健さんのミステリス・イベント体験記 第79回
突如、銀座四丁目に出現した幻想乱歩空間 2018年7月25日~9月2日 石塚公昭幻想写真展ー生き続ける作家たち リコーイメージスクエア銀座 ギャラリーA.W.P
ミステリコンシェルジュ 松坂健
日本の中心と言えばやはり、東京。
その東京の中心はどこと問われれば、新宿と答えたい方もいるだろうが、ここは銀座四丁目の交差点ということになるだろう。
三越百貨店と和光(服部時計店)のあるこの交差点は、乱歩が筆を振るっていた大正・昭和初期から一貫して「帝都」を代表している。今も多くの人が行きかっているが、その交差点の一角を占めてるのが、丸い筒状のミラー張りの三愛ビル。今は1階、2階がカフェドトール、3階以上はエステサロン、最高級品を扱う質屋さん(!)などがテナントになっているが、その8階、9階がこのビルのオーナー企業リコーのいわばアンテナショップになっているとは、長く東京に住んでいる僕も知らなかった。
もともと、このビルは光学機器のリコーの故市村清社長が1963年に完成させたもので、半世紀以上も同じ形で銀座四丁目を見下ろしている。ということで、8階、9階がリコー系のカメラなど(アサヒペンタックスも今はリコーの傘下)を展示している。
とまあ、前置きがだらだら長くなっていけない。言いたいのは、この銀座三愛ビルで、乱歩さんゆかりのイベントがあったということだ。ビルの解説などどうでもいいのだが、銀座のど真ん中のビルの上層階にこんなに静かな隠れ家的なスペースがあって、そこで乱歩さんたち文士の人形を撮影した幻想的な写真展がある、という事実だけでも、十二分に「白日夢」的なことなのである。空間も円筒状のビルの必然で、円く回廊風になっているのも、なかなか。そういう意味でも「帝都」の乱歩展というタイムマシン的な雰囲気もあった。
さて、イベントは「石塚公昭 幻想写真展ー生き続ける作家たち」と題されたもの。
石塚氏はクラフトデザイン研究所の陶磁器学科卒業ののち、岐阜・瑞浪市や茨城・高萩市などで製陶業の現場で修業、1982年からジャズ・ブルースの世界をテーマに人形を製作、1985年には銀座プランタンで行われた第一回人形達展」に招待されたりしている。
その後、製作する人形の対象が文士・作家に移行し、1987年に江戸川乱歩を製作。とにかく最初に浮かんだのが「尻っぱしょりで屋根裏に潜んでいる江戸川乱歩だった」(図録より)ということだ。
カメラ技術にも卓越した技術をもつ石塚氏は、その人形をそれにふさわしい風景の中において、写真をとる試みを始め、それが彼特有の幻想写真となった。
背景は現実の風景も、彼が丹念に作った自作のものもあるが、その文学世界と人形が溶け合った写真には独特の世界観が宿っている。単なるオマージュの領域をこえて、その作家の精神生活のありようまで分析している感じがある。
今回展示されたのは36点。
乱歩さんのものが内12点。『屋根裏の散歩者』などは、現実もこうだったに違いないと思わせるほどの迫真の出来栄え。美貌の夫人の肩越しに乱歩さんの顔がのぞく『黒蜥蜴』、古本屋の風情を見事に再現した三人書房にいる乱歩(『D坂の殺人事件』)など、どれもディテールの再現が素晴らしい。
どれも人形のいるシチュエーション設定が考え抜かれているのに感心。
他の作家だと、東京医学校前で軍服で威儀をただす森林太郎、三四郎池にたたずむ漱石、質屋の伊勢屋から出てくる樋口一葉、ストリップ小屋の舞台をのぞく永井荷風、大きな薔薇の絵をバックにしたネクタイ・スーツ姿の中井英夫、銀座らしき町の夜を闊歩する清張、といった感じ。それぞれの作風を考えると納得のいく風景ばかりだ。
なお、8月23日には石塚公昭氏と怪奇幻想文学研究の泰斗、東雅夫さんの対談イベントがあり、8月25日にも本来前月だったものが台風で順延したミステリ研究家の山前譲さんと乱歩のお孫さん、平井憲太郎さんの対談も行われた。
「昨年あたりからやりたい作家がいなくなった」(同図録)とのことだが、それは残念。海外作家の方で試みるのは無理かなあ? スティーブン・キングとかチャンドラーとか。いかがなものだろう?
ともあれ、気温35度をこえるクレージーな暑さと外人客がかまびすしい喧噪の銀座四丁目に現出した幻想空間。それだけでも十分、乱歩の魔術のとりこになりにいくようなものではないか。