松坂健のミステリアス・イベント体験記

健さんのミステリアスイベント体験記 第71回
蘇る小栗虫太郎の絢爛たるペダントリー「小栗虫太郎 ―― 大魔城の扉を開く」展
2017年11月13日~12月1日 成蹊大学図書館

ミステリコンシェルジュ 松坂健

 2016年の夏、古書業者が集まる入札市に小栗虫太郎関係のものが、草稿、創作メモ含め大量に出品され、話題を呼んだ。個別に買われてしまうと、分散して、将来的に散逸するおそれがあると言われたのだが、幸いにも、このところミステリ関係の書籍(洋書も含む)収集に熱意を示してくれている成蹊大学図書館が一括して落札。これは大変な偉業と讃えられてしかるべきだと思う。
 結局、小栗家のご遺族からも追加資料の寄贈などがあり、不揃いだった清書原稿の欠けている部分が補われたりした模様だ。いわゆる小栗アーカイヴが出来上がったと見ていいだろう。
 欧米の作家は没後、遺族が大学に様々な資料を寄付し、その作家のアーカイヴが作られることが多い。後続の研究者にとっては、たいへんな宝庫で、この習慣がどれだけ文学研究に資していることか、羨ましい。
 ということで、この成蹊大学図書館収蔵資料の一部を公開してくれたのが、「小栗虫太郎展 ―― 大魔城(ペンデモニアム)の扉を開く」と題した展示会。
 「きちんとした分類整理はまだしばらく先となりましょうし、私たちの研究の業績も十分とは言えません。しかしだからこそ、その一歩を踏み出したい」(リーフレットにある浜田雄介教授の弁)との思いで、収蔵後一年の短い期間で、ここまでもってきてくれただけでも、昭和ミステリに関心のある者には、たいへん意義のあるものだと思う。
 展示物の圧巻は、やはり生原稿だろう。
 とくに犯罪心理小説の領域に入る『白蟻』の原稿には驚きのひとことだった。
 原稿用紙を二段に使って、印刷されている升目は一切、無視。米粒よりも小さな文字でぎっしり書かれていて、またその手直しも赤字で細かく記入されたものだ。これだけのものを原稿用紙一枚に詰め込む集中力は並大抵のものではない。
 虫太郎のパトグラフィー(病跡学、傑出した人物の精神病理的側面がどのように作品に反映しているかを探る学問)が試みられたことはないが、様々な原稿の実物を見ると、この博覧強記そのものの作家の脳みその中身を見たくなること請け合いだ。
 また残されている創作メモも貴重だ。この展示会では『黒死館殺人事件』のメモの一部が公開されているが、それを見ると荒唐無稽にしか思えない衒学趣味にかなりの出典があることが分かる。
 この秋、雑誌新青年連載の『黒死館』をすべて実物復刻し、その中に盛り込まれた虫太郎の該博な知識のひとつひとつに注釈をつけた労作『新青年版 黒死館殺人事件』(作品社刊)の編者・山口雄也さんにも「加わってもらって、『虫太郎の注釈学』のような企画も新たに起こしてほしいと思うほどだ。山口さんによると、虫太郎の衒学は根拠のないほら話のようなものと言う人もいたらしいが、これだけ実物のエビデンスを突きつけられると、ぐーの音も出まい。
 それにしても、やはり大学図書館、虫太郎の原稿をデータ化し、パソコンで見られるようにしてあるが、その解像度の高さ、操作性の良さ、さすがだと思う。
 虫太郎ファンとしては、生原稿や写真類、謄本などの書類をできれば原寸大、カラーで復元した大型の本など出版してくれたらなあ、と思う。30万円だしても僕は買うと思うな。でなければ、作業がすんでいると思われるデジタルアーカイヴの公開(フリーアクセス)などを望みたいところだ。
 九州大学の夢野久作、神奈川近代文学館の久生十蘭につづいて、やっと小栗虫太郎も整備された。めでたいことだと思う。