おじいちゃん、一二〇歳おめでとう
江波戸泰子
四十四歳で亡くなったその人を、私は最初から「おじいちゃん」と呼んでおりました。
初めまして。私は小栗虫太郎のあまたいる孫のひとりです。
母は虫太郎の末子で、四女の通子と申します。私はその長女です。
皆様の中には、この度刊行されました『亜細亜の旗』を読了後、違和感を持たれる方も少なくないでしょう。この度の作品について、私が持った印象なども、お話しさせて頂きたいと思っております。
虫太郎は母が四歳の時に亡くなりました。よって、母には父親というものの記憶は、ほぼありません。母の持つ「自分の父親観」というものは、母親が語る思い出話、きょうだいから聞く話、家を出入りする人々から受ける印象、生活していくなかでふとわかること、大まかに言えばこういった事柄の積み重ねで、少しずつ形になっていったのだと思います。
そして、私にとっての虫太郎像は、祖母「とみ」の昔話により構築されたものです。
他の遺族の持つ印象や、持っている知識とは違っているかと思います。
それをご理解頂きつつ、この先お読み頂けたらと思います。
時はさらさらと流れ、祖母も亡くなり、祖父の存在は私の中で凍ったように変化が無くなりました。
私は読書が大好きですが、ミステリーはあまり読まず、でも祖父の作品は年に一、二冊読んでおりました。それを繰り返していくうちに、としつきは降りつもり、今、自分が生きている世界での祖父の存在は、少しずつ風化している、と具体的に思うようになりました。
芸術家とその作品だけでなく、この世のものはほんの一握りをのぞいてすべて消え去るのだから、これも致し方のないことだ。私に出来ることは、生きている限り、祖父の作品を読み続けることだ。そんな諦観を心に抱いて、それで落ち着いた気持ちになっておりました。おそらく母も、似たような思いだったのではと思います。
新しい風が吹いたのは、私達にとっては突然でした。
皆様ご存知のことかと思いますが、二〇一六年の七夕古書大入札会に、祖父の原稿や関係資料が、まとめて出品されました。それを、成蹊大学の浜田雄介教授が先頭に立ち、同大学図書館が買い上げてくださったのです。
これは、母の人生の転回点となる出来事だったと思います。余生をゆったりとした足取りで歩んでいたところ、思いもかけない景色が急に目の前にひらけたと感じたに違いありません。
私達の中で、祖父について一つの完結をみたと思います。大学という、アカデミズムの殿堂が、祖父の資料を、多額の資金を投じて手に入れてくださった。祖父の作品にはそれだけの価値があるのだと、公に認めて頂いた。
私達はそのように受け止めましたし、母の安堵は大変に大きいものでした。
話は少しずれますが、ちょうどそのタイミングで、実家から『完全犯罪』一枚目がひょっこり見つかったのです。その経緯は、私達にとっては印象深い展開でした。長くなりますので書けませんが、とても幸運だったと思います。
祖父の事は頂点を過ぎたというような気持ちで生活を続けていたところ、想定外の話が目の前に降って参りました。この度の『亜細亜の旗』、二松学舎大学の山口直孝教授が発掘してくださり、春陽堂書店が刊行してくださると。
「埋もれた作品」の存在など、想像したこともありませんでした。祖母からは、祖父の作品についての細々した話など、聞いた記憶がありませんし。
関係者の皆様は大変戸惑っていらっしゃるようでした。とても虫太郎の作品とは思えない、平易に読める文章であると。
虫太郎の作品かどうかを、真摯にお調べくださったとお聞きしました。でもこの時、私は、特に疑問や不安は感じませんでした。
まずひとつには、ただのしろうとの所感ですけれども、祖父には創作のための、たくさんの引き出しがある、と元から感じていたからです。例えば『黒死館』と『人外魔境』では、読みやすさが違うと感じていらっしゃる方も多いことかと思います。
そしてもうひとつは、祖母のお話に登場する祖父は、家庭を持ち、普通に生活している市井の人でもあったからです。
祖母のお話は決まって「おじいちゃんはね」が枕詞でした。だからこそ、私にとっては見知らぬ人であった祖父は、自然に身近な「おじいちゃん」となり、そのイメージの方がまさっていったのです。
私の中の祖父の姿は、特別に子煩悩ということもなかったようだけれど、やたらに怖かったり、始終機嫌を悪くしていたりすることは無く、家族はわりと仲がよかったのではないかと、本当にこれは私が祖母の昔語りから持った印象というだけなのですが。
もちろん本人にとって『亜細亜の旗』は満を持して取り組んだ作品ではなく、生活のために筆を執ったことは間違いないと思います。しかし私は、祖父は案外、楽しんで書いたのではないのかな、と感じているのです。
この度の『亜細亜の旗』刊行のために、虫太郎の作品を今、世に出すことに価値があると信じて、奔走してくださる方々、編者の皆さんはじめ、編集協力の伊藤詩穂子さん、沢田安史さん、柳川貴代さんがいらしてくださったということ。その事実は、老境の母にもたらされた、最上の喜びのひとつであると思います。
おそらく、新刊本そのものよりも。
近年の祖父に関して起きた様々な出来事を話していた時、母が呟いた一言を最後に、拙稿を閉めさせて頂きます。
「父親が、もう一度この世に生き返ったみたい。」