健さんのミステリアスイベント探訪記 第56回
見る人の心胆寒からしめるコレクション
シリアルキラーが残した絵画展
2016年6月9日~7月10日 東京・銀座 ヴァニラ画廊
ミステリ研究家 松坂健
なかば予想されていたこととはいえ、見終って会場へ出てからの数刻、お腹の中に重たい鉛のかけらがはいってしまったような重苦しさがど~んと襲ってきた。
別に絵画に変わりはないし、むごたらしい場面を描いているわけでもなかろうとたかを括っての絵画鑑賞のはずだったが、やはり圧倒的な絵そのものにあったような気がする。
東京・銀座八丁目にある異色のギャラリー、ヴァニラ画廊で行われている(7月10日まで)「シリアルキラー展」のことである。
表題の通り、アメリカで名高い連続殺人犯が獄中で描いた絵画の収集家が、そのコレクションの一部を公開したのである。
知能指数160を超える天才といわれ、そのハンサムな美貌もあって、30人以上殺したとされるテッド・バンディ。被害者の数、300超えといわれる大量殺人鬼の代表、ヘンリー・ルーカス。彼はFBIの捜査に協力し、『羊たちの沈黙』のレクター博士のモデルになったとされる。そして、ロバート・ブロック=ヒッチコックの『サイコ』のモデル、エド・ゲイン。極め付きはピエロの恰好をして少年にアプローチし、殺しまくったジョン・ゲイシー。彼はスティーブン・キングに『IT』をもたらした。
まあ、そういったシリアルキラーたちが獄中で描いていた絵画の実物が展示されているのである。美術展の歴史の中でも、最もイーリー(怪奇)で異端の展覧会になったのではないだろうか。
もともと、アメリカでは死刑囚、無期囚などでも表現の自由が保証されていて、小説を書いて発表したり、絵を描くことが許されている。
”殺しの道化師”(キラークラウン)こと、ゲイシーなどは、ピエロに扮した自画像を多数残し、それをオークションに出品して、売りまくっていたという。その生涯製作数は4000点を超えるらしい。
途中、さる大富豪がゲイシーの絵画を買いあさった。それは焼き捨て、この世からゲイシーの痕跡を消すためだったが、あまりに数が多く、世界中のコレクターの手にばらまかれ、全貌は誰にも見えていない。
日本ではこの展覧会の主催者、HN氏がこうした作品を1000点以上所有しているとのこと。映画『羊たちの沈黙』を見たのが、こういうコレクション活動に着手したきっかけだったというから、それほど長い時間かかっているわけではないから、結構、作品が隠れた市場に出回っているようだ。
さらに、実際にシリアルキラーと文通し、直接、作品や記念の品物を貰ったりもしているようだが、すごいマニアがいるものだなあ、とため息が出る。
ジャック・カーリーが書いたミステリ『デス・コレクターズ』は、おぞましい殺人事件の遺品などの現物を集めるコレクターたちの世界を描いているが、この展覧会を見ると、地下に流れた公文書などもあるので、そういうオークション市場が現実にあるのだなあと、あらためて人間のマニア魂というのに限界はないと感じる。
さて作品だが、やはりひときわ目立つのがピエロ姿の自画像を多数残したゲイシーの作品群だ。その中の一枚、メイキング・ポゴという作品は、普通のアメリカ市民がポゴ(自分をそう呼んでいた)になっていく姿を描いている。その変身の過程で彼の心の中にどんな変化が起きたのだろうと推察すると、なんだか寒いものが背筋に走る。
この展覧会を見ての感想は千差万別だろうが、僕がいちばん強烈に感じたのは、ゲイシーの絵に限らず、他の殺人者たちが描く人間の顔。その「両目」がほとんどかっと見開かれ、不自然に感じられるほど大きいことだった。切れ長とかぽつんと点になっているような目を描いているものはひとつもなかったように思う。
トマス・ハリスは『羊たちの沈黙』のエピグラフにニーチェの有名な「深淵をみつめることなかれ。深淵をみつめるあなたは、深淵からもみつめられているのだから」(正確な引用ではなく、記憶で書いてます)を引いているが、シリアルキラーの絵画にある「目」はみんな深淵をのぞき込むような大きなものだ。会場を後にして、真昼の太陽の中、銀座通りを歩きながら、その目のことを思い出していたら、徐々に鉛が胃の腑に落ちてきた感じがしはじめたのである。
気の弱い人は避ける方がよろしいかと思うが、ミステリ執筆に携わっている方々には、考えさせられるものがあるのではないかと思う。こういうのって、二度はやらないのじゃないかなあ。
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乱歩さんの終の棲家は池袋。旧乱歩邸が立教大学の所有になったこともあり、豊島区は東京23区の中で、もっともミステリを地域イベントの目玉にしているところだ。
この6月11日からはミステリー文学資料館主催の土曜講座として、「すべては乱歩から始まった―豊島区ミステリーの系譜」が始まった。
講師は新保博久氏と山前譲氏。
第1回は新保氏の「江戸川乱歩と夏目漱石」以降、山前氏の「江戸川乱歩と大下宇陀児」、新保氏「泡坂妻夫・ミステリー・奇術・職人の世界」山前氏「現代ミステリーが描く池袋」と続く。
こういう地味だけれど、文学的なイベントが行われる地域の文化力は羨ましい。僕が住んでいるのは「江戸川」区なのに、なにもやってくれないからなあ。