松坂健のミステリアス・イベント体験記

健さんのミステリアス・イベント第70回 日本推理作家協会設立70周年記念イベント 歴代理事長大いに語る!

ミステリコンシェルジュ 松坂健

 日本推理作家協会(MWJ)の設立は1947年(昭和22年)の6月。当時は日本探偵作家クラブと称していたが、それからの計算で今年が創立70周年の節目にあたる。
 アメリカ探偵作家クラブ(MWA)がクレイトン・ロースン、アンソニー・バウチャー、ローレンス・トリート、ブレット・ハリデイなどの尽力で作られたのが1945年だから、MWJの発足はアメリカと比べても遜色がないし、ジョン・クリーシーの提言で始まった英国推理作家協会(CWA)にいたっては創立が1953年だ。
 探偵作家クラブの創立者は乱歩さんで、米国に負けまいとする国際化を当時から考えていたのは、彼のいずれはアメリカで探偵小説を!という夢から察しても、当然だと思われる。そんな思いが結実しての70周年だ。
 協会は節目ごとに様々なイベントを行ってきており、50周年は辻真先さんの台本で、協会員大挙出演の文士劇『僕らの愛した二十面相』を上演、60周年は立教大学のキャンパスを借りてのミステリファンとの大交流会があった。
 ということで、今年の70周年記念イベントは協会員の近況などを綴った書き下ろしのエッセイ集『推理作家謎友録(めいゆうろく)』の出版とJT協賛による「嗜好と文化―私のポリシー」と題するワークショップ、トークショーとなった。
 トークショーの開催は2017年10月18日(水)霞が関のイイノホールにて。毎年、この頃に開催されているJTの恒例イベントの拡大版の形式だが、それでも600名収容できる会場がびっしり。ミステリへの関心が決して冷めきってはいないと、協会の一員としても胸を撫でおろすところがあった。
 イベントは17時開始の「特別企画ワークショップ」からスタート。これは一般参加とは別に限定人数で応募してもらったファンが来場したものだが、これも満員御礼。
 構成は第一部が「逢坂剛独演会」と称する、逢坂さん得意のガンマン早撃ち芸とフラメンコギター演奏。逢坂さんの軽妙なトークで会場を和ませておいて、第二部「書評家座談会」に突入。出席者は西上心太さん、吉田伸子さん、山前譲さん。
 書評家としての苦心を披歴しあう趣旨の座談だが、やや内輪向けのエピソードに偏り過ぎたという印象があった。途中、逢坂さんから「作家の書評と書評家の書評は違うんだよね」という問題提起があったのだけれど、掘り下げることなく終わってしまったのは残念。
 書評家が何をポイントに評価を下すのかといったことを聴衆は聞きたいのではないかと、忖度したいのだが、妄言多謝。
 ここで会場を大ホールに移して、本編の第一部。18時から18時50分の一時間弱を使って、今年度日本推理作家協会賞の受賞者のトークショーだ。
 出演は長編および連作短編集部門受賞の宇佐美まことさん(作品は『愚者の毒』)、短編賞の薬丸岳さん(作品は『黄昏』)にそれぞれ、それぞれの賞の選考委員を務めたあさのあつこさん、道尾秀介さんがコメンテーターとして付くという趣向。
 受賞した瞬間の喜び、作品完成までのいきさつなどが語られ、これはなかなか初々しくて好感度に高いものがあった。結びで道尾さんが言った「いい受賞作家であることよりも、単純にいい作家になることを目指しなさい」という指摘は胸にしみいるものがあった。
 そして、本編第二部、メインイベントが「俺のポリシー」と題した歴代推理作家協会理事長(今野氏のみ代表理事の肩書)の座談会。出席者は以下の5名。
・阿刀田高さん(1993~1997在任))協会として9人目の理事長
・北方謙三さん(1997~2001)10人目
・逢坂剛さん(2001~2005)11人目
・大沢在昌さん(2005~2009)12人目
・東野圭吾さん(2009~2013)13人目
・今野敏さん(2014年~)14人目
 これだけのメンバーが一堂に会するのは天文学的確率のようなものだと思う。
 どのお一人をとっても、座談の名手揃い。司会役の大沢さんによれば、「このメンバーなら打ち合わせ不要」とのことで、壇上に上がる前から大盛り上がりだったということ。
 話は歴代理事長のその時代の思い出話から、推理作家協会会員であることで得したこと、損したことなど。適度なゴシップを交えてのトークは快調そのもの。「得した」というエピソードで地方在住の作家先生が路上で倒れて、救急車が呼ばれたのはいいが、意識が混濁しているかどうかの問診で姓名、生年月日、職業などを言った時の話が傑作。「職業、作家」と言ったところ救命隊員さんが「こりゃダメだ」と言いかけた気配を感じたその方が、たまたま持参していた推理作家協会の会員証を提示したところことなきを得たエピソードには会場が笑いの渦になった。
 トークの中にはミステリの将来などについて、これから変革を余儀なくされる出版形態への危惧など真面目なテーマもあった。印象的だったのは、中国・韓国・台湾への我が国のミステリの輸出が好調ということ。映画化権などへの支払いは日本の同じ類の申し出の十倍以上あるとのことだった。
 それに対し、英米への輸出はまだまだ、という指摘もあった。
 僕は数年前、一回だけ理事会にオブザーバーとして出席させていただいたが、その時の次年度予算策定で、国際交流費にたった1万円しか予算がついていないことがあって、愕然としたことがある。これはちょっと驚きだった。僕は英米独・東欧のミステリ作家、評論家が集まる小さな会議に出席しているが、彼らが英語圏での出版のために何をしたらいいかについて、いかに真剣になっているかを知っているだけに余計、そう思った次第だ。
 協会の英文サイトも出来上ったことだし、ミステリの国際化も本番はこれから、ということだろうが、協会として海外のミステリに与える賞を設置したり、ミステリ映画賞をつくるなどの施策があってもいいような気がする。お世辞ではなく、日本のミステリはグローバルスタンダードを超えているのだから、80周年に向けて、より協会のプレゼンス(存在感)を高めてほしい。