第六十九回日本推理作家協会賞贈呈式・パーティ開催
本年度の日本推理作家協会賞贈呈式は、五月三十日(月)午後六時より、新橋の第一ホテル東京「プリマヴェーラ」にて開催された。
京極夏彦事業担当常任理事の司会で挨拶に立った今野敏代表理事は、「短編賞が出ない年が続いたが、今年は二作受賞となった。しかも二作になった理由も大変優秀な作品で、甲乙つけがたいということを聞いているので、非常に喜ばしい。昨今は雑誌などが大変厳しい状態で、短編を書く機会がなかなか得られない。今回の一作は作家有志が独自で編んだアンソロジーからの受賞となった。作家の方も状況と戦うことが求められる時代になった。受賞者の皆さま本日はおめでとう」と語り、長編及び連作短編集部門の柚月裕子氏、短編部門の大石直紀氏と永嶋恵美氏、評論その他の部門の門井慶喜氏に、正賞の腕時計(大沢商会協力)と副賞の五十万円を贈呈した。
続いて選考委員を代表して大沢在昌氏が長編及び連作短編集部門の、山前譲氏が短編部門と評論その他の部門の選考経過を報告した。
大沢氏は「選考経過を話すはずだった逢坂さんが喉を痛めて声が出ないというので、急遽、役割が回ってきた。受賞作を出すか出さないかで選考会は紛糾した。出すとなれば点数的には最高点だった柚月作品で問題はない。しかし柚月裕子という作家に対する選考委員の期待に、この作品が応えているかというところで、私自身はいささか疑問を持っていた。最終的には受賞作を出そうとする方に私も投票し、柚月作品が受賞となった。柚月作品を強力に推したのは逢坂さんと黒川さんだった。逢坂さんは、本作は直球の警察小説であり、直球をを投げきることはなかなかできるものではない。それをみごとにやった点を高く評価された。黒川さんは小説の形が非常に端正であることと、作品の中で広島弁が生きていること、なかなかここまで方言を使い切れる作家はいないというところを高く評価された。賞というのは取り時がある。今回の受賞で慢心する人ではない。受賞をバネに、今後さらにいい作品を書いてくれるであろうと、確信が持てる方だ。今回の受賞が大きな追い風になることを信じている」と語った。
山前氏は「最初の投票で受賞の二作が上に来た。残りの三作はつじつまの合わないところがあるなど、内容に不十分なところがあった。他の選者の方も推せないという意見だった。大石作品は冒頭の情景が印象的で、一番仕掛けに工夫があった。永嶋作品は三人の女性がばば抜きをしている間に、殺意が醸し出されてくる。私はもう少し伏線があるといいなと思ったが、最後の不思議な余韻が評価された。昨日のダービーではないが、写真判定で一着を決めるという問題ではない。本当に差が無いので二作受賞ということになった。評論部門もすぐに門井作品と川本作品の二作に絞られた。残りの三作は読者の方に伝わってくるものがなかった。川本作品は、サスペンス映画に対する愛はあったが、原作や原作者に対する記述が薄い。小説の方にももう少し愛を注いで欲しかった。門井作品はジョゼフィン・テイの「時の娘」という作品から始まる。最初に絵画論になってしまい、これはどういうことになるのかと思っていると、ちゃんとミステリーの根元や、名探偵の存在などが論じられていく。読者を引きずり込む語り口が非常によかった。宗教的な問題とか、深く突っ込んだ方がいいかという思いもあったが、選者の意見は一致した。四年間務めてきたが、初めて不満のない、満足な結果になった」と語った。
この後、各受賞者から挨拶があった。
柚月氏は「このたびの受賞は謙遜でも建前でもなく本当にないものだと思っていた。というのはありがたいことに本作は協会賞の前にいくつかの文学賞の候補に挙げていただいた。その文学賞に関わる選考委員の皆さまのご意見に、大変厳しいものが多く、作品が持つ傷、自分自身の作家としての未熟さを痛切に感じたからだ。受賞の連絡があり、集まっていた編集者の皆さまが喜ぶというより、ほっとした顔をしたのを見て受賞を実感した。選考会当日の記者会見の場で、今野代表理事が、作家は時間をかけて熟していくものだと仰った。私も少しずつでいいから作家として熟していける時間をいただきたい、そう心から思った。今日この場にたっている今よりも、少しでも熟すことが出来たのではないか、そう思えるときまで、さらに欲を言うならもっと先まで、一日でも長く作家であり続けたい。このたびの選考委員の言葉をしっかりと受け止めて、小説にしっかりと向き合って、自分の未熟さを常に意識しながら、これからも頑張っていく」。
大石氏は「去年の夏に引っ越しをしてその通知を何人かの編集者にメールした。その中に小説宝石の編集長もいた。メールの最後に引越祝いにたまには短編を書かせて下さいと書き加えた。当時七年間ほど小説誌からの依頼は無かったし、甘い世界でないので冗談のつもりで書いたのだが、では一本お願いしますという脳天気な返信が来た。引っ越しすると短編を書かせてくれるんだと、驚いたり喜んだりしながら七年ぶりに書いた短編で受賞となった。ここでわかったことが二つある。くり返しになるが、引っ越しをすると短編が書ける。もう一つが、各小説誌の編集者がほとんど注目していない小説家の中にも、実はとても面白い短編を書ける人材がいる、それは私のことです。長い間書き続けてもなかなか目が出ないような人にも、目をかけていただいて、ちょっとでも引っ張り上げる協力をしていただければ、私のような者が受賞した意味があるのではないかと思う」。
永嶋氏は「賞にノミネートされたことを友人に話したら、愛宕神社の出世の階段を登りに行かないと、と教えてくれた。三代将軍徳川家光がここを通りかかったとき、馬に乗ったまま坂を登って、石段の上にある梅の一枝を折ってこいと命じた。しかしあまりの急坂で誰も行かないところ、一人がやり遂げて献上し、馬術の名人として名を上げたという謂われがある。要するに神頼みである。こんなことで神頼みしたら罰が当たるのではと心配になったが、すでに書いてしまった作品の結果を待っているだけなので、自分で努力できる余地は全くないのだから、神頼みしてもいいのだと友人に言われ、納得して全部で八十六段ある石段を登ってきた。傾斜角が四十度という急坂を登り切り神頼みの結果、今回賞をいただいた。これから先は努力の余地しかない。努力しなければ罰が当たるとわかっているので、今後も精進して行きたい」。
門井氏は「この作品を書いた理由は「時の娘」という作品が大好きだということにある。歴史ミステリーということになっているが、実際に読んでみるとあれはアンチ歴史ミステリーだ。つまり歴史なんていかに信用がならず、人類を誤った道に導く、迷惑でしかないものである、ということを最後の結論に持ってきている。若いころ読んでそこにすごい衝撃を受けた。僕自身は歴史が大好きだが、そういう結論が出ている小説に魅力を感じてしまった。どういうことなのか、一冊評論を書けばそれがわかるかもしれないと思い、書いてみたところ、賞をいただいた。しかしどういうことなのかはいまだによくわからない。歴史が好きだが、歴史は迷惑だ、両方が真実ってことでいいのでは。その真実の間で揺れ動く自分というものを物語に仕立てて、あるいは別の形で原稿に書いて世に送り出すことができれば、と最近は思っている。本業は作家なので、すぐに評論ということにはならないと思うが、少しずつ歴史評論、古典評論、美術評論など広い意味でのエッセイということになるのではと思うが、そういったものを少しずつ書き続けていきたいと思う。小説の方でも頑張ります」と、それぞれ喜びを語った。
最後に北村薫氏が「寄る年波を感じるが、その私より協会賞はちょっとだけ年上だ。六十九年という歳月、多くの方々の名を刻んできましたが、今年もまた新しい方々の素晴らしいお名前を刻むことができた。皆さん輝いていましたが、今のお話しが素晴らしかったので、さらに輝いて見える。これからの一層のご活躍を」と挨拶し、壇上に上がった受賞者、選考委員とともに乾杯し、三百人近い出席者は午後八時の散会まで、受賞者を囲み楽しいひとときを過ごした。当日の模様はスカイパーフェクTV!「AXNミステリチャンネル」で放映の予定である。