第七十回 日本推理作家協会賞贈呈式・パーティ開催

 本年度の日本推理作家協会賞贈呈式は、五月二十九日(月)午後六時より、新橋の第一ホテル東京「ラ・ローズ」にて開催された。
 京極夏彦渉外担当常任理事の司会で挨拶に立った今野敏代表理事は「残念ながら評論その他の部門は受賞者なしだったが、長編と短編部門は豊作だった。協会賞の名を上げよう、もっと世に広めようと努力を続けており、毎日新聞をはじめいろいろな人の力を借りているが、あまりじたばたしてもだめであることに気づいた。われわれが楽しめばいい。この賞を出してわいわい騒いで楽しんでいれば世間も注目してくれるだろうと思うようになった。一所懸命楽しんでいこう、賞を出して顕彰していこうと思っている」と語り長編および連作短編集部門の宇佐美まこと氏、短編部門の薬丸岳氏に、正賞の名前入り腕時計(大沢商会協力)と副賞の五十万円を贈呈した。
 続いて選考委員を代表して逢坂剛氏が長編および連作短編集部門の、北方謙三氏が短編部門と評論その他の部門の選考経過を報告した。
逢坂氏は「宇佐美まこと氏が女性であることは決定後に知って驚いた。力のある作品で、変な癖がない読みやすい文章だった。しかも第一章と第二章では文章のトーンががらりと変わる。手練れの文章だと思った。第三章で解明に動き始める。弱点もあったが端倪すべからざるものがあった。受賞を最後まで争った竹本健治氏の『涙香迷宮』は各誌のベストテンで上位を占めた作品であり、このような作品を顕彰することができなかったのは残念で申し訳なく思う。竹本さんの功労については敬意を表したい」と語った。
 北方氏は「短編小説とはなにか。その説明は簡単だ。起承転結がちゃんとあるのか、大きな木の枝だけをちょっと切りとり、その切り口だけで大木の全体を想像させることができるか。それが単純にいえば短編の本質である。そういう意味においてはミステリーの短編も変わらない。薬丸岳氏の『黄昏』という作品は読むとつまらない。しかしよく読むと違うものが行間からにじみ出てくる。母親の死んだ身体をベッドに置いてずっと一緒に暮らしていた女性の話だ。なぜそうしたのかということを含めて、刑事がずっと追求していく。その中に人生の真実のようなもの、女性の人生のようなものがふっと浮かび上がってくる。短編小説をきちんと書き上げた力量はあった。もう一つ派手なものが用意されて、どかんという衝撃力があれば全会一致だったろう。短編をきちんと書きましたというお手本が受賞作になったとわたしは解釈している。評論その他の部門は受賞作なしになった。これは候補作がつまらないからでない。すばらしいノンフィクションが何作もあった。だが議論する前に評論その他の部門の存在を考え直してみようということになった。作品の内容以前に賞のありようについての議論になった。そのありようからいうとそぐわないものがあるということになった。協会賞にノミネートしておきながら、協会賞には合わない作品だと言っているのだから失礼なことなのだが、候補になられたことを名誉として許していただくほかはない。来年からはもう少しミステリーというものに絞ったものになっていくのではないか」と語った。
 この後、受賞者から挨拶があった。宇佐美まこと氏は「わたしは作家活動を始めるのが遅かったし、作品もそれほど多くは書いていない。そんなわたしにこのような大きな賞を下されたことは、このままの方法でいいので迷わずに書いていきなさいと背中を押されたような気がしている。とても心強く光栄なことだ。歳はいっているが若いころのように初々しい気持ちになって胸を張りたいと思う。十年前にデビューさせていただいたきっかけは怪談専門誌「幽」の第一回怪談文学賞をいただいたことだった。小さいころから恐いものが好きだったが、よくよく考えてみると、その入り口はミステリーだった気がする。ホームズやルパンのシリーズをむさぼり読んでいた記憶がある。人が人に殺される、それも不可解な恐ろしい形で。そこから謎解きが始まるが、それと並行してわたしは殺人という行為そのものに震え上がり、またそれを為した人間の心理に踏み込んで怖気を奮った。怪談を書いている時も怪異そのものではなくて、怪異に見舞われた人間の方に視線を注いで書いてきた。人間に興味がある。人が持つ恐ろしい心や自分では気づいていない底なしの欲望とか、そういうものに恐怖心を抱きながらも魅了されてきた。わたしが作家活動を始めるのが遅かったのも、それがひとつの理由だったかもしれない。わたしは結婚して仕事をしながら子育てをし、親の介護をし、そしていまや三人の孫のおばあちゃんになった。もともと読んだり書いたりすることは好きだったのでいままでの人生で見聞きしてきたもの、身のうちにため込んだものを吐き出す時が来たと思って書き始めた。今回の作品の中にもニーチェの言葉が出てくる。人間の怖さを表した、おまえが長く深淵をのぞき込むのならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだという言葉を心の奥に置き、人という不可解で奥深くまた切ない存在の心理を描き、大いなる謎解きをしていきたいと思う」
 薬丸氏は「八年か九年前からだいたい毎年この授賞式に足を運んでいる。会場の後ろの方で水割りを飲みながらいま僕が立っているあたりを見ていた。金屏風の前に立ってスピーチする受賞者を恨めしいというか羨ましい思いと悔しい思いでずっと見ていたので、今日違った景色が見られてよかった。デビューして十二年になる。まだまだ振りかえるようなキャリアではないが、あえていままでを振りかえってみるとすごく人に恵まれていたなと思う。厳しくて、でもとても優しくて叱咤激励してくれる先輩作家の方々と出会うことができた。羨ましさ悔しさを感じさせてくれたり、自分に大きな刺激を与えてくれる同じ時代を生きる作家の方々と出会った。なかなかうまくいかずに悩んだり苦しんだりしている時に、側でずっと力になって下さった編集者とたくさん出会えた。そういう方々との出会いがなかったらきっといま自分はこの場に立っていなかったんじゃないかと思う。その方々に感謝する。ずっとこの場に立ったら気持ちがいいんだろうなあ、すがすがしいんだろうなあと何年も想像していたが実際そんなことはあまりない。嬉しい思いはあるが同時に自分の力足らずで悔しい思いもある。さらにもっともっといい作品を作っていけるよう精進していく」とそれぞれ喜びを語った。
 最後に壇上に上がった藤田宜永氏が「わたしがこの賞をいただいたのは二十数年前になる。ちらっと選考委員を見たら、長くここにいる昔から知っている人ばかりで、そのうちの六割くらいが柄が悪い。シルバーシートのわたしも含めて、この人たちを横に置いて、もう少し清潔感のある若い作家を入れるのがいいんじゃないかと思っている。皆さまのご健筆を」とユーモアたっぷりに挨拶し、壇上に上がった受賞者、選考委員とともに乾杯し、三百人近い出席者は午後八時の散会まで、受賞者を囲み楽しいひとときを過ごした。

撮影KADOKAWA