近況

虫太郎の新聞小説

沢田安史

 八十年ぶりに単行本化される小栗虫太郎の『亜細亜の旗』(春陽堂書店刊)に、著作目録を掲載したい、という申し出を受けたとき、新聞小説はちゃんと調べないといけない、と思った。複数紙に掲載されることが多いからだ。
『亜細亜の旗』より前に『女人果』が新聞連載されているのだが、「徳島毎日新聞」以外の掲載紙が不明だった(そもそも、以前は新聞への連載かどうかも明らかにされていなかった)。また、新聞掲載から単行本化までの間隔も気になっていた。

 春陽堂書店版『亜細亜の旗』校了後に見つかったものも含めて、現状での書誌情報を整理しておこう。

『女人果』
徳島毎日新聞 昭和十三年一月十六日~九月七日
鹿児島朝日新聞 昭和十三年二月十三日~十月四日
海南新聞 昭和十三年五月十日~十二月二十九日
秋田魁新報夕刊 昭和十三年七月九日~昭和十四年四月二十九日
山梨毎日新聞 昭和十三年十一月二十一日~昭和十四年六月二十八日
新潟毎日新聞 昭和十四年一月一日~八月八日
四国民報 昭和十四年一月二十二日~十月十一日 『大陸の麗人』と改題
大分新聞 昭和十四年三月二十五日~十一月七日

 単行本は、昭和十七年八月に、大白書房から出版されている。地方紙に掲載され終えてから単行本にしたものと考えていたが、それでも間隔が長いようだ。

『亜細亜の旗』
京都日日新聞 昭和十六年一月一日~六月三十日一七九回で中止 タイトルは『美しき暁』
東奥日報夕刊 昭和十六年一月二十四日~九月十九日 九月十八日一九六回で中止、翌九月十九日に後の展開を箇条書きにして終了
九州新聞 昭和十六年三月十七日~十一月二十六日 二四五回完結
伊予新報 昭和十六年四月六日~十二月一日 一八六回で中止
防長新聞 昭和十六年五月十六日~昭和十七年一月三十日 二三五回で中止
紀伊新報 昭和十六年七月三十日~昭和十七年六月十四日完結
加州毎日新聞 昭和十六年九月五日~十二月七日 九十二回まで確認

 国会図書館に所蔵されている新聞には限りがあるので、まだほかにも掲載紙があるかもしれない。なお、『女人果』の「新潟毎日新聞」への掲載情報は、山口直孝氏から、また、『亜細亜の旗』の「東奥日報夕刊」は伊藤詩穂子氏から、「加州毎日新聞」は柳川貴代氏から、それぞれご教示を受けた。
『女人果』と『亜細亜の旗』では、掲載紙が見事なまでに重なっていない。また、『女人果』はすべての掲載紙で完結しているのに、『亜細亜の旗』は完結まで掲載されたのは二紙だけである。昭和十三年、十四年と昭和十六年、十七年の間に新聞連載小説の環境にギャップがあると思われる。後者には新聞統合の影響があるのは明らかだが、他の連載小説では、どのような事情なのかが知りたいところだ。今後の研究課題だろう。
 調べているうちに、興味深いものが出てきた。「鹿児島朝日新聞」に掲載された『女人果』の予告であるが、甲賀三郎と海野十三の推薦付きなのである。推薦付きの作者の言葉は珍しく、先行掲載された「徳島毎日新聞」では、虫太郎の作者の言葉だけである。コピーではわかりにくいので、誤記を修正し、句読点を補って、掲げておく。
 こういう小さな発見があるので、調査は楽しい。まだしばらくは続けるつもりである。

作者の言葉 小栗虫太郎
青年と若い女性―それに共々、新時代を牽いてゆくやうな、才能、性格があるとすれば、否が応でもその恋愛面には激しい摩擦が起らねばならない。そしてその火花は旧時代の、モラル、伝統にはない不思議な閃きを立てるだらう。すなはちそれは、次に来る時代文化の精神であり、新時代に、随喜喝仰者を湧かせる、恋愛指南書にもなるであらう。私は、戦争と云ふ大舞台を背景にして、新しい恋愛精神を築き上げたいと考へてゐる。
推薦の辞 甲賀三郎
鬼才、小栗虫太郎!
彼がもしもう少し多作ならば、或ひはその声名江戸川乱歩を凌いではゐないだらうかと思ふ。現実の世界に中世紀の危げな絵を嵌め込んで一大パノラマを見せて呉れるのが彼だ。四次元の世界で、現実の幻影を見せて、吾々を恍惚とさせて呉れるのが彼だ。
多彩陸離、晦渋艶麗、あらゆる美と醜と、アイロニイとパラドツクスと、恋と酒と、虫太郎の手品箱にはいつまでも種が尽きないだらう。

百の顔を持つ小説 海野十三
大鬼才小栗虫太郎が、あらたに『女人果』の新聞連載を始めると聞いて、僕は昂奮を禁じえない。これは虫太郎が始めて書く新聞小説だ。この大鬼才は一体なにを描きださうとするのか、実に興味ふかきことだ。虫太郎の小説は百の顔をもつてゐるといはれる。しかも彼はこれまでに、百のうちの八つか九つかを出してゐるにすぎない。『女人果』は恐らく彼が今までに誰にも見せなかつた新しき顔を、読者の前にぬつと出し、必ずや呀つといはせることゝ信する。僕の昂奮も、実はそこにあるのだ。