松坂健のミステリアス・イベント体験記

健さんのミステリアス・イベント体験記 第38回
大阪ノワールの熱気と脂肪分の厚み
黒岩重吾展で社会派サスペンスミステリを懐かしむ
2014年2月1日~3月30日
「生誕90年 黒岩重吾展」
県立神奈川近代文学館

ミステリ研究家 松坂健

 二枚の写真に、まず魅了された。
 一枚は大阪のミナミの一角と思しき飲食店が立ち並ぶ街角に右手に煙草をもって佇むメガネをかけた青年の姿。
 もう一枚は、遊郭で有名な飛田新地のバス停に立っている同じ青年。
 どちらも昭和30年代初期だろう。いかにもチックで固めましたという七三に分けた髪型と太縁のメガネ。大阪の猥雑感に負けない存在感を示している。
 これが、作家・黒岩重吾だなあ、と思わず、足を止めて見入ってしまった。
 2003年に亡くなった黒岩重吾さんの生誕90年を記念して企画された県立神奈川近代文学館で、行われている「黒岩重吾展」に行ってみたのである。没後の2005年にご遺族から3900点もの原稿、遺品、書物が寄贈され、それを活用しての企画展示会だ。
 黒岩重吾氏は1979年の『天の川の太陽』からは、日本の歴史作家でもなかなか扱わない6〜7世紀の王朝ものに創作欲を向かわせたので、推理文壇から遠ざかっていたのだが、もともとはバリバリの社会派推理作家。
 展示は彼の作品タイトルに合わせての3部構成。
 第一部は『どぼらや人生』と題して少年時代から作家デビューまでの苦難の道を展示。
 1924年生まれ。かなり貧乏な家庭で少年時代を過ごし、同志社大学に進むも、学徒出陣。中国東北、ソ満国境で終戦を迎える。ソ連軍の追撃、中国人民の反抗をかいくぐって帰国できたのは奇跡に近かった。戦後、証券会社に勤務、株の取引で大儲けする。その勢いで酒色に溺れる日々を送っていたら、原因不明の病で全身麻痺。三年もの入院生活を過ごすが、株でまたもや失敗。釜ヶ崎のドヤ街をねぐらに、トランプ占いなどで生活を立てていたという。
 こんな生活ぶりをまとめたのが、『どぼらや人生』なる半自伝だ。どぼらやは、ほらを吹くのほらに大阪特有の強めの「ド」をつけた黒岩さんの造語。大ぼら吹きということだが、この本には出鱈目な人生にも真正面から向かい合った気力が満ちていたことを、僕は思い出した。大阪の街が似合うわけだ。
 第2部は『背徳のメス』と名付けられた社会派ミステリのコーナー。
 手術ミスの死亡事件をきっかけにあぶりだされる医療現場の不正をテーマにして、欲望むきだしの濃い人間しか出てこない作品で、直木賞を受賞している。
 彼の長編デビューは『休日の断崖』だが、これはスピーディで、ちょっとアメリカのマギヴァーンを思わせる作風だ。
 この二作に、『脂のしたたり』を加えて、大阪ノワール三部作といっていいのではないだろうか。どの作品からも土地の臭い、登場人物たちの息づかいが伝わってくる。今の作家にはない、熱気というかカロリーの高さがあるように思う。病床で、作家になって生きるしかない、と決めた迫力がこもっている。
 それにしても、遊郭の飛田を舞台にした作品の数々など、もう誰も描けない世界だから、風俗史的にも貴重だと思う。
 こういう作風だから、徐々にミステリから離れていったのは仕方ないことだろう。彼の青春の航跡は大河小説『さらば星座』に結実している。
 そして、第3部は『天の川の太陽』の表題で、古代史ものの世界を展示している。
 奈良に育った彼の周囲には古墳がたくさんあり、自然に古代ロマンに憧れる環境があった。大作『さらば星座』で人生の総括を果たした黒岩さんは、ためらいなく王朝ものに作家としての進路変更を果たした。
 天智天皇、額田王、聖徳太子など古代を彩るヒーロー、ヒロインを描く筆には、思いがけず清冽な感じがあって、初期社会派ミステリとは正反対のイメージがある。
 過去の作家は急速に忘れ去られていく傾向があるが、ミステリファンとしては、彼の初期の社会派ものだけは復活してほしいと切に願うものだ。『休日の断崖』の展開などミステリとしての味わいも深いのだから。
 展示の最後にあったのが、彼の色紙。
 書かれているのは「生きることを苦しく思う時 思い切り生きたい」という言葉。
 小説に命をかけた作家魂が宿っている。こういう地味な作家の展示会は、本当にありがたい。3月30日まで。