直筆が語ること
――横溝正史旧蔵資料調査余滴

山口直孝

 直筆に、愛書家は強く引かれる。不特定多数に向けられた印刷物は、作者の手書き文字が入ることで、固有の表情を帯びるようになる。筆跡は、書き手の人となりを、宛名や識語がある場合は、献呈された者との関わりを想起させる。
 署名本の人気は高い。古書目録では特集がしばしば組まれ、めぼしいものは、図版で紹介される。著名な文学者のもの、それも代表作になると立派な値段である。署名の有無で金額が一桁違う場合も少なくない。ほとんど注文することはない(高くて買えない)が、買った古書に期せずして署名が入っていることがあり、その時にはやはり見入ってしまう。
 商品価値を持つだけに、署名本には偽物がついてまわる。インターネットのオークションサイトに出品されている過半は、真筆ではないと言う。横溝正史について見る限り、評判は当たっている。没後の刊行書に署名されている粗忽な贋作はむしろ笑えるが、状態のいい本に細工が施されるのは、いい気がしない。出品者の言葉を素朴に信ずる人は結構いて、驚くような値が入ることもある。注意したいが、こちらも確かな根拠があるわけではなく、発言できないのがもどかしい。
 偽物は、本物をお手本とする。形を似せることに意識が向くので、運筆はなめらかでなく、重く、ぎこちない。力がなく、全体の均衡を欠いていることも多い。落ち着いて眺めれば、真贋の見分けは割と簡単である。と、専門家のように発言したが、筆者が鑑定できるのは横溝正史だけ、あとはせいぜい大西巨人くらいである。
 横溝正史の手蹟に少し目が利くようになったのは、直筆資料を調べる機会に恵まれたからである。発端は、正史の長男横溝亮一氏が自宅物置で大量の草稿を収めた段ボール箱を発見されたこと。草稿を始めとする大量の資料は、縁あって二松学舎大学が預かることになった。「横溝正史旧蔵資料」と名づけられたコレクションの整理調査が始まったのは、二〇〇八年から。十三年を経た今も、作業は続いている。蔵書、写真、手紙、新聞切り抜き、地図、シナリオなど、多種多様な資料に目を通し、成果を『横溝正史研究』(戎光祥出版、既刊六冊)ほかで発信してきた。しかし、知りえたことはわずかであり、前途は遼遠である。
 草稿は約六千枚。正史は、原稿用紙を大切に扱う人で、書き損じの裏を下書きに使う習慣があった。アジア太平洋戦争による物資の不足は、再利用に拍車をかけ、正史は、文字が記された部分に未記入の枡目を貼り付けた、自家製の原稿用紙を作るに至っている。再利用された原稿用紙は、歴史の証言としても興味深いが、整理は厄介である。表が戦時下の時代小説の草稿、裏が敗戦後の金田一耕助ものの下書き、といった例は珍しくない。切り貼りが施されている場合は、一枚の原稿が三作品の草稿になる。
 忙しい時期には下書きを作らず、一気に完成原稿を目指した。ただし、気に入らなければ、いくらでも紙を改める。数文字、あるいは一行しか記されていない反故が相当量残されている。情報が少なすぎて、中には特定できないものもある。「耕助は、」だけでは、『八つ墓村』か『犬神家の一族』かのどちらかであるか、さすがにわからない。
 眺め続けていると、原稿用紙の種類や筆跡から、執筆時期は、おおよその見当が付けられるようになる。正史の字は、横広がりから縦長になり、筆の運びが次第に伸びやかになっていく。また、アジア太平洋戦争末期にペン字を独習して書体が大きく変化するという節目がある。地方紙に連載していた『雪割草』(『京都日日新聞』一九四〇年六月十一日~十二月三十一日ほか)の発掘には、筆跡をめぐる蓄積が役に立った。旧蔵資料に含まれていた草稿の断片から、掲載紙にたどりつけたのは、執筆時期をある程度絞り込められたからである。
 正史唯一の家庭小説である『雪割草』は、二〇一八年三月、戎光祥出版から出版された。本年四月には角川文庫に収録、杉本一文氏による表紙絵は、装丁も含めてブームの頃と同じであり、里帰りを果たしたように思えた。探偵小説研究家沢田安史氏の発見された『京都日日新聞』の本文によって、単行本では確認できなかった最終回の欠落部分が今回補うことができたことも喜ばしい。
 最終回以外も浜田知明氏に校訂を願いし、万全を期した。自身でも再度本文を読み返し、気になる箇所は、掲載紙に戻って確認した。『新潟毎日新聞』、『新潟日日新聞』分には『京都日日新聞』分と比べると、いくつか脱落があったため、それらも正してある(例えば「生活の罠」五、角川文庫三四九ページ)。久しぶりの通読、再読によって、正史の物語作りのうまさを再認識できたことも収穫であった。
『雪割草』の全貌に触れえたことは、調査にも進展をもたらした。それは、断簡の中に、本作の草稿が新たに見つけられたことである。掲げたのは、そのうちの一枚。「山崎先生」という名前は出ているものの、未詳となっていた。「湖凍る」五の一節を記した本草稿、虫食いがはなはだしいが、歳月の浸蝕に負けなかったと思うと、感慨深い。物語の中盤を越えても、何度も書き直すことは、変わらなかったらしい。二松学舎大学所蔵資料において、『雪割草』関連草稿は、現在一七枚確認できている。
 何の作品か、不明のものはまだまだ残っている。まとまった記述があっても特定できない草稿は、さらなる埋もれた作品か、という期待を抱かせる。字体から、執筆時期はおぼろげに浮かんでくる。答を求めて、また新しい調査が始まる。謎と手がかりとを同時に与えてくれることもまた、直筆の魅力と言えるであろう。