推理小説・二〇一四年

福井健太

 出版科学研究所の調査によると、二〇一四年度における書籍・雑誌(紙媒体)の推定販売額は一兆六〇六五億円(書籍=七五四四億円。雑誌=八五二〇億円)。これは十年連続の減少であり、四・五パーセントの下げ幅は過去最大だという。いっぽう電子書籍市場は一三年度の約八五〇億円から約一〇五〇億円に拡大した(矢野経済研究所の概算)。全体の規模が縮んでいること、電子書籍ではコミックが主流であること、契約システムの未成熟などの課題も多いが、推理小説が過渡期にあることは確かだろう。
 推理小説の人気を保つには、新たな才能が欠かせない。まずは一四年度の新人賞を見ていこう。第六十回江戸川乱歩賞に輝いた下村敦史『闇に香る嘘』(講談社)は、中国残留孤児の兄に疑念を抱いた盲目の男の物語。第三十四回横溝正史ミステリ大賞の藤崎翔『神様の裏の顔』(角川書店)は人格者とされた元校長の通夜で故人の真の姿を語り合う話。同賞の最終候補作・白井智之『人間の顔は食べづらい』(角川書店)は食用クローン人間が培養される世界を描く本格ミステリだ。
 第二十四回鮎川哲也賞を受けた内山純『Bハナブサへようこそ』(東京創元社)は、プールバーのアルバイト学生を語り手にした連作集。第二十一回松本清張賞の未須本有生『推定脅威』(文藝春秋)は自衛隊機の墜落事故をめぐるサスペンス。第二十一回日本ホラー小説大賞では、雪富千晶紀『死呪の島』(角川書店)が大賞、岩城裕明『牛家』(角川書店)が佳作、内藤了『ON 猟奇犯罪捜査班・藤堂比奈子』(角川書店)が読者賞に選ばれた。第四十九回メフィスト賞の風森章羽『渦巻く回廊の鎮魂曲』(講談社)は奇妙な館を舞台とする探偵譚。第五十回メフィスト賞の早坂吝『〇〇〇〇〇〇〇〇殺人事件』(講談社)は大胆な騙りを活かした怪作だ。
 第十七回日本ミステリー文学大賞新人賞を誘拐サスペンス『代理処罰』(光文社)で射止めた嶋中潤は、同賞の最終候補に八回残った経歴の持ち主。第十二回「このミステリーがすごい!」大賞は梶永正史『警視庁捜査二課・郷間彩香 特命指揮官』(宝島社)と八木圭一『一千兆円の身代金』(宝島社)のダブル受賞。第六回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞からは四冊が上梓された。大賞の植田文博『経眼窩式』(原書房)は精神外科を扱ったダークサスペンス。明利英司『旧校舎は茜色の迷宮』(講談社)、川辺純可『焼け跡のユディトへ』(原書房)、若月香『屋上と、犬と、ぼくたちと』(光文社)はいずれも優秀作である。第四回アガサ・クリスティー賞の松浦千恵美『しだれ桜恋心中』(早川書房)は文楽をモチーフにした幻想ミステリ。新潮エンターテインメント大賞(一二年に第八回で終了)に代わって創設された新潮ミステリー大賞では、彩藤アザミ『サナキの森』(新潮社)が第一回の受賞作となった。短篇では蓮生あまね「鬼女の顔」が第三十六回小説推理新人賞、浅ノ宮遼「消えた脳病変」が第十一回ミステリーズ!新人賞を獲得している。
 新人以外にも触れておくと、黒川博行『破門』(角川書店)が第百五十一回直木賞、大沢在昌『海と月の迷路』(毎日新聞社)と東野圭吾『祈りの幕が下りる時』(講談社)が第四十八回吉川英治文学賞、米澤穂信『満願』(新潮社)が第二十七回山本周五郎賞を受賞。第六十七回日本推理作家協会賞では、恒川光太郎『金色機械』(文藝春秋)が長編および連作短編集部門、清水潔『殺人犯はそこにいる』(新潮社)と谷口基『変格探偵小説入門』(岩波書店)が評論その他の部門に選ばれた。第十七回日本ミステリー文学大賞は逢坂剛、同特別賞は連城三紀彦。第十六回大藪春彦賞は梓崎優『リバーサイド・チルドレン』(東京創元社)と西村健『ヤマの疾風』(徳間書店)。第十四回本格ミステリ大賞の小説部門は森川智喜『スノーホワイト』(講談社)、評論・研究部門は内田隆三『ロジャー・アクロイドはなぜ殺される?』(岩波書店)に贈られた。
 一四年度も注目作は多かった。本格ミステリから始めると、岡田秀文『黒龍荘の惨劇』(光文社)は山縣有朋の別邸で起きた明治期の連続殺人を描く探偵小説。鏑木蓮『イーハトーブ探偵』(光文社)は宮澤賢治が多彩なトリックに挑む連作集。北山猛邦『オルゴーリェンヌ』(東京創元社)ではファンタジー世界の犯人探しが楽しめる。鯨統一郎『冷たい太陽』(原書房)はトリッキーな誘拐事件を織り上げた佳作。東川篤哉『純喫茶「一服堂」の四季』(講談社)はユーモラスな安楽椅子探偵もの。平石貴樹『松谷警部と三鷹の石』(東京創元社)は警部と女性巡査のコンビがアリバイ崩しに挑む好著。円居挽『河原町ルヴォワール』(講談社)は私的裁判が力を持つ京都を舞台にした〈ルヴォワール〉シリーズの完結篇。山本弘『僕の光輝く世界』(講談社)は盲目の少年が謎を解く青春ミステリだ。ジャンルや探偵の類型をメタ化する手法は近年の流行だが、霞流一『フライプレイ!』(原書房)、深水黎一郎『大癋見警部の事件簿』(光文社)、麻耶雄嵩『さよなら神様』(文藝春秋)はその代表作。パラレルワールドを導入した芦辺拓『異次元の館の殺人』(光文社)、探偵ロボットの暴走を描く森川智喜『半導体探偵マキナの未定義な冒険』(文藝春秋)などのSFミステリも印象的だった。
 冒険・ハードボイルドの分野でも、実力派たちが期待通りの活躍を見せた。佐々木譲『憂いなき街』(角川春樹事務所)は〈道警〉シリーズ第七弾。月村了衛『土獏の花』(幻冬舎)は駐屯地の争いに巻き込まれた自衛隊を描く力作。藤田宣永『喝采』(早川書房)は七〇年代東京のムードを漂わせた私立探偵小説だ。柳広司『ナイト&シャドウ』(講談社)は要人警護のエキスパートが活躍するエンタテインメント。若竹七海『さよならの手口』(文藝春秋)は不運な女探偵〈葉村晶〉シリーズの十三年ぶりの長篇にあたる。月村了衛『機龍警察 未亡旅団』(早川書房)や藤井太洋『オービタル・クラウド』(早川書房)など、この方面にもSF要素を活かした作品は少なくない。
 広義のサスペンスにも見るべきものは多かった。黒川博行『後妻業』(文藝春秋)は資産家老人を狙うビジネスを描くリアルな犯罪小説。葉真中顕『絶叫』(光文社)は殺人者になった女の半生を二人称で綴った重厚なドラマ。早見和真『イノセント・デイズ』(新潮社)も女死刑囚の内面を掘り下げる痛切な物語だ。樋口有介『金魚鉢の夏』(新潮社)では福祉施設の変死事件から巨大な陰謀が浮かび上がる。日野草『GIVER』(角川書店)は復讐代行業者のミッションを辿る連作集。吉田修一『怒り』(中央公論新社)は三つのプロットと逃亡中の殺人犯を組み合わせ、様々な社会問題を直視した大作である。
 それ以外の収穫として、奇矯な拘りでテキストを紡いだ倉阪鬼一郎『波上館の犯罪』(講談社)、ビデオゲームをモチーフにした青春譚・詠坂雄二『ナウ・ローディング』(光文社)のような異色作も挙げておきたい。BBC製作のテレビドラマ『シャーロック』の人気を受け、北原尚彦『ジョン、全裸連盟へ行く』(早川書房)、『ホームズ連盟の事件簿』(祥伝社)、『シャーロック・ホームズの蒐集』(東京創元社)、高殿円『シャーリー・ホームズと緋色の憂鬱』(早川書房)などのホームズものが次々に書かれたことも今年度のトピックだろう。一三年に逝去した連城三紀彦の著書は『小さな異邦人』(文藝春秋)、『処刑までの十章』(光文社)、『女王』(講談社)の三冊および、綾辻行人、伊坂幸太郎、小野不由美、米澤穂信が選者を務めた『連城三紀彦レジェンド』(講談社)が上梓された。日本ミステリー文学大賞特別賞や『満願』への影響も併せて、一四年は連城が存在感を示した年でもあった。
 一四年刊のアンソロジーには『ミステリマガジン700 国内篇』(早川書房)、『名探偵登場!』『ザ・ベストミステリーズ2014』『ベスト本格ミステリ2014』(講談社)、『古書ミステリー倶楽部Ⅱ』『鉄ミス倶楽部 東海道新幹線50』(光文社)、『THE密室』『THE名探偵』(有楽出版社)、『日本縦断 世界遺産殺人紀行』(実業之日本社)などがある。オールドファンには『新羽精之探偵小説選Ⅰ~Ⅱ』『本田緒生探偵小説選Ⅰ~Ⅱ』『桜田十九郎探偵小説選』『金来成探偵小説選』『岡田鯱彦探偵小説選Ⅰ~Ⅱ』『北町一郎探偵小説選Ⅰ~Ⅱ』『藤村正太探偵小説選Ⅰ』(論創社)、柴田錬三郎『幽霊紳士/異常物語』(東京創元社)の発行も嬉しいところだ。
 エッセイ集は、五十一人のデビュー体験記を収める『私がデビューしたころ』(東京創元社)、綾辻行人『アヤツジ・ユキト 2007─2013』(講談社)、逢坂剛『わたしのミステリー』(七つ森書館)などが纏められた。研究書では、喜国雅彦『本棚探偵最後の挨拶』(双葉社)、霜月蒼『アガサ・クリスティー完全攻略』(講談社)、杉江松恋『路地裏の迷宮踏査』(東京創元社)、千街晶之『国内ミステリー マストリード100』(日本経済新聞出版社)、『原作と映像の交叉光線』(東京創元社)、堀啓子『日本ミステリー小説史』(中央公論新社)、武光誠『江戸川乱歩とその時代』(PHP研究所)などが挙げられる。
 一月には坂東眞砂子、十一月には日高恒太朗と種村直樹が亡くなった。坂東眞砂子は一九五八年高知県生まれ。児童向けファンタジー小説で人気を博し、九三年刊のホラー小説『死国』で注目を浴びた。九七年に『山妣』で第百十六回直木賞、二〇〇二年に『曼荼羅道』で第十五回柴田錬三郎賞を受賞。日高恒太朗は一九五二年鹿児島県生まれのノンフィクション作家。二〇〇五年に『不時着』で第五十八回日本推理作家協会賞・評論その他の部門を受賞。種村直樹は一九三六年滋賀県生まれ。新聞記者を経てレイルウェイ・ライターとして活躍した。『日本国有鉄道最後の事件』『長浜鉄道記念館』などミステリの著書も多い。