松坂健のミステリアス・イベント体験記

健さんのミステリアス・イベント探訪記 第66回
19世紀の江戸と巴里。対照的な都市をめぐる二つの展覧会で考えたこと
「鬼平展」2017年5月19日~28日 東京ソラマチ スペース634にて
「19世紀パリ時間旅行」4月16日~6月4日 練馬区立美術館にて

ミステリコンシェルジュ 松坂健

 池波正太郎さんの代表作、『鬼平犯科帳』シリーズは『藤枝梅安』『剣客商売』と並んで、永遠のベストセラーだ。絶えず、テレビ化され、舞台になり、という具合だが、最近ではアニメーションにもなったりして、日本の時代劇文化の底を支える「資産」になっていると思う。
 最近も鋭利なタッチの劇画になって、若者文化の中に取り込まれている。
 そのアニメーションのブルーレイ/DVDボックスの発売を記念して行われたのが、鬼平展。鬼平誕生50周年の記念も兼ねてのイベント挙行だった。場所は池波さんとも縁が深い下町・向島は東京スカイツリー隣の東京ソラマチ。
 会場に入るなり、「鬼平の 十手に光る 冬の月」の句を記した自筆の色紙に迎えられる。殺気と詩情が同居してなかなかの名句だが、以下、展覧会はアニメのセル原画を展示していく。
 半ば、アニメファンに向けての企画だから、本来の池波ファンには物足りないものもあるが、キャラクターデザイン担当の宮繁之氏による鬼平の初期設定画集などは見ごたえがある。鬼平と名脇役の台詞で綴る江戸歳時記的なコーナーもあり。全体に光を上手に利用した幻想的な展示が面白い。
 とはいうものの、やはりアニメ。リアルに近い江戸情緒に浸れる度合いが浅いのはいたし方ないところだ。
 ということで、若干、血中の池波濃度の不足を感じた僕は、スカイツリーから浅草へと足を伸ばすことにした。
 昔は業平橋といったとうきょうスカイツリー駅(このネーミングはないよなあ、と僕などは思う)から、隅田川方向に歩いて、吾妻橋。それを渡って浅草松屋。このルートはやや遠回りだけど、今やレトロな松屋の外観を見ながらアサヒビールをわき見しながら橋を渡るのも悪くない。
 松屋から向かって右側を歩いていく。このあたりは花川戸というのだが、履物屋さんの町だ。そうして言問橋に着くと、そこにあるのが待乳山聖天様。
 ここに池波正太郎さん生誕碑がある。池波さんは1923年、この地で誕生したのである。実はこの碑から徒歩数分のところに僕の家があり、文具店をやっていた。1980年代の初めまでは僕も母や家内、息子と住んでいたのである。文具屋さんなので、事務用品やトイレットペーパーみたいな生活必需品の注文を受けていたので、子供の時から聖天様には物を届けに行っていたものだ。
 ついでに、この浅草花川戸に生まれたもうひとりの“文豪”が角田喜久雄氏。ミステリファンには『高木家の惨劇』で知られているが、代表作は『風雲将棋谷』『妖棋伝』などの伝奇時代小説。角田さんは1906年生まれだから、池波さんの20年先輩になる。こんな文豪二人が我が家のそばで生まれていたというのは、僕の秘められた誇りだったのだ。
 ということで生誕碑を拝んで、言問通りを鶯谷方面に一路邁進。途中、右手に吉原などがあるのだが、こちらに立ち寄ると時間がなくなるので、浮気せずに一直線。調理道具で有名な合羽橋道具街に出くわしたら左折してすぐに台東区生涯教育センター。その中に台東図書館があり、その一角に池波正太郎記念文庫が常設されている(毎月第3木曜のみ休館)。
 池波さんの書斎が再現されているほか、作家としての年譜、生原稿、著作物の展示が行き届いていて、池波ファンならずとも昭和エンターテインメントに関心のある人はぜひ訪れてほしいスポットだ。
 ということで、池波さんの描く、太平の中の犯罪者と鬼平対決の図式を思い浮かべながらの下町散歩はなかなか爽快だった。
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 さて、お次は場所が変わって、練馬区中村橋駅下車の練馬区立美術館の『19世紀パリ時間旅行』展に足を運ぶ。
 ミステリとは直接の縁は薄いが、こちらも19世紀中庸、池波さんの描くお江戸との対比が心の中にあった。
 パリは1850年代のナポレオン三世時代、パリを含むセーヌ県の知事に抜擢されたオスマン男爵が、ほとんど暴力的と言っていいほどの都市改造を試みて、今のパリの姿を創造した。そのオスマン以前・以後のパリを名画や版画、衣装などで探る試みが、この展覧会の趣旨。監修に当たったのが、フランス文化の熱狂的な収集家、鹿島茂氏。さすが、家族よりも古書を大事にしたい鹿島さん。自分のコレクションも放出して、素晴らしいスケールのパリ再現となっていると思う。本場のパリでもこんな風に行かないのじゃないかと思うほどだ。きっと鹿島さんはひそかに時間旅行術を体得していて、1850年代のパリに行って、文献・絵画を買いあさってきたのではないかと思うほどだ。ルパンやルレタビーユが活躍するのはもう少し後、20世紀に入ってからだが、1800年台のパリには、警視庁創設者の元・怪盗、フランソワ・ヴィドックがいたし、僕たちにはミュージカルで親しい『レ・ミゼラブル』のジャベール警部も、この時代のはずだ。ジャン・ヴァルジャンの逃げた町の姿も、ここに展示されているパリの風景のなかにあるのだろう。この展覧会にはレ・ミゼラブルの地理的背景を示す特別コーナーもある。
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 19世紀半ばのパリと江戸。これにロンドンを加えるとミステリ三都物語になりそう。
 フランス人が描いた警察の姿はジャベールに代表されるように、時に弱者ともいうべき犯罪者をあくまで追い詰めていく権力の代弁者だが、ロンドンになると趣が異なってくる。
 ディケンズが『荒涼館』に登場させたバケット警部やW・W・コリンズの『月長石』に出てくるカフ巡査部長を見ると、ただひたすら捜査に邁進する能吏というイメージだ。そこにジャベールのような権力志向の匂いはない。穏やかだ。
 そして、長谷川平蔵。権力の手先として悪を告発しながらも、時として犯罪者にも同情を示してしまうファジーな存在としてのヒーロー。ジャベールともサージャント・カフとも違う趣があるだろう。
 鬼平の世界と19世紀のパリ。このふたつに触れて感じたのはヒーロー像のありかた。これを深掘りすれば論文にできるかもしれない。