第六十七回日本推理作家協会賞贈呈式・パーティ開催

 本年度の日本推理作家協会賞贈呈式は、五月二十一日(水)午後六時より、新橋の第一ホテル東京「ラ・ローズ」にて開催された。
 京極夏彦常任理事の司会で挨拶に立った今野敏代表理事は「毎年のことだが推理作家協会賞を世に出すことができるのは大変な喜びである。この賞はその年のベストミステリーであるとわれわれは位置づけている。短編部門で受賞作を出せなかったことは残念だったが、評論その他の部門で、アカデミックな作品とジャーナリスティックな作品を世に出すことができて嬉しく思っている」と語り、長編および連作短編集部門の恒川光太郎氏、評論その他の部門の清水潔氏と谷口基氏に正賞の腕時計(大沢商会協力)と副賞の五十万円を贈呈した。
 続いて選考委員を代表して北方謙三氏が長編及び連作短編集部門の、新保博久氏が短編部門と評論その他の部門の選考経過を報告した。
 北方氏は「十数年前にも選考委員を務めた。その時の経験から、一週間もあれば候補作を読めると思ったが、読了するのに四日ずつかかった作品が二作続き、残りの三作でさらに一週間かかるなど、実に時間のかかる選考になった。私見だが物語の牽引力が弱く、私のようなファンタジーがわからない人間でも理解できて肯けるような普遍性がない。そういう作品が多かった中で、安心して読めたのが「金色機械」だった。熊悟朗という人物が出てくるが、彼の一代記として読むと実にリアリティがあった。恒川さんは、人間がパッと浮かび上がる方法として時制をうまく使っている。技量が一頭地を抜けていた。それを感じさせる作品だった。熊悟朗が初めて人を殺すシーンはまさにハードボイルド小説。引っかかったのは金色様がロボットだという点だ。なぜロボットが出てくるのかは私の理解を超える。ただそのロボットがだんだんと、ある人間性をおびていく。主と従という形で情念を帯びてくるところが非常に面白かった。恒川さんは独自の文体をお持ちで、文章が短くて上手く、一番短い時間で読めた。全体的に完成された作品だった。恒川さんの作品は何作か読んでいるが、すべて文体がすばらしい。今回もそれを確認できた選考だった」と語った。
 新保氏は「短編部門は受賞作を出すことができなかった。各候補作にそれぞれの支持者がいたが、反対する人を説得するほど強く推すこともなく見送りとなった。評論その他の部門はまず清水作品がほぼ満場一致で決定した。冤罪の恐ろしさがひしひしと伝わってくる作品だ。昔「十二人の怒れる男」という映画があった。父親を殺したとされる少年の冤罪を、主人公のヘンリー・フォンダが覆していく作品だが、少年の無罪は証明しているが、無実は証明されていない。少年が犯人だという可能性もあり、真犯人を名指ししていないところに不満があった。清水作品は、この人は冤罪で、真犯人は別にいるというところまで書かれている。あの映画をさらに超えるような優れた作品だった。しかしその冤罪のメカニズムがあまりにも迫真的に書かれているので、私はここで真犯人とされている人もひょっとして冤罪ではないのかと恐くなった。そこで押し切れなくなった。フォンダのように一人で戦って全員を説得しようとしたかったが、支持される選考委員の方が圧倒的に説得力があり、私もあっさりと賛成に回った。谷口作品は私が一番に推した作品だ。日本の推理小説史は二項対立で語られることが多かった。戦前は本格派と変格派、戦後になると本格派と文学派、さらに近年は冒険小説と推理小説というように、常に二つの勢力が拮抗してきたという見方で語られてきたのだ。今回の作品は、本格と変格は対立概念ではなく、探偵小説というのは常に変格であり、その中で謎解きの部分に特化したものが本格ではないかという考え方を掲示していると感じた。いままでの説を覆す説なので《入門》と付けられたこの作品では、論証がまだ十分ではないかもしれないが、ありきたりの推理小説史というものを根本的に見直す形を掲示してくれたのではないか。この意気込みこそ協会賞にふさわしい。以上のような趣旨を述べ、他の選考委員からも同意を得られたので二作受賞となった」と語った。
 この後、各受賞者から挨拶があった。
 恒川氏は「九年ほど前に日本ホラー小説大賞を受賞してデビューして以来、ホラー風味の薄暗い小説をマイペースで発表してきた。主にホラー、SF、ファンタジー、怪談の書き手で、本作は九作目の本である。ミステリーは読み進めていくうちに、いろいろな事実が隠されていて、そこに驚きやひねりがあるものだと勝手に思っている。そういう分類だと自作の中でもミステリーの要素が強い作品になっていると思う。本作は動く仏像のような全身金属の金色様という謎の存在をめぐって、人々の運命がからみ合う話である。近代以前の、現代の常識とは全くかけ離れた理由で簡単に人が死んでいってしまう、そういう世の中で生き抜いていくことのスリルを想像しながら書いた。この栄誉に力を得て、今後も驚きやひねりがある何が起こるかわからない物語や、未開拓の分野のものにも挑戦して、マイペースだが頑張っていく」。
 清水氏は「私はテレビ局で報道記者をやっているので、この賞のノミネートの書類をいただいた時、なにかの間違いではないかと思った。本を書くことは本来の仕事ではない。懸命に書いたがこういった形で評価をいただけるとは夢にも思っていなかった。ジャーナリストや記者という仕事はものを書く機会があるが、文章を評価していただくものではなく、内容や事実の驚きの部分で評価されることが多い。あまり知られていなかった北関東連続幼女誘拐殺人事件、足利の冤罪事件をぜひ世の中の人に読んでいただきたいと思い、本書を書いた。難しいDNA鑑定のことをどうしたら皆さんに理解していただけるのか工夫もした。報道に携わる人間として、事実というカテゴリーからは絶対に一歩たりとも踏み出してはならない制約の中でも、何とかストーリー性を持たせて、飽きることなく読んで貰うにはどうしたらいいかをひたすら考えた。そういった部分で何らかの評価をいただいたのだとしたらとても嬉しい。本を書いたのはこれが二度目で、一作目は十二年前に書いた「桶川ストーカー殺人事件」という本だが、この時も賞をいただいた。今回もまさか賞をいただくとは思わなかったので、二冊とも評価されたことは本当に嬉しい。私のつたない文章を磨いて本の形にしてくれた、新潮社の二人の編集者である北本君、内山君、一緒に取材に当たりいろいろな事実を明らかにした日本テレビのスタッフ、取材に協力してくれた遺族の方、目撃者の方など、多くの人のバックアップによってまとめ上げることができたのが本書だ。北関東の事件は五人もの幼女が殺害あるいは行方不明のまま未解決である。この重大事件を何とか解決して貰いたい」。
 谷口基氏は「変格という言葉については先ほど新保先生から説明をいただいた。この言葉が生まれたのは戦前だが、一九七〇年代のリバイバルの折りに、戦後にデビューされた山田風太郎、香山滋、日影丈吉といった異能の作家たちの作品群と並べて、異端文学という形で息を吹き返した。この影響力は凄まじく、これを読んで虜になった方々、現在メインカルチャー、サブカルチャーの各分野において、この変格の精神を継いで活躍されている方々がたくさんいらっしゃる。新保先生が言うように、変格は本格の対義語という意味のみならず、探偵小説もしくは推理小説が非常に革命的な文学の新しい形であったとするならば、極限にまでそのスタイルを拡充せしめていくような、実験的な精神の現われではないかと考えた。ここから私の本が出発した。私自身も一九六〇年代生まれの一介の研究者に過ぎないが、そうした異端文学、変格探偵小説の洗礼を受けた一人であると自覚している。変格という言葉からしてあまり社会性を得られない感じがして、変格とは一体何であるか、いろいろな所で訊ねられる。既成概念から脱するような、さまざまな制約を突破できる、風穴を開けることができる、そういう精神のあり方ではないか、といつもお答えしている。自分自身がそのような精神を体現できていればなお嬉しい。これからもそのように励んでいきたい。世に出るきっかけを作って下さった早稲田大学の高橋敏夫先生、岩波書店の倉持さん、先輩方、よき友人、家族をはじめ応援して下さった多くの方々にお礼を申し上げたい」と、それぞれ喜びを語った。
 最後に壇上に立った田中芳樹氏が「こういう賞を受賞なさったからには、堅気に戻るなどという考えはすっぱりとお捨てになって、この業界において道を究めていただきたい」と挨拶し、壇上に上がった受賞者および選考委員ともども、力強い発声で乾杯し、三百人近い出席者は午後八時の散会まで、受賞者を囲み歓談のひとときを過ごした。当日の模様はスカイパーフェクTV!「AXNミステリチャンネル」で放映の予定である。
 なお当日、下記のとおりのご寄附をいただいた。

 記
ミステリチャンネル 生花