リレー・エッセイ「翻訳の行間から」

標準語と方言のはざまで

鈴木美朋

 翻訳の仕事をしているというと、「じゃあ英語話せるの?」と訊かれることがあります。謙遜ではなく話せません。それよりも、日本語すら怪しいらしいと気づいたのは、翻訳をするようになってからです。誤用もさんざんやらかしましたが、それとはまた別の問題として、故郷の大分の方言を方言と意識せずに使ってしまうことがあります。
 何年か前に、主人公の乗った車が交通渋滞に巻きこまれ"inchbyinch"に進んでいった、というような英文が出てきました。これは「一寸ずり」やな、めずらしく会心の訳語! とか思いながら「issunnzuri」とキーボードをたたき、変換。あり? 変換してくれない。もしや、と調べてみたところ、案の定「一寸ずり」は大分弁なのですね。いまはどうか知りませんが、三十年前は別府-大分間の国道十号線がしょっちゅう渋滞しました。じりじりとしか進まない車のなかで、父が「こら一寸ずりや(これは大渋滞だ)」とためいきをついていたのを覚えています。渋滞の様子を簡潔かつ的確にあらわした言葉だと思うのですが、全国的に通じないのが残念です。
 また、出したものを「片付ける」ことを、大分弁では「なおす」といいますが、方言だと知らなかったので、東京の友人に指摘されたときはびっくりしました。
 思えば、私は大学入学を機に上京したのですが、標準語になかなか慣れることができませんでした。大分弁は関西の言葉や博多弁ほどメジャーではないので、東京の人たちの言葉をまねていました。同郷の友人は、大分にいたころはおしゃべりでしたが、標準語で話すとどうも調子が狂うらしく、口数が減ったそうです。彼は結局、「やっぱ大分弁やねえと自分が出せん」といい、卒業後はさっさと故郷に帰りました。
 私もやはり、標準語より大分弁のほうが体にしみついているようです。訳者あとがきを書くのが苦手で、正直なところいつも億劫なのですが、こんなとき「面倒くさい」という言葉よりしっくりくるのが「よだきい」という大分弁。「あーよだきい」と、なんとなくのんきな響きのこの言葉を声に出すと、ガス抜きになって、仕方ない、やるか、という気分になる……こともあります。やっとこさその気になってあとがきを書いている隣で息子たちが喧嘩をはじめたときも、「うるさい!」とヒステリックな言葉を怒鳴るより、「しゃあしい!」と一喝するほうが、ぴったり決まります。
 そんなわけで、上京して四半世紀がたっても、とっさに出る言葉は大分弁です。とくに、小学生を送り出さなければならない朝は気持ちに余裕がないので、大分弁出まくり。「はようせんね(早くしなさい)!」とそのバリエーションを十個ほど使い、締めくくりは「はいランドセルかるって(ランドセル背負って)!」最近、息子が中途半端な大分弁を使うようになりました。
 さて、普段はロマンス小説を訳していますが、濃厚なラブシーンの連続に疲れてくると、もともと現実逃避を目的に書かれたストーリーからさらに逃避したくなり、プロポーズの台詞を大分弁にしてみたりします。
 「結婚しちょくれ」
 「したくねえっちゃ」
 「でもおまえはおれを求めちょる」
 リージェンシー時代の伯爵令嬢とその求婚者が、大分のヤンキーカップルに化けました。しょうもねえ(くだらない)……。
 ロマンス小説には、アメリカ南部やスコットランド出身のヒーローがよく出てきて、たいてい彼らは訛りがセクシーだということになっています。そのたびに台詞をどう訳すか困るのですが、とりあえず大分弁は使えないということがわかったところで、同門の先輩、阿尾正子さんにバトンをお渡しします。