場人物はほぼ半分に絞られている。しかしそれでも群像劇には十分で、原作を読んでいない観客は、手の込んだフーダニットに幻惑されるのは間違いない。
 婚約者のアーミー・ハマーを親友のガル・ガドットに奪われたエマ・マッキーは二人を執拗につけ回し、新婚旅行先のエジプトにも姿を現した。居合わせたポアロ(ケネス・ブラナー)は彼女を嗜めるが、ナイルを遊覧する豪華船上で殺人事件が発生する。しかし、最も疑わしい容疑者には完璧なアリバイがあった。事件は連鎖反応のように続き、ついにはポアロの目の前で悲劇が起きてしまう。
 ケネス・ブラナーの意欲は本物で、原典に敬意を表しつつ、大胆な解釈を加えてみせる。とりわけ、幕開きのシークエンスはクリスティー・ファンを驚かせるに十分。さらに、前作との二部構成ともいえる趣向が意表を突く。今回は勇み足の予告編なしだが、ぜひとも三作目を観てみたい。(★★★1/2)*二月二五日公開

 結婚の誓いの言葉 till death do us part から採られたタイトルの『ティル・デス』だが、夫の死後もその繋がりを断てない妻の物語だ。暴行事件の被害に遭い、抵抗して犯人の片目を潰したミーガン・フォックスの弁護士だったオーエン・マッケン。それが縁で二人は結婚したが、時がたち関係は冷え切っていた。しかしサプライズで思い出深い湖畔の別荘に彼女を誘い、久々に幸せな一夜を過ごした結婚記念日の翌朝、夫は互いの手首を手錠で繋ぎ、目の前で拳銃自殺を遂げてしまう。
 もうおわかりのように、繋がりとは物理的なもので、ヒロインは夫の死体を引きずり、孤立した別荘からの脱出を余儀なくされる。『ソウ』以来、シチュエーション・スリラーの小道具としておなじみとなった手錠の使い方が絶妙で、罠にかかったヒロインの逆境がサスペンスを生み、中盤から加わる新たな脅威が緊張感を加速させていく。夫の動機にもうひと工夫があれば、さらに良かったと思う。(★★★)*二月一一日公開

『別離』のアスガー・ファルハディを産んだイランから、またも新たな才能が。『白い牛のバラッド』は、ベタシュ・サナイハとマリヤム・モガッダムという男女の監督・脚本コンビによる作品で、モガッダムは自ら主演女優も務めている。
 夫が死刑囚として処刑されて一年。妻のもとに、夫は冤罪だったとの知らせがもたらされる。しかし司法当局の説明に納得いかず、悲しみはいや増すばかりだった。そんな折、聴覚に障害のある娘とつましく暮らす彼女を夫の知人が訪ねてくる。借りていたという金を返し、何くれとなく親切な男に、母娘は好感を抱くようになるが、男はある秘密を抱えていた。
 今や死刑制度が残存する国家は、わが日本を含む世界の少数派だが、厳格なイスラム法下のイランは、中国に次ぐ死刑大国として知られる。冤罪を語られる土壌は十分にあり、本作の死刑執行にまつわる悲劇にも説得力がある。ある事実が中盤まで観客にも伏せられているのは、ヒロインの受けた衝撃を共有させるためだろう。そういう意味で、ミステリの仕掛けが見事に機能している。(★★★1/2)*二月一八日公開

 かつてノオミ・ラパスは、自分はロマの血筋かもしれないと語っていたことがあるが、彼女が主演する『マヤの秘密』は、ナチスの迫害が流浪の少数民族にも及んだジプシー絶滅政策のその後の物語である。
 一九五〇年代のアメリカのローカル都市。ルーマニア移民のマヤ(ノオミ・ラパス)は、息子と夫(クリス・メッシーナ)の三人家族で平和な日々を送っていたが、公園で偶然耳にした指笛が、先の大戦中の忌まわしい記憶を甦らせる。ロマの血をひく彼女は囚われた収容所から逃走したが、ナチスの敗残兵から乱暴を受け、妹は命を落としていた。指笛の主がその兵士と確信したマヤは、男(ジョエル・キナマン)を誘拐し、自宅の地下に監禁する。しかし事態は互いの配偶者を巻き込み、思わぬ展開を遂げていく。
 復讐心に駆られるヒロインと必死に人違いを主張する男。夫はというと、妻を愛しつつも、男に自白を強要する常軌を逸した妻の様子から、彼女の正気を確信できない。実はマヤの心の中にも懸念と葛藤があって、誰もが信用できない重苦しさの中に、物語の行き着く先が見えないスリルがある。ポランスキーの『死と処女』を思い出させる、汚された魂の浄化の物語だともいえる。(★★★)*二月一八日公開

※★は最高が四つ、公開日記載なき作品は、すでに公開済みです。