松坂健のミステリアス・イベント体験記

健さんのミステリアス・イベント探訪記 第78回
皆川博子さんの夢想は”実現”する。 東京・入谷での幻想的な皆川さんイベント
2018年6月23日~7月8日 東京台東区・入谷 古書ドリス にて

ミステリコンシェルジュ 松坂健

 僕の読書感に強い影響を与えた本はいくつもあるが、そのひとつにがコリン・ウイルソンの『夢みる力』がある。
 なんだかやわなタイトルと思いきや、そこは『アウトサイダー』にして稀代の読書の達人、中身はハードな作家論なのである。
 人が喧嘩で相手を倒す力が「腕力」、行動を持続させるものが「体力」、相手を知恵でねじ伏せるのが「知力」などと言うのなら、人が「夢を見る」のも力のひとつといっていいのではないか、とこの本は主張する。
 ここでいう「夢」にはもちろんDREAMという英語が当てられているが、夜寝ている時にみる夢というより、白昼の中でも見るある種の幻視、ビジョンをさしてウイルソンはDERAMという言葉を使っている。
 原題の The Strength to Dreamにあるストレングスは比喩というより、そのまま具体的ないろいろなものを動かせるエネルギーとしての「力」といっていい。
 「文学と想像力」との副題には、想像することには、体力や知力と等しい「力」があって、決して幻のようなものではない、とウイルソンは説く。その文脈で、ドストエフスキーやベケット、ラブクラフト、トールキンを論じている。
 そもそも「幻視者」が世の中を動かす隠れた力というのは、ウイルソンの思想のコアだが、「夢みる力」は現実に様々な事件を起こしていく、と彼は語るのである。
 そんな文脈で今の作家を眺めて、その「夢みる力」をこんなにまで所有していたのか、と感心した人が皆川博子さんだ。
 正直、僕にとっての皆川さんは、『ライダーは闇に消えた』で鮮烈な印象を与えたクライムストーリーの練達の士だった。昭和50年刊行。この頃はちょっと小さめのB6判ソフトカバーで地味ながら力のある作家のものが出ていたころだ。ちょっとあとになるが、中町信さんとか、山村直樹さんの『追尾の連繋』とか、『ライダー』はバイクマニアの世界を描いて、内輪の世界に生まれる嫉妬と恨みの連鎖を描いて、ちょっと英国のクライムサスペンスを思わせるものがあった。のちに、作者が自転車にも乗れない、としって「夢見る力」の凄さを知ったり(笑)。
 とまあ、そんなことで、彼女をある種、社会派ミステリのひとりなんて思っていた時にぶつかったのが、『死の泉』。それまでにも、探偵作家クラブ賞の『壁―旅芝居殺人事件』に耽美への傾斜を感じていたものが、この1997年(もう20年になるの!)の作品で描かれた世界にはまこと衝撃を受けた。
 ナチドイツでの美少年を集めた収容所での物語。出てくるのは全部、外人さん。こういう小説を「夢見る」力を、この人は持っていたんだと、読後呆然とした思い出がある。
 この小説はドイツ人の書いた作品を野上晶なる日本人が翻訳したという設定にしていた。著者はハヤカワミステリの体裁で刊行するのが夢だったようだが、普通の四六単行本で出された。ただ。タイトル頁の見返しに、作品の原題や日本版翻訳権の帰属などがあって、立派な翻訳書として、彼女の夢が実現している。奥付には野上晶の略歴もつける凝りようだが、その主訳書に『倒立する塔の殺人』『薔薇密室』などとある。すべて、のちに皆川さんが世に送り出している。なんという「夢見る力」の具体性だろう。
 そんなことだから、彼女が夢想した特別なプライベート図書館が現実化するのも、わけはないことだった。
 80歳をゆうに超えた皆川さんへのオマージュ原稿を多数集めた『皆川博子の辺境薔薇館』(河出書房新社)の刊行を記念して東京の下町、入谷の古書店ドリスで「刊行記念フェア」が開催されたのである(6月23日~7月8日)。
 ドリスさんはもともとシュールリアリズム関連の美術書、怪奇幻想文学などの専門店として有名な古書店で、昨年の『辺境図書館』が出たときのフェアにつづいて、イベント化したものだ。館内には、宇野亞喜良氏、建石修志氏などのオマージュ作品を展示し、書棚には皆川さんが『辺境図書館』で扱った本を多数並べるという趣向。
 大きな書店ではなく、東京の下町の一角に皆川図書館が出現するというのも、なかなかに渋い。ドリスさんは以前は江東区の森下町にお店があったものを、台東区の入谷に移転している。下谷は皆川さんが敬愛する作家のひとりである中井英夫『虚無への供物』の冒頭に出てくる怪しげなナイトクラブ”アラビク”にも近いし、このあたり真昼に歩くと、それこそ都会の幻の迷路にいるような気分になれるところ。鶯谷駅のラブホテル街の俗悪な看板も妙に耽美的に見えたりして。
 ともあれ、皆川博子さんの夢を現実にする力に、「美酒少し」(『虚無』のエピグラフに引かれたヴァレリ―の詩)捧げるのがいいように思える真夏の入口の出来事だった。