リレー・エッセイ「翻訳の行間から」

あこがれの遊翻生活

高橋恭美子

 前回の寺尾まち子さんが書いてらした"翻訳者の三大イメージ"に思わずうなずいた。小説を翻訳していると言うと、「『ハリー・ポッター』みたいな? すご~い!」となる。昔はきっぱり否定していたけれど、最近は面倒なので「まあね」と笑ってごまかす。せっかくの美しいイメージを壊してはもったいない。次に言われるのが「家で好きなときにできるなんていいよねー」これはまあ事実なので「そうなの、いいでしょー」と答える(本当は好きじゃないときもやるけどね)。たしかに家にいながらできて、道具もそんなにいらない。こんなありがたい商売はないなと思うときもある。
 今年の冬にそれを実感した。このところ、年に二回ほど旭川の山に住む姉夫婦の家に滞在している。この冬は史上初という大雪に見舞われた。着いた日の夜に猛烈に降って翌朝に市の機能が停止。空港は閉鎖、鉄道も全線運休、命綱の除雪車は出動できず、家が完全に雪に閉ざされた。こんなこともあろうかとゲラを持参していたわたし。しかも折よくキングのゲラだ。もう脳内は完全に『シャイニング』か『ミザリー』状態。窓から吹雪を見ながら数日間ゲラに集中した。そして気づいた。北の国にいれば仕事がはかどる! だって一年の半分が雪なんだから家にこもるしかない=仕事ができる。すばらしい図式。だから小路幸也氏はあんなに本が書けるのね。
 沖縄だったらこうはいかない。昔、沖縄出身の翻訳者A氏を中心に、沖縄に"翻訳者コロニー"を作ろうという無謀かつ素敵な構想があった。でも「よく考えたらあんなとこでだれも仕事なんかできませんよ」という氏のひとことであえなく頓挫。二十年後くらいに復活させてほしいなあとひそかに願っている。
 作家とちがって翻訳者は東京にいないと不利だよね、という暗黙の了解があったのはもう昔の話。ここ数年で地方に移住した同業者は何人もいる。みんなきちんと仕事を継続している。そして誰ももどってこない。東京より生活費の安い(ここ大事)土地でじっくり仕事をしつつ、年に何度かイベントに合わせて東京へ来ては仲間や編集者と旧交を温める。これって理想の翻訳生活なのでは?
 あした大地震や原発事故が起こって突然の避難生活を強いられ、それきりもどれない可能性だってある。だったら身も心もできるだけ軽く、人にも物にも執着しない暮らしがいいと思うようになった。床が抜けるほどの蔵書は必要ない(いや、そもそもないけど)。そうよ、スナフキンは寝袋ひとつとハーモニカで暮らしている。翻訳者だってパソコンと相棒の猫さえいれば(ここ大事)どこでだってやっていけるはず。
 そんなわけで、いまひそかに(ってここに書いちゃってますが)移住作戦を練っている。震災後にさくっと沖縄へ移住した友人の楽園のような暮らしぶりにもそそられるけれど、それはもう少し先の楽しみにとっておこう。元気があるうちは寒い国の暮らしも悪くない。開拓者精神あふれる人たちと、雄大な自然と、海の幸三昧。いいねいいね。仕事さえあれば(笑)。
 それにしても驚いたのが、札幌の賃貸住宅の「ペット可」率の高さだ。あきれるほど寛容。道産子はみんな動物が好き? 寒い国だから毛ものは暖房器具扱い? 真相はわからないけれど、その一点だけでも住みよい街と言えそう。
 これが活字になるころには、北の国も春を迎えているはずなので、お花見がてら遊翻生活の偵察に行ってこようと思う。

 次は〈中央線猫同盟〉のひとり、山田香里さんがバトンを受け取ってくれました。子育てしながらロマンティックミステリを訳す日々のあれこれ、お楽しみに。