入会のごあいさつ
斉藤詠一
はじめまして。斉藤詠一と申します。二〇一八年、平成最後の江戸川乱歩賞を賜り、デビューいたしました。
この度は日本推理作家協会への入会を認めていただき、誠にありがとうございます。
学生の頃から志してきた、作家という仕事。その中でも私にとって特別な存在である「推理作家」の末席に名を連ねさせていただくことができ、万感胸に迫る思いです。
さて、私が生を享けたのは、もはや二つ前の年号になった昭和の四十年代のこと。生家は、東京の下町にあった小さな書店です。私は、店の棚から売り物の本を持ち出しては読みふける、不届きな子どもでした。
朝には店頭に並べられていたはずなのに、夕方には居間のテーブルに積まれている本。そのようにして店を図書館代わりにできたおかげで、本好き、物語好きの素養が育まれたのは間違いないでしょう。息子の勝手な振る舞いを大らかに見逃してくれた両親には、感謝の言葉もありません。
最初の創作は、漫画でした。特に好きだった藤子・F・不二雄先生や、松本零士先生の漫画を真似て描いていたのを覚えています。店の棚から長い時を経て、今でも私の本棚に並んでいる両先生の『T・Pぼん』や『銀河鉄道999』といった諸作品と、同じ頃に小学校で貪るように読んだポプラ社の『少年探偵 江戸川乱歩全集』が、私の目をミステリーやSFへ向けさせてくれました。
その頃に読んだ中で、特に印象に残っている本といえば、高木彬光先生の『連合艦隊ついに勝つ』でしょうか。宇宙戦艦ではない、艦名を漢字で書くほうの大和にも興味を持ちつつあった私は、ある日、表紙に大和のイラストが描かれた本を店の文庫コーナーに見つけました。現代からタイムスリップした男が、帝国海軍が負けたはずの戦いに助言し、歴史を変えていくという物語。それは小学校低学年の児童が読むにはいささかハードルの高いものではありましたが(父親となった今の目で見れば、子どもに読ませるのには躊躇するような場面もありました)、実にわくわくしながらページをめくったのを鮮明に覚えています。少年の心に、小説というものの面白さを深々と刻み込んだ、思い出の一冊です。
やがて中学校の図書室で小松左京先生の『復活の日』と出会って滅び去る世界の描写に戦慄し、さらには、クラスメイトに教えてもらった『蘇える金狼』(大藪春彦先生)のハードなアクションと、決して正義の味方ではないヒーロー像に打ちのめされるに至り、私の趣味嗜好は決定づけられたような気がします。
その後、SF方面への関心が高じて、大学では物理学を専攻しました。一方、自らの言葉で物語を書く楽しさに気づき、目指すべきところは「作家」だと心に決めたのも学生時代のことです。
とはいえ、すぐに芽が出ることはなく、書き続けながらも仕事はしなければと就職しました。正直なところ、取りあえずの就職というつもりでしたが、それからいくつかの会社を渡り歩くことになり、気づけば流れ去っていた二十数年の時。
若くしてデビューし活躍する方々と比べ、ずいぶんと回り道をしたようにも見えます。システムエンジニア、NGO職員を経て、現在はとあるメーカーの人事部に在籍していますが、今に至るまで、どちらかといえば総務や人事といった裏方の仕事が多かったように思います。
(そういえば『蘇える金狼』の主人公は、表向きは平凡な経理部員だが裏では野望を秘め、組織に逆らっていく、というキャラクターでした。昔から勝手に共感しています。現役の人事部員がこんなことを言うのも何ですが……)
あまり表に出ては来ないけれど、地道に、黙々と、自分の為すべき事を為している多くの人たち。彼ら彼女らとともに経験したさまざまな出来事のすべては、今にして思えば、必要なことだったのでしょう。私にとってそれは、回り道ではなかったのです。
そうして、やっとたどり着いたこの作家という仕事を、生涯の職にできるなら、これにまさる喜びはありません。
本を手に取られた方が、読んでいるあいだだけでも日常を忘れ、読み終わった後は少しだけでも日常が変わって見える―そんな物語を書いていけるよう、精進してまいります。下町の小さな本屋の、多くはない売り上げを減らしてばかりいたことにも意味があったと、三十数年を経て証明するために。
若輩者ではございますが、これから何卒よろしくお願いいたします。