松坂健のミステリアス・イベント体験記

健さんのミステリアス・イベント体験記 第40回
豪華本から日本ミステリの英訳出版まで
リトル・プレスが頑張ってくれている!

ミステリ研究家 松坂健

 最近のミステリイベントは、猖獗をきわめる脱出ゲームの外は、あまり見るべきものがなく、ちょっとネタ不足の観ありだ。
 ということで、今月は少し趣向をかえて、小さな出版社、リトル・プレスの活躍について紹介していきたいと思う。
 ネットの不朽で書店業界は内外問わず、追い詰められている現状だ。ニューヨークの本屋さんの象徴ともいうべきバーンズ&ノーブルズなどが閉店するといったニュースを聞くと暗然としてしまう。
 本屋さんが大変だし、出版社の方もネットへの作品提供はともかく、紙媒体で本を出し続けることのコストプッシュは半端ない状況だろう。
 そんな中でも、というかそんな中だからこそ、光を放っているのがスモールサイズのビジネスモデルだ。
 志のある経営者が、不特定多数のお客を相手にするのではなく、自分の趣味を分かち合ってくれる人を対象に、自分の体力、資力が続く限り頑張るというものだ。オーナー経営者として一攫千金は望めないし、望みもしない。こういう業態を、今、「小商い」(こあきない)などと呼んでいるのだが、その出版業版がリトル・プレスだ。
 世の中に出すものは少部数だが、思いのたけをきちんと表現し、時に高額の値付けをしてもきちんと買っていただける客層を確実に掴む。そんなやり方がリトル・プレスで、最近、ミステリ関係でも見逃せない業績が続々出ているので、そのことを今回は報告したい。
 最初に取り上げたいのは藍峯舎さんの『完本・黒蜥蜴』だ。
 藍峯(らんぽう)というのは、平井太郎さんが最初の探偵小説を発表しようという時に考えた筆名だ。最初は江戸川乱歩ではなく、江戸川藍峯だったのだが、字面の古めかしさを嫌って乱歩としたのである。その捨てられた筆名を採用した出版社がここで、2012年に出発したばかり、妖美にみちた作品を最高の美しい装幀で、という理念のもと、現在まで乱歩のものを三冊刊行している。
 一冊目が乱歩が翻訳した短編を中心に、彼の精神の師、エドガー・アラン・ポーについての論考をまとめた『赤き死の假面』なる本(限定350部 現在品切れ)、その次が池田万寿夫の挿画を復刻、挿入した『屋根裏の散歩者』、そして三冊目が『完本黒蜥蜴』。
 A5判変型 本文176頁(二色刷80頁、一色刷96頁)別丁四色刷 挿画10点、背継面取表紙・金箔天金 丸背 貼函、函上題簽用紙/新局紙(白)二色刷、貼函用紙/五感紙 荒目(黒)、背継表紙/背・生成り牛革、表裏布・アサヒバックサテン(黒)、文字・本金箔押、見返用紙/シープスキン(古色)といった造本仕様を並べてもイメージが湧かないかもしれないが、とにかく瀟洒で持っているだけで楽しくなる本だ。
 しかも、中身が『黒蜥蜴』の初出連載を底本にして、乱歩自身がしたためていた「前回までのあらすじ」を収録している(新保博久氏の校訂による)。かつ、三島由紀夫の戯曲版も合わせて収録する念の入り方。これで1万9000円は超値打ちものといえる(220部限定)。まさにリトル・プレスの心意気である。
 お次は書肆盛林堂さんの『失われたミステリ史』。盛林堂さんは西荻窪にあるミステリ中心の古書店で、マニアにとっては聖地のひとつ。そこが時に、ミステリ、異端の文学系の少部数の版元を引き受けることがあり、この本もその一冊。
 著者は加瀬義夫さん。僕の二学年上で、彼がワセダミステリクラブ在籍時は、彼らのアジト、喫茶モンシェリに遊びにいっては、話し相手になってくれたものだ。伝統的なクラシックミステリを愛し、社会人になってもその典雅な趣味を捨てず、同好者を募って、リビジット・オールド・ミステリー(ROM)の会を発足、35年間にわたって、古典ミステリの研究、紹介、翻訳活動を実践されてきた。加瀬さんは惜しくも昨年の夏、鬼籍に入られてしまったが、彼が残した幻のミステリ文献(なにしろ一説には30部しか刷らなかったとか)を増補復刊したものがこの『失われたミステリ史』だ。英米仏のミステリ大国以外の国々(北欧・独墺・イタリア・ベルギー)のミステリを丹念に追いかけた英語圏でもあまり刊行されていない貴重な研究成果だ。ついでにスウェーデンのドゥーゼの短編4つも収録されている。こういう本を出してくれるところがあったというのも、ある種の奇跡だと僕は思う。
 古典ミステリ復刻事業を手掛けているのが奈良泰明さんの湘南探偵倶楽部。
 戦前に刊行された翻訳ミステリの表紙から中身までを復刻している。
 これまで、『殺人鬼對皇帝』マーティン・ポーロック(アントニー・バークレイ)、『白魔』ジャー・スカーレット、『當りくじ殺人事件』J・J・コニントン、『世紀の犯罪』、アントニー・アボット『緯度殺人事件』ルーファス・キング、『夜歩く』ジョン・ディクスン・カーなどを刊行しているが、最後のカーのものは、日本で初めて出た結末封つきのまま復刻してくれるというマニアックさ。
 主宰者の奈良泰明さんは、この他にも全集ものの月報を復刻してくれたり、創元推理文庫の書誌をまとめたり、地味ながらも、ミステリ研究者には干天の慈雨としか思えないものを出してくただいている。こういう活動をまこと「地の塩」というのだな、と思う。
 この他、博多の地にあって、2002年以来、日本のミステリ、SF、ホラーファンタジーなどの英語訳出版を手掛けてる黒田藩プレスなどの異色の出版社にも触れたかったが、紙幅に余裕がなくなってきた。ひとつだけ、乱歩の名作短編集のThe Edogawa Ranpo Readerは、外人さんが書き下ろした乱歩論も収録されていて、とてもためになる。一度、検索してみてほしいところだ。
 こういうミステリの分野での「小商い」、注意を払い続けたいものだ。