推理小説・二〇二一年

野地嘉文

 前年に引き続いて新型コロナウイルス感染症に振り回された一年だった。九月末には都道府県ごとに発令されていた感染拡大防止を目的とする緊急事態宣言は一斉に解除されたが、十一月末に新たな変異株が確認され、不安な一年が過ぎた。その一方で巣ごもり需要の影響もあり、出版科学研究所によると二〇二一年の出版物の推定販売金額は三年連続で増加した。拡大が続く電子出版だけでなく、紙の書籍が十五年ぶりにプラスに転じたことは朗報である。反面、雑誌は厳しい状況が続いている。その中にあって光文社の専門誌『ジャーロ』が季刊から隔月刊となり、東京創元社の『ミステリーズ!』は二月号で最終号となったものの、十月には後継として総合文芸誌『紙魚の手帖』が創刊されたことは心強い。講談社の『メフィスト』については定額会員制の読書クラブMephisto Readers Clubの会員限定小説誌として季刊で刊行されることになった。
 二〇二一年もコロナ禍を意識した作品が多く、パンデミックに潜む陰謀を扱った榎本憲男『コールドウォーDASPA吉良大介』(小学館)、現時点から阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件等の大事件が起こった年を振り返る西村健『激震』(講談社)、ゾンビ化するウイルスが蔓延する吉川英梨『感染捜査』(光文社)、人類が絶滅に瀕する安生正『ホワイトバグ 生存不能』(宝島社)、コロナを避けて過去に避難する山本巧次『大江戸科学捜査 八丁堀のおゆう ステイホームは江戸で』(宝島社)が印象的だった。アンソロジーでは千街晶之編『伝染る恐怖 感染ミステリー傑作選』(宝島社)が編まれている。第二十四回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞した茜灯里『馬疫』(光文社)もウイルスの流行に加え、もうひとつのトピックである東京オリンピック開催を絡めたこの年らしい作品である。現実の出来事が短期間にこれほど多くのフィクションに影響を及ぼしたのは太平洋戦争とその敗戦に匹敵するのではないか。
 続いて新人賞を概観すると第六十七回江戸川乱歩賞は桃野雑派『老虎残夢』と伏尾美紀『北緯43度のコールドケース』(共に講談社)が十年ぶりに二作同時受賞となった。豊島区とパートナーシップを結び一般観客を招いた公開贈呈式やYouTubeのライブ配信も実施された。ほかに第十九回「このミステリーがすごい!」大賞の大賞は新川帆立『元彼の遺言状』、同文庫グランプリは亀野仁『暗黒自治区』と平居紀一『甘美なる誘拐』(共に宝島社)、第十三回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞は平野俊彦『報復の密室』と文縞絵斗『依存』(共に講談社)、第六十三回メフィスト賞は潮谷験『スイッチ 悪意の実験』(講談社)、第二十八回松本清張賞は波木銅『万事快調 〈オール・グリーンズ〉』(文藝春秋)、第三回警察小説大賞は直島翔『転がる検事に苔むさず』(小学館)、第四十一回横溝正史ミステリ&ホラー大賞の大賞は新名智『虚魚』、同読者賞は秋津朗『デジタルリセット』(共にKADOKAWA)、第十一回アガサ・クリスティー賞の大賞は逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』(早川書房)、第八回新潮ミステリー大賞は京橋史織『午前0時の身代金』(新潮社)、第四十三回小説推理新人賞はくぼりこ「爆弾犯と殺人犯の物語」(『小説推理』二〇二一年八月号)、第五回大藪春彦新人賞は浅沢英「萬」(『読楽』二〇二二年一月号)、第八回暮らしの小説大賞はくわがきあゆ『焼けた釘』(産業編集センター)がそれぞれ受賞した。第三十一回鮎川哲也賞は受賞作なしとなった。
 新人賞以外では第三十四回山本周五郎賞と第一六五回直木三十五賞は佐藤究『テスカトリポカ』(KADOKAWA)に栄冠が輝いた。第二十三回大藪春彦賞は坂上泉『インビジブル』(文藝春秋)、第七十四回日本推理作家協会賞長編および連作短編集部門はその『インビジブル』と櫻田智也『蝉かえる』(東京創元社)、短編部門は結城真一郎「#拡散希望」(『小説新潮』二〇二〇年二月号)、評論・研究部門は真田啓介『真田啓介ミステリ論集 古典探偵小説の愉しみⅠフェアプレイの文学』『同Ⅱ悪人たちの肖像』(共に荒蝦夷)、第二十一回本格ミステリ大賞小説部門は前述の『蝉かえる』、評論・研究部門は飯城勇三『数学者と哲学者の密室 天城一と笠井潔、そして探偵と密室と社会』(南雲堂)、第四十九回泉鏡花文学賞は村田喜代子『姉の島』(朝日新聞出版)、第十二回山田風太郎賞は米澤穂信『黒牢城』(KADOKAWA)、第二十四回日本ミステリー文学大賞の大賞は黒川博行に贈られた。第四回書評家・細谷正充賞はミステリから川瀬七緒『ヴィンテージガール 仕立屋探偵 桐ヶ谷京介』(講談社)と羽生飛鳥『蝶として死す 平家物語推理抄』(東京創元社)、西尾潤『マルチの子』(徳間書店)、高野史緒『まぜるな危険』(早川書房)が選ばれた。
 ジャンル別では特に本格ミステリが豊作だった。十五秒で推理する奇想が楽しい榊林銘『あと十五秒で死ぬ』(東京創元社)、河川の氾濫で閉鎖されている空間での探偵の葛藤を描く阿津川辰海『蒼海館の殺人』(講談社)、就活生が採用枠を巡り心理戦を繰り広げる浅倉秋成『六人の嘘つきな大学生』(KADOKAWA)、推理ロジックが圧巻な相沢沙呼『invert 城塚翡翠倒叙集』(講談社)、クローズドサークルのなかでスペクタクルな展開をみせる今村昌弘『兇人邸の殺人』(東京創元社)、異様な風習における恐怖譚、三津田信三『忌名の如き贄るもの』(講談社)、本格要素を批評的に再構成した知念実希人『硝子の塔の殺人』(実業之日本社)、昭和裏面史小説でもある伊吹亜門『幻月と探偵』(KADOKAWA)、戦中の大阪船場の商家が舞台の芦辺拓『大鞠家殺人事件』(東京創元社)、テロに襲われた限界集落での事件を描いた結城真一郎『救国ゲーム』(新潮社)、独自の生態系を有する無人島での連続殺人、越尾圭『楽園の殺人』(二見書房)等があった。
 本格と並んで隆盛を誇る警察小説関連では、傍若無人な先輩にしごかれる新米刑事の成長物語、堂場瞬一『刑事の枷』(KADOKAWA)、女性判事と元服役囚の交流を通して人を裁く苦しみを描いた一雫ライオン『二人の嘘』(幻冬舎)、占領下の沖縄を舞台にした伊東潤『琉球警察』(角川春樹事務所)、手配犯の身柄引取にミャンマーに赴く月村了衛『機龍警察 白骨街道』(早川書房)、死刑執行後に届いた〝真犯人〟からの手紙が司法を揺るがす深谷忠記『執行』(徳間書店)、拷問王と呼ばれる実在の刑事が起こした冤罪事件がモデルの安東能明『蚕の王』(中央公論新社)等が記憶に残る。アンソロジーには西上心太編『矜持─警察小説傑作選』(PHP研究所)、『警官の道』(KADOKAWA)があった。
 サスペンス・冒険・スパイ小説では、治安維持法の犠牲となった小林多喜二を取り上げた歴史スパイ小説、柳広司『アンブレイカブル』(KADOKAWA)、ジョン万次郎がエイハブ船長と同船する海洋冒険小説、夢枕獏『白鯨 MOBY‐DICK』(KADOKAWA)、猟奇殺人犯の子供を引き取ることになった心理サスペンス小林由香『まだ人を殺していません』(幻冬舎)、金正日のヒッチコック論を探索する阿部和重『ブラック・チェンバー・ミュージック』(毎日新聞出版)、はみ出し少年たちが力を合わせる冒険ミステリ伊兼源太郎『ぼくらはアン』(東京創元社)等がある。
 幻想・ホラー関連では、解離性同一性障害の女性を描いたサイコスリラー花村萬月『対になる人』(集英社)、社会派幻想ミステリともいうべき倉数茂『忘れられたその場所で、』(ポプラ社)、カルト教団をテーマにした澤村伊智『邪教の子』(文藝春秋)、怪談実話と本格の融合である大島清昭『影踏亭の怪談』(東京創元社)、七月創刊の新レーベル「二見ホラー×ミステリ文庫」からは怪談語りが推理によって除霊を行う緑川聖司『怪を語れば怪来たる 怪談師夜見の怪談蒐集録』(二見書房)等が成果として挙げられるだろう。井上雅彦監修のアンソロジー『異形コレクション』(光文社)も『秘密』『狩りの季節』が刊行された。
 ほかに認知症の老婦人が人生探しの旅に出るロードノベル宇佐美まこと『羊は安らかに草を食み』(祥伝社)、暗号に導かれて少年時代の事件を追う呉勝浩『おれたちの歌をうたえ』(文藝春秋)、オウム真理教のサリン事件に焦点をあてたノンフィクションノベル帚木蓬生『沙林 偽りの王国』(新潮社)、解決済みとされていた事件が過去の事件によって解明される東野圭吾『白鳥とコウモリ』(幻冬舎)、兄を殺しに行く老人の旅を描く遠田潤子『緑陰深きところ』(小学館)、娘を守るため因習深き故郷の秘密と対峙する道尾秀介『雷神』(新潮社)、三部作の完結編でアメリカ新大陸に舞台を移した皆川博子『インタヴュー・ウィズ・ザ・プリズナー』(早川書房)、幸福な少女が両親惨殺を機に人生を狂わせる大河ミステリ小池真理子『神よ憐れみたまえ』(新潮社)、サマースクールの跡地から発見された白骨から紡ぎ出される心理小説、辻村深月『琥珀の夏』(文藝春秋)、黙示録の東京を描いた超大作、竹本健治『闇に用いる力学』(光文社)、独自の価値観を持つ島の百五十年を活写する大河小説、貫井徳郎『邯鄲の島遥かなり』(新潮社)、束縛する母親と依存する娘が破滅に向かう真下みこと『あさひは失敗しない』(講談社)、元ヤクザの私立探偵のハードボイルド木内一裕『ブラックガード』(講談社)、政治の世界における青年の友情と裏切りの物語、早見和真『笑うマトリョーシカ』(文藝春秋)、『坊っちゃん』『大菩薩峠』等を引用しつつ進行するオールスター伝奇譚の真藤順丈『ものがたりの賊』(文藝春秋)、ロマン溢れるディストピア小説、小田雅久仁『残月記』(双葉社)、雑誌『幻影城』掲載短編を中心にした霜月信二郎『霜月信二郎探偵小説選』(論創社)等が印象深い。戦前の探偵作家である小栗虫太郎の恋愛小説『亜細亜の旗』(春陽堂書店)の新発見と刊行には驚かされた。
 評論等には鈴木優作『探偵小説と〈狂気〉』(国書刊行会)、田口俊樹『日々翻訳ざんげ エンタメ翻訳この四十年』(本の雑誌社)、藤井淑禎『乱歩とモダン東京─通俗長編の戦略と方法』(筑摩書房)、落合教幸・阪本博志・藤井淑禎・渡辺憲司編『江戸川乱歩大事典』(勉誠出版)、書評七福神編著『書評七福神が選ぶ、絶対読み逃せない翻訳ミステリベスト2011‐2020』(書肆侃侃房)、若林踏『新世代ミステリ作家探訪』(光文社)、竹内康浩・朴舜起『謎ときサリンジャー─「自殺」したのは誰なのか─』(新潮社)、遠藤正敬『犬神家の戸籍「血」と「家」の近代日本』(青土社)、法月綸太郎『法月綸太郎ミステリー塾 怒濤編 フェアプレイの向こう側』(講談社)がある。
 復刊・再編集企画の北上次郎・日下三蔵・杉江松恋編『日本ハードボイルド全集』(東京創元社)では、人との接触が制限されるコロナ禍の現代において孤独を身上とするハードボイルドの再評価が期待される。日下三蔵編『横溝正史少年小説コレクション』(柏書房)はかつての文庫では改稿されていた作品を原型に戻した好企画。評論やコラムも収録し多面的に雑誌の魅力をとらえた『新青年』研究会編『「新青年」名作コレクション』(筑摩書房)や、発足まもない変格ミステリ作家クラブゆかりの『竹本健治選 変格ミステリ傑作選 戦前篇』(行舟文化)等のアンソロジーもあった。
 各地の文学館ではミステリの企画展等が開催された。青森県近代文学館『ミステリーの魔術師 高木彬光生誕100年展』、さいたま文学館『没後55年記念 江戸川乱歩と猟奇耽異』、神奈川近代文学館『創刊101年記念展 永遠に「新青年」なるもの─ミステリー・ファッション・スポーツ─』、くまもと文学・歴史館『没後40年 横溝正史展─新発見書簡に見る探偵小説作家の素顔─』、山梨県立文学館『企画展 ミステリーの系譜』、ふくやま文学館『特別展「島田荘司─大河小説、戦後昭和史・平成史、土地の物語としての〈吉敷竹史シリーズ〉』である。一方、火事で「江戸川乱歩館─鳥羽みなとまち文学館」が貴重な資料と共に焼失したことは心痛む出来事だった。
 そして最後にお悔やみである。二月に飛鳥高、四月に三好徹、十月に松坂健、樋口有介、福本直美、十一月に徳山諄一、笹本稜平、中田耕治が逝去した。飛鳥高は一九二一年生まれ。一九四六年「犯罪の場」が『宝石』第一回懸賞に入選し、一九六二年『細い赤い糸』が第十五回日本探偵作家クラブ賞受賞。九十九歳で亡くなるまでミステリ界の長老として親しまれた。三好徹は一九三一年生まれ。一九六七年『風塵地帯』が第二十回日本推理作家協会賞、一九六八年に「聖少女」が第五十八回直木賞を受賞している。一九七九年から第十期日本推理作家協会理事長に就任、改革に尽力した。松坂健は一九四九年生まれ。『ハヤカワミステリマガジン』等でミステリ評論家として活躍。書肆盛林堂からの瀬戸川猛資・松坂健『二人がかりで死体をどうぞ─瀬戸川・松坂ミステリ時評集─』の刊行に一歩間に合わず逝ったことが哀しい。樋口有介は一九五〇年生まれ。一九八八年『ぼくと、ぼくらの夏』が第六回サントリーミステリー大賞の読者賞受賞。福本直美は一九五四年生まれ。『SFマガジン』等にてSF評論家として活躍。徳山諄一は一九四三年生まれ。一九八二年に井上泉(筆名:井上夢人)との合同ペンネーム岡嶋二人名義で応募した『焦茶色のパステル』が第二十八回江戸川乱歩賞受賞。一九八五年『チョコレートゲーム』が第三十九回日本推理作家協会賞長編賞、一九八九年『99%の誘拐』(共に岡嶋二人名義)で第十回吉川英治文学新人賞を受賞した。笹本稜平は一九五一年生まれ。二〇〇一年『時の渚』で第十八回サントリーミステリー大賞と読者賞、二〇〇四年『太平洋の薔薇』で第六回大藪春彦賞受賞。中田耕治は一九二七年生まれ。翻訳家としてミッキー・スピレインやロス・マクドナルド等を紹介した。テレビドラマで「古畑任三郎」を演じた田村正和、マンガ『ゴルゴ13』のさいとう・たかをも亡くなっている。
 在りし日のご活躍を改めて思い起こす。
 故樋口有介の直木賞候補作『風少女』には、大学生の主人公が姉の車を借りてヒロインの通う女子高の前で待つ場面がある。カーステレオからは同じ曲が繰り返し流れ、

 それにしても姉貴は島倉千代子の『人生いろいろ』ばっかり、なぜこうもくり返しテープに入れておくのか。

 と主人公はぼやく。離婚して実家に戻っている姉はふたたび前に進むために車のなかでひとり何度もこの曲を聴きながら自分を癒しているのだろう。現実の世界ではコロナ禍のダメージから回復する兆しはまだないが、人生はいろいろで、この先にはきっと希望があると信じつつ、振幅の大きかった二〇二一年を振り返りたい。