入会のご挨拶
この度、日本推理作家協会の末席に加えていただくことになりました、彩藤アザミと申します。
入会にあたっては佐藤青南先生、結城真一郎先生の推薦をいただきました。この場を借りて深く感謝を申しあげます。
と、定型通りのお礼で冒頭をしめたいところなのですが、実は手続き中、事務局の方から「特定の賞を獲っている者は推薦者がいらない」のだという規定をご教示いただきました。どうやら私の調べが足りないばかりにお二方には余計なお手間をとらせてしまったようです。この場を借りて、お詫びも申し上げておきます。
獲った賞というのは「新潮ミステリー大賞」という新人賞でして、私は二〇一四年にこちらをいただいてデビューいたしました。受賞作はミステリーと銘打った賞にしてはずいぶんとミステリ要素の薄い、というか味付け程度にしかない怪奇青春小説です。
正直なところ、こういった小説が賞をもらうことには賛否があったかと思います。自分でもミステリ書きだという自負は未だに持ち切れておりません。
それでも推理小説の新人賞からデビューした義理を果たそうと、デビュー二作目では「推理小説らしい」推理小説を書くため腐心いたしました。屋敷ごと動く仕掛けが……吹き抜けからワイヤーで死体を……などなど、それはもうベタなネタを考えたものです。ですが当時の担当編集某氏にはどんなアイディアを語っても渋面をされるばかりでして、しまいにはこう言われたのです。
「こういう物理トリックはね、職人芸みたいなものだから真似しないほうがいいよ」
これは本当にそのとおりだなと得心したことをよく覚えています。優れた物理トリックはきっと鬼才と呼ばれる人々にしか書けないものなのです。
私はいい意味で「推理小説らしい推理小説」を断念しました。
そして二作目は「ある人物が生きているのか否か?」が争点となる、物理ではない、驚天動地の目新しさもない小説を上梓したのです。
悩みに悩みながら仕上げたその作品は売れたとは言い難いのですが、ありがたいことに一部では「手堅い」という評を聞くようになりました。ご興味のある方は「樹液少女」で検索を。
その後もガチなミステリへの憧憬は胸にしまい、自身はライトなキャラクターミステリやホラーミステリを書くようになったわけですが、ミステリというジャンルは懐が広いもので、「軽い謎だから」こそ、「ホラーやファンタジーといった不確定要素があるから」こそ、面白い! ということが往々にしてあるのです。
それらの作品には大トリックや精緻な論理の帰結など求められてはいません。むしろノイズにすらなる場合もあります。ですがその作品世界を成立させるにあたっては「謎」が欠かせないのです。
こういうタイプのミステリならば私にも面白い小説が書けるはずだと信じられるようになったゆえに今があります。
というより、私は元々謎解きを縦軸に横軸で別のドラマが展開するタイプのミステリが特に好きだったので、迷走の果てに初心に帰ったとも言えますね。
おそらく私は今後も端正なロジカルミステリの書き手にはなれないでしょう。なるつもりもありません。私は私の土俵で戦おうと思います。
ですが前述のように、ミステリというジャンルは非常に懐が広く、奥は際限なく深いものです。純粋な謎の強度で勝負し難いことが面白いミステリを書けなくなる理由にはならないはずなのです。
とはいえ「絶対に傑作ライトミステリを書くぞ!」などと熱く意気込むのは自分には似合わないので、「今後もなるべく面白いミステリを書きたいです」としか言えないのですが、入会するからにはミステリというものをより深く愛していけたらと思っています。書くことも読むことも、です。
以前こんな言葉を聞いたことがあります。
「『映画が好きな人』と『好きな映画がある人』は違う。前者はクソ映画も楽しめる」
ミステリも同じではないかと思うのです。
山ほどのミステリを読んできたあなたならきっと「これは酷い」と言いたくなるミステリと出会ったことがあるはずです。ないとは言わせません。
ですが、それすらも愛してこられたのではないでしょうか?
私はそうでした。
「ここがダメ、ここは納得いかない……」と言いつつも、「ここは新しい、ここは意外だった……」と、ぶつくさ言って、結局楽しんでいるのです。
そうしてそれらを糧に新たなミステリを書いております。
つまりは私もミステリを愛好してきた一人であり、魅力的な謎を作ろうと頭をひねる作家の端くれだというわけです。
未熟者ではございますが、どうか同志と思っていただけますと幸いです。改めまして、よろしくお願い申し上げます。
入会にあたっては佐藤青南先生、結城真一郎先生の推薦をいただきました。この場を借りて深く感謝を申しあげます。
と、定型通りのお礼で冒頭をしめたいところなのですが、実は手続き中、事務局の方から「特定の賞を獲っている者は推薦者がいらない」のだという規定をご教示いただきました。どうやら私の調べが足りないばかりにお二方には余計なお手間をとらせてしまったようです。この場を借りて、お詫びも申し上げておきます。
獲った賞というのは「新潮ミステリー大賞」という新人賞でして、私は二〇一四年にこちらをいただいてデビューいたしました。受賞作はミステリーと銘打った賞にしてはずいぶんとミステリ要素の薄い、というか味付け程度にしかない怪奇青春小説です。
正直なところ、こういった小説が賞をもらうことには賛否があったかと思います。自分でもミステリ書きだという自負は未だに持ち切れておりません。
それでも推理小説の新人賞からデビューした義理を果たそうと、デビュー二作目では「推理小説らしい」推理小説を書くため腐心いたしました。屋敷ごと動く仕掛けが……吹き抜けからワイヤーで死体を……などなど、それはもうベタなネタを考えたものです。ですが当時の担当編集某氏にはどんなアイディアを語っても渋面をされるばかりでして、しまいにはこう言われたのです。
「こういう物理トリックはね、職人芸みたいなものだから真似しないほうがいいよ」
これは本当にそのとおりだなと得心したことをよく覚えています。優れた物理トリックはきっと鬼才と呼ばれる人々にしか書けないものなのです。
私はいい意味で「推理小説らしい推理小説」を断念しました。
そして二作目は「ある人物が生きているのか否か?」が争点となる、物理ではない、驚天動地の目新しさもない小説を上梓したのです。
悩みに悩みながら仕上げたその作品は売れたとは言い難いのですが、ありがたいことに一部では「手堅い」という評を聞くようになりました。ご興味のある方は「樹液少女」で検索を。
その後もガチなミステリへの憧憬は胸にしまい、自身はライトなキャラクターミステリやホラーミステリを書くようになったわけですが、ミステリというジャンルは懐が広いもので、「軽い謎だから」こそ、「ホラーやファンタジーといった不確定要素があるから」こそ、面白い! ということが往々にしてあるのです。
それらの作品には大トリックや精緻な論理の帰結など求められてはいません。むしろノイズにすらなる場合もあります。ですがその作品世界を成立させるにあたっては「謎」が欠かせないのです。
こういうタイプのミステリならば私にも面白い小説が書けるはずだと信じられるようになったゆえに今があります。
というより、私は元々謎解きを縦軸に横軸で別のドラマが展開するタイプのミステリが特に好きだったので、迷走の果てに初心に帰ったとも言えますね。
おそらく私は今後も端正なロジカルミステリの書き手にはなれないでしょう。なるつもりもありません。私は私の土俵で戦おうと思います。
ですが前述のように、ミステリというジャンルは非常に懐が広く、奥は際限なく深いものです。純粋な謎の強度で勝負し難いことが面白いミステリを書けなくなる理由にはならないはずなのです。
とはいえ「絶対に傑作ライトミステリを書くぞ!」などと熱く意気込むのは自分には似合わないので、「今後もなるべく面白いミステリを書きたいです」としか言えないのですが、入会するからにはミステリというものをより深く愛していけたらと思っています。書くことも読むことも、です。
以前こんな言葉を聞いたことがあります。
「『映画が好きな人』と『好きな映画がある人』は違う。前者はクソ映画も楽しめる」
ミステリも同じではないかと思うのです。
山ほどのミステリを読んできたあなたならきっと「これは酷い」と言いたくなるミステリと出会ったことがあるはずです。ないとは言わせません。
ですが、それすらも愛してこられたのではないでしょうか?
私はそうでした。
「ここがダメ、ここは納得いかない……」と言いつつも、「ここは新しい、ここは意外だった……」と、ぶつくさ言って、結局楽しんでいるのです。
そうしてそれらを糧に新たなミステリを書いております。
つまりは私もミステリを愛好してきた一人であり、魅力的な謎を作ろうと頭をひねる作家の端くれだというわけです。
未熟者ではございますが、どうか同志と思っていただけますと幸いです。改めまして、よろしくお願い申し上げます。