土曜サロン

権田萬治「ミステリー批評55年 泡坂妻夫と雑誌『幻影城』」
第210回土曜サロン

権田萬治

 豊島区中央図書館では、平成二十四年から「地元の作家泡坂妻夫展」を開催しており、今年で五回目だが、今回はこの展示期間中に権田萬治氏の「ミステリー批評55年 泡坂妻夫と雑誌『幻影城』」という特別講演が行われたので、終了後同図書館会議室で、この講演会に参加した会員による土曜サロンを開くことになった。
 講演会には泡坂家からご息女三姉妹もそろって参加されるなど、満員の盛況だったが、権田氏は、まず、「幻影城」という雑誌の特殊な性格について次のように述べた。
 
「エスカルピは『文学の社会学』で文学の発達とメディアの関係に注目しているが、ミステリーの発達を考える上で戦前の「新青年」、戦後の「宝石」という二つの雑誌の存在を見逃すことはできない。「新青年」は、大正九年(一九二〇年)に創刊され、戦後まで約三十年間、「宝石」は昭和二十一年(一九四六年)から十八年間発行されている。部数も「新青年」が約三万五千、「宝石」は一万五千から三万程度という。
 これに対して昭和五十年(七五年)に創刊された「幻影城」は約四年半発行され、部数はおよそ四千五百部。他の二誌と比べ発行期間も部数も格段に少なかった。だが、今でも大きな存在感を持っている。その理由は何か。
 私は、「幻影城」は、島崎博という実に個性的な編集長が戦前の探偵小説の再評価と評論・研究の重視、さらには新しい時代にふさわしい作家の発掘という明確な目的を掲げ、雑誌発行だけでなく並行して、評論・研究書と創作小説を出版するという大胆な試みをやった一種の文学運動の〝リトル・マガジン〟ではなかったかと考えている。
 リトル・マガジンというのは、営利目的ではなく明確な立場を鮮明に打ち出す文学運動などの小雑誌のことで、この名を「幻影城」に課すのは、必ずしも適切ではない。が、同誌が表紙や目次から内容に至るまで、島崎博という編集長の強烈な個性で彩られていること、読者と作家、評論家、編集長との距離が非常に近く、ファン・クラブの「怪の会」と「幻影城」出身の作家による「影の会」などの活発な活動も、他誌には見られない現象で、雑誌「幻影城」を中心に一つの〝精神共同体〟ができていたと考えている。
 そして優れた作家であり、創作奇術のプロであった泡坂妻夫は、手品が上手く、明るく気取らない人柄でそういう精神共同体、運動の一つのシンボルであり、大スターであった。
 なお、今年は小樽文学館でも「魔術文学館へようこそ ミステリ作家・泡坂妻夫展」が七月三十日から開催されるという。ご興味のある方はどうぞお訪ね頂きたい。
 さて、私は「宝石」と「幻影城」という二つのミステリー専門誌で批評活動を始め、今年で五十五年になる。
 デビュー当時、私は不勉強で、ミステリーの批評の方法についても、十分な考えを持てなかった。そういう意味で、最初の「感傷の効用 レイモンド・チャンドラー論」や土屋隆夫、松本清張などについての私の初期の評論には未熟な点が多かった。そんな私だが、『現代推理小説論』や昨年刊行した『謎と恐怖の楽園で ミステリー批評55年』で、少しずつ何とか自分の考えをまとめ、問題提起ができるようになったと思っている。今後皆様の率直なご意見を頂ければと思っている。」

 続く講演終了後の懇談では権田氏のプロフィル的な面でのさまざまなエピソードが取り上げられた。
(豊島区立中央図書館 田中正幸)

[参加者]青井夏海、飯島一次、石井春生、新保博久、竹上晶、平山雄一、松坂健、桃さくら