ハガキ随想

世界の意味が解けるとき――『ケムリクサ』雑感

浅木原忍

 今さら自分ごときが褒めるまでもないが、『ケムリクサ』はたいへんな傑作だった。

 と書き出しても、この会報を読まれている方には何のことだかわからない人も多そうだ。『ケムリクサ』はこの一月から三月まで放送されたテレビアニメである。全話の脚本・演出・コンテを一人で手掛けたたつき監督は、二年前『けものフレンズ』を制作し、怪物的大ヒットに導いた立役者。紆余曲折あって続編から降板させられてしまい、新作オリジナルアニメとして、過去に自主制作アニメとして制作したものをテレビアニメとしてリブートしたのが『ケムリクサ』だ。
 物語は廃墟の島から始まる。闇に包まれた廃墟の中、残り少ない水を探し、《ケムリクサ》という道具を使って《アカムシ》と呼ばれる謎の機械生物と戦う、りん・りつ・りなの姉妹たち。そこへ、水の中から記憶喪失の少年・わかばが現れる。わかばたちは新たな水を求め、《湖》を目指して、荒廃した世界を巡る旅を始める……。
 この作品の魅力を語ろうとすると紙幅がいくらあっても足りないが、ここは推協の会報なので、ミステリ的な観点で語ってみたい。『けものフレンズ』もそうだったが、『ケムリクサ』も世界観をはじめ序盤から膨大な謎があるにも関わらず、視聴者に向けた直接的な説明は少なく、視聴者は作中の描写と情報からの読み解きを求められる。その上で、縦横無尽に張り巡らされた伏線と、視聴者を手玉に取る巧みな情報コントロール、そこかしこに仕掛けられた細やかなミスリードが、大小さまざまなサプライズを演出していく。とりわけ、大評判になった第十一話で明かされる世界の真実は、それまで見続けてきた物語の持つ意味をがらりと別の色に塗り替えてしまう衝撃的なものだった。
 思い出すのが、十五年前にテレビ東京系で放送されたアニメ『ファンタジックチルドレン』である。ボーイミーツガールSF冒険アニメであり、張り巡らされた膨大な伏線が後半になって怒濤の勢いで回収されていき、最終回間近の第二十四話になってそれまでの物語が全く別のものに変貌する大ドンデン返しが炸裂する、隠れた大傑作アニメだ。『ケムリクサ』を楽しめた人はぜひ見てほしい。
 さて、『ファンタジックチルドレン』は見返してみるとかなりフェアに伏線が張られていて、本格ミステリとしての鑑賞にも耐える(と思う)。本作をミステリとして見たとき最も性質が近いのは連城三紀彦の作品で、自分が連城三紀彦にあれほどのめりこんだのも、思えば『ファンタジックチルドレン』第二十四話をリアルタイムで見た衝撃が忘れられなかったせいかもしれない。
 ひるがえって『ケムリクサ』を見返してみると、『ファンタジックチルドレン』とは似ていても、どこか趣が異なる感がある。『ファンタジックチルドレン』第二十四話の衝撃は一言で説明できるが、『ケムリクサ』第十一話の衝撃は一言では説明しにくい。言うなれば、張り巡らされた伏線と、物語の端々に埋め込まれた違和感が、ひとつの物語として有機的に繋がった瞬間、作品世界のもつ《意味》が読み解けたような、そんな快感だった。
 こんな快感を与えてくれるミステリ作家といえば―と思い浮かんだのは、他でもない、泡坂妻夫である。特に亜愛一郎シリーズの、あらゆる描写に仕込まれた伏線が、ひとつの逆説を軸にして立ち上がり、全ての描写に意味があったと気付かされるときの、あの快感。『ケムリクサ』第十一話の衝撃は、たぶんそれに近い。
 そう考えると、『ケムリクサ』を見て『ファンタジックチルドレン』を連想したのも自然だったのだろう。泡坂妻夫を読んで連城三紀彦を連想するのは自然な成り行きだ。似ているけれどどこか違う、違うけれどやっぱり似ている。そんな関係性が両者にはある。
 ともかく、『ケムリクサ』はジャンル的にはSFだし、ミステリの文法で作られた話ではないから、「いやミステリではないだろ」と言われるだろうことは重々承知している。『ケムリクサ』から泡坂妻夫を連想するのも自分だけかもしれない。だとしても、『ケムリクサ』がたいへんな傑作であることに関してはいささかの揺るぎもない確信をもって断言できる。アマゾンプライムで全話見放題配信をしているので、未見の方は是非見てほしい。今から見る場合、一~三話を見てから、たつき監督がツイッターに公開した前日譚を見たのち、四話以降に臨むのがベスト。一気見でもじゅうぶん面白いが、一話ごとに休憩を入れてあれこれ考えながら見るとなお楽しいかもしれない。
 謎が解けるとき、世界の意味を知る。その快感が、ここにある。