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一方通行の再会

千澤のり子

 先日、娘の中学入学の記念写真を撮ってもらいに、地元の写真店を訪れた。七五三以来だから、約五年ぶりだ。
 懐かしい受付には、大きなパネルが飾ってあった。三世代の一族を写したもので、幼い孫たちを中心に十数人の老若男女が笑顔を向けている。
「うちの自信作よ」
 凝視する私を見て、店主は言った。確かに、人目を引く素敵な写真だ。
 だけど、私が固まっていた理由は、それだけではなかった。後方に懐かしい人が写っていたからだ。
 その人は、中学時代の吹奏楽部の一学年上の先輩で、誰かと同じ本を読むことの楽しさを、私に教えてくれた人だった。
 中学一年の頃。彼はバスクラリネット、私はホルンを吹いていた。木管楽器と金管楽器なんて、合奏くらいしか接点はない。年齢も性別も出身小学校も異なれば、なおさらだ。
 話したこともない先輩と親しくなれたのは、推理小説がきっかけだった。部活の休憩時間中、音楽室で彼が『Xの悲劇』を読んでいたのだ。たまたま周囲に部員たちがいなかったので、私は思わず声をかけてしまった。
「その本の犯人を知っています」
 当時、エラリー・クリーンは、子供向けに翻訳された『Yの悲劇』と『エジプト十字架の謎』、大人向けでは『シャム双生児の秘密』と『中途の家』しか、私は読んでいなかった。
 でも、『Xの悲劇』の犯人とトリックは知っていた。子供の頃に読んだ推理クイズ本で、ネタバレをされていたからだ。
 部内に推理小説を読む人がいなかったせいか、彼は驚いて言った。
「エラリー・クイーン、面白いよね」
 そのあとは何を話したか記憶にない。楽しかったはずなのに、なぜか胸が苦しくなったことだけは、はっきりと覚えている。
 中身を読んでいないとは言えず、数日後、私は図書館に足を運んだ。目的はクイーンの『悲劇四部作』だ。『Zの悲劇』以外のネタは知っていたのに、それでもものすごく面白かった。推理小説って、トリックと犯人が分かれば充分というわけではないことを知った。
 もっと本が読みたい。読んだらその本の話をしたい。次に読みたくなる本を教えてほしい。そして再び語り合いたい。
 推理小説はもともと好きで読んでいた。でも、子供向けに翻訳されたもの以外、特に国内作品は成人向けという思い込みが強かった。濡れ場の多く登場する、二時間ドラマの影響だ。だから、読まず嫌いだった。
 彼の教えてくれる作品は、十三歳の少女でも抵抗なく読めるものが多かった。アガサ・クリスティや横溝正史も、わずかな期間で一気に読んだ。いつしか、私が既読、彼が未読の作品も出てきた。ふたりとも新しい作家に触れたいときは、日本推理作家協会が編集したアンソロジーを参考にしていた。
 話をする時間は、楽器を片付ける間のほんの数分だった。もちろん、それだけではもの足りない。次第に周囲も勘ぐるようになってきたから、堂々と話しかけることもできない。
 そこで、共有の巾着袋を用意し、その中に自分の所有している本を入れ、密かに貸し借りを行うようになった。袋の置いてある場所は、音楽室のカバン置き場だ。どちらが言い出したでもなく、「木の葉は森に隠せ」を応用した。中身は本のほかに、簡単なメモ、学校では禁止されているキャンディが入っていた。
 感想を伝えるのは、アイコンタクトだ。「面白かった」、「イマイチ」、「犯人当たった」、「見事にやられた」など、鏡越しに表情で伝える。名前も呼ばれたことがないのに、そのたびに、胸が締め付けられた。今までにない感情だった。これがきっと、私の初恋だ。
 そのやりとりは学年が上がっても続き、彼が引退すると同時に終わった。誰にも知られていないと思っていたのに、顧問だけが気づいていた。
「彼がいなくなってから寂しそうね。たまには顔を出してねと伝えてちょうだい」
 顧問のおかげで、ほんの少しだけ、仲が復活した。
 身近にいた彼は、残念ながら「懐かしい人」になってしまった。だけど、あのとき読んだ大量の推理小説は、私の心の財産として残っている。
 娘があの頃の私と同じ年を迎えようとするとき、彼に再会した。念のため、写真店の店主に、パネルに写る一族の名前を確認した。そのとおりの返事をもらった。
 大人になった私は、自分でも推理小説を書くようになり、日本推理作家協会に入会した。
 今度は彼が私に一方通行の再会をするのだろうか。私は変わらずに推理小説が好きだということは、再会してもらえるまで、これからもずっと伝えていきたい。