健さんのミステリアス・イベント探訪記 第47回
ミステリアスイベント(私家版ミステリ資料)
ミステリ研究家 松坂健
2015年の新春が明けてから、今までちょっとミステリアス・イベントが少なく、今回はちょっと脇道、最近のミステリマニアの皆さんの出版活動についておさらいしておきたい。
20年前、30年前だと、個人が書籍形式のものを出すのは技術的にも資金的にもなかなか大変なことだったが、最近ではIT技術のおかげで、データ原稿さえ作れば、あとは印刷製本まで一貫して、最新鋭機器をもつ業者さんが作ってくれたりする。
以前のミステリファンの同人誌などは、ほとんどがガリ版印刷で、ホッチキス止め。蝋を引いた紙に鉄筆、鉄板の上で手書き文字を書いて(彫って)、印刷機にかけるなんていう作業は、はるかはるか昔のことになってしまった。
それを思うと、今の状況は夢のようだ。ミステリを研究するマニアの方々が、その研究成果などを立派な本にして、売っていただけるというのは、まことに嬉しいことだ。
そして、そんな私家版の世界にミステリファンならぜひとも手元においておきたい重要な資料がたくさんある。これって、文化的に豊かなことだなあ、と思う。
さて、個人事業で注目すべき第一は、藤沢市在住の奈良泰明さんの『湘南探偵倶楽部』の事業だ。奈良さんの活動については、以前にもこのコラムで紹介したことがあるが、創元推理文庫のコレクターとして知られ、書影がたっぷり入った『初期創元推理文庫 書影&作品目録/新訂・増補版』は素晴らしい研究だと思う。この他、戦前発刊の翻訳探偵小説の復刊シリーズを刊行中だ。
これは実物を買うと数万円するような高価な稀覯本を、出来る限り元版に忠実に復刻するというもので、出版当時の翻訳文化の香りが伝わってきて、貴重なものだ。
とくに傑作は昭和5年、天人社というところで出たカーの『夜歩く』だろう。この本は結末部分に帯封を施し、謎が解けるか退屈したら返金保証するという形式の日本初の出版物だった。
湘南探偵倶楽部の復刻は、その封まで再現してくれる。もちろん、帯(腰巻)も、である。これだけの手間をかけたものを続々刊行されている奈良さんの仕事ぶりにはただただ脱帽だ。
森英俊さんと野村宏平さん。このミステリ収集家の中でも抜きんでたお二人がまとめた『偕成社ジュニア探偵主節資料集』も素晴らしい出来栄え。2011年にお二人が編集刊行された『少年少女昭和ミステリ美術館─表紙でみるジュニア・ミステリの世界』(平凡社)の続編というべきもので、戦後、偕成社から刊行されたジュニア・ミステリを全集別、個人別に書影+書誌・コメントで掲載したものだ。オールカラーという豪華版なので、頒価は5000円になったが、写真を眺めているだけでも楽しい気分にさせてくれるし、行き届いた本文記事は貴重な昭和文化史にもなっていると思う。西荻のミステリ専門古書店、盛林堂の発行・発売である。
膨大な数が出ている雑誌の目次インデックスのまとめ、書誌は、ファン・研究者が渇望するものだが、これほど商業ベースに乗らないものもない。結局は、マニアの方々に雑誌を収集していただき、そのデータ化にコツコツ取り組んでもらうしかない。
三重県・四日市在住の荻巣康紀さんは、ミステリマガジンなどの翻訳ミステリ専門誌に翻訳掲載された短編ミステリのデータを作っておられる。作家別に短編のタイトルを並べ、原題、収録された雑誌・本の刊行年月。その成果は『マイナー・インデックス通信』としてまとめられている。検索の便を考えてCDROMつきという周到さだ。ちなみに最新刊は『第8号 ハヤカワ・ミステリ(通称ポケミス)海外作家個人短編集インデックス)。
早川書房のミステリマガジンなどすでに700冊を超えた媒体のインデックスづくりなどは気が遠くなる作業で、あらためて荻巣さんの地の塩のごとき努力に敬意を表したい。なお、荻巣さんは、2014年10月に東京創元社の鮎川哲也賞を受賞した内山純『B(ビリヤード)ハナブサへようこそ』の探偵役ビリヤード店の店主のモデルという一説もあるお人だ。
こういう本が出るというのはまことミステリ史研究に光を当ててくれると、入手して嬉しかったのが、『アントニイ・バークリー書評集』。
バークリーはご存じ、『毒入りチョコレート事件』を筆頭に、日本の本格ミステリファンには絶大な人気をもつ英国作家だが、別の面ではフランシス・アイルズの筆名で犯罪推理小説を残すほか、ザ・ガーディアン紙などの新聞にミステリ書評を執筆していた。
その書評が多彩な作品を残したバークリーのミステリ観を示しているのである。
編者は三門優祐さん。アメリカ・ラグランジェ大学のアーサー・ロビンソン博士が作成したバークリーのビブリオグラフィー&サプルメントのウエッブサイトを参考に、編まれている。今回はVOL1ということで、36頁の小ぶりな冊子ながら、クイーン、カー、クリスティーの書評が多数収録されている。どれも、それぞれの作品が刊行されたその時に新刊評として書かれているので、臨場感が味わえる。
これを読むと、今は代作者がいたことが判明しているクイーン作品を本人が書いたものと、アイルズが認識していたことが分かる(『盤面の敵』『第八の日』『三角形の第四辺』『夜の帳が降りる時[日本では未訳]』など)。代作と知ったらアイルズはどう評価したことだろう?
最後は小栗虫太郎研究家、山口雄也(素天堂)さんと絹山絹子さんが主宰する「黒死館付属幼稚園」発行の『戦前「科学画報」小説傑作選』のVOL1・2。
これは戦前に出ていた科学啓蒙雑誌『科学画報』に掲載されていた空想科学小説(SFというよりこちらの方がしっくりくる)を復刻、アンソロジーしたもの。叢書の副題が「噴飯文庫」とあることでもわかるように、おばかさんな発想の短編が多い。こういう本の企画を考えること自体、山口さんと絹山さんの類まれなホモ・ルーデンスぶりを示している。いいよね。
こういう私家版づくりの情熱は、本来は孤独なものだと思う。でも、その情熱は必ずや同好の士に届くものだ。とにかく、地味でコツコツ。その努力の総量にあらためて敬意を表したい。
20年前、30年前だと、個人が書籍形式のものを出すのは技術的にも資金的にもなかなか大変なことだったが、最近ではIT技術のおかげで、データ原稿さえ作れば、あとは印刷製本まで一貫して、最新鋭機器をもつ業者さんが作ってくれたりする。
以前のミステリファンの同人誌などは、ほとんどがガリ版印刷で、ホッチキス止め。蝋を引いた紙に鉄筆、鉄板の上で手書き文字を書いて(彫って)、印刷機にかけるなんていう作業は、はるかはるか昔のことになってしまった。
それを思うと、今の状況は夢のようだ。ミステリを研究するマニアの方々が、その研究成果などを立派な本にして、売っていただけるというのは、まことに嬉しいことだ。
そして、そんな私家版の世界にミステリファンならぜひとも手元においておきたい重要な資料がたくさんある。これって、文化的に豊かなことだなあ、と思う。
さて、個人事業で注目すべき第一は、藤沢市在住の奈良泰明さんの『湘南探偵倶楽部』の事業だ。奈良さんの活動については、以前にもこのコラムで紹介したことがあるが、創元推理文庫のコレクターとして知られ、書影がたっぷり入った『初期創元推理文庫 書影&作品目録/新訂・増補版』は素晴らしい研究だと思う。この他、戦前発刊の翻訳探偵小説の復刊シリーズを刊行中だ。
これは実物を買うと数万円するような高価な稀覯本を、出来る限り元版に忠実に復刻するというもので、出版当時の翻訳文化の香りが伝わってきて、貴重なものだ。
とくに傑作は昭和5年、天人社というところで出たカーの『夜歩く』だろう。この本は結末部分に帯封を施し、謎が解けるか退屈したら返金保証するという形式の日本初の出版物だった。
湘南探偵倶楽部の復刻は、その封まで再現してくれる。もちろん、帯(腰巻)も、である。これだけの手間をかけたものを続々刊行されている奈良さんの仕事ぶりにはただただ脱帽だ。
森英俊さんと野村宏平さん。このミステリ収集家の中でも抜きんでたお二人がまとめた『偕成社ジュニア探偵主節資料集』も素晴らしい出来栄え。2011年にお二人が編集刊行された『少年少女昭和ミステリ美術館─表紙でみるジュニア・ミステリの世界』(平凡社)の続編というべきもので、戦後、偕成社から刊行されたジュニア・ミステリを全集別、個人別に書影+書誌・コメントで掲載したものだ。オールカラーという豪華版なので、頒価は5000円になったが、写真を眺めているだけでも楽しい気分にさせてくれるし、行き届いた本文記事は貴重な昭和文化史にもなっていると思う。西荻のミステリ専門古書店、盛林堂の発行・発売である。
膨大な数が出ている雑誌の目次インデックスのまとめ、書誌は、ファン・研究者が渇望するものだが、これほど商業ベースに乗らないものもない。結局は、マニアの方々に雑誌を収集していただき、そのデータ化にコツコツ取り組んでもらうしかない。
三重県・四日市在住の荻巣康紀さんは、ミステリマガジンなどの翻訳ミステリ専門誌に翻訳掲載された短編ミステリのデータを作っておられる。作家別に短編のタイトルを並べ、原題、収録された雑誌・本の刊行年月。その成果は『マイナー・インデックス通信』としてまとめられている。検索の便を考えてCDROMつきという周到さだ。ちなみに最新刊は『第8号 ハヤカワ・ミステリ(通称ポケミス)海外作家個人短編集インデックス)。
早川書房のミステリマガジンなどすでに700冊を超えた媒体のインデックスづくりなどは気が遠くなる作業で、あらためて荻巣さんの地の塩のごとき努力に敬意を表したい。なお、荻巣さんは、2014年10月に東京創元社の鮎川哲也賞を受賞した内山純『B(ビリヤード)ハナブサへようこそ』の探偵役ビリヤード店の店主のモデルという一説もあるお人だ。
こういう本が出るというのはまことミステリ史研究に光を当ててくれると、入手して嬉しかったのが、『アントニイ・バークリー書評集』。
バークリーはご存じ、『毒入りチョコレート事件』を筆頭に、日本の本格ミステリファンには絶大な人気をもつ英国作家だが、別の面ではフランシス・アイルズの筆名で犯罪推理小説を残すほか、ザ・ガーディアン紙などの新聞にミステリ書評を執筆していた。
その書評が多彩な作品を残したバークリーのミステリ観を示しているのである。
編者は三門優祐さん。アメリカ・ラグランジェ大学のアーサー・ロビンソン博士が作成したバークリーのビブリオグラフィー&サプルメントのウエッブサイトを参考に、編まれている。今回はVOL1ということで、36頁の小ぶりな冊子ながら、クイーン、カー、クリスティーの書評が多数収録されている。どれも、それぞれの作品が刊行されたその時に新刊評として書かれているので、臨場感が味わえる。
これを読むと、今は代作者がいたことが判明しているクイーン作品を本人が書いたものと、アイルズが認識していたことが分かる(『盤面の敵』『第八の日』『三角形の第四辺』『夜の帳が降りる時[日本では未訳]』など)。代作と知ったらアイルズはどう評価したことだろう?
最後は小栗虫太郎研究家、山口雄也(素天堂)さんと絹山絹子さんが主宰する「黒死館付属幼稚園」発行の『戦前「科学画報」小説傑作選』のVOL1・2。
これは戦前に出ていた科学啓蒙雑誌『科学画報』に掲載されていた空想科学小説(SFというよりこちらの方がしっくりくる)を復刻、アンソロジーしたもの。叢書の副題が「噴飯文庫」とあることでもわかるように、おばかさんな発想の短編が多い。こういう本の企画を考えること自体、山口さんと絹山さんの類まれなホモ・ルーデンスぶりを示している。いいよね。
こういう私家版づくりの情熱は、本来は孤独なものだと思う。でも、その情熱は必ずや同好の士に届くものだ。とにかく、地味でコツコツ。その努力の総量にあらためて敬意を表したい。