日々是映画日和(132)――ミステリ映画時評
主演女優との不倫報道等どこ吹く風。飄々とわが道を行くホン・サンス監督だが、六月一一日公開の『逃げた女』では、ヒロインのキム・ミニが、三人の女友達を次々と訪ね歩く。巡礼形式の物語から垣間見える〝愛と結婚〟という主題が、監督自身の置かれた状況を考えるとなんとも意味深だが、久々に再会した旧友らの現在と結婚観を探るような主人公の目線と言動から、彼女が旅に出た目的をいやでも詮索したくなる。例によって飾り気のない淡々とした展開に終始し、敢えて正解は示されないが、観客はヒロインの心中をあれこれ推理する愉しみを与えられる。観る人によって幾通りもの解釈が可能な、豊穣なる会話劇といえるだろう。
さて、世界初の実写映画化だという『夏への扉 キミのいる未来へ』は、原作は言わずと知れたSFの有名作ながら、物語を支えているのはミステリのロジックでもある。交通事故で孤児となった山﨑賢人は、養父母に育てられて成長し、ロボット工学の科学者になった。親代わりの二人の死後も、愛猫ピートや自分を慕う恩人の娘の清原果耶に囲まれ、順風満帆の研究生活を送っていたが、共同経営者である叔父に騙され、研究を横取りされた上に、強制的に冷凍睡眠させられてしまう。三十年後、眠りから覚めた彼は、失ったものを取り戻すため、開発されたばかりのタイムマシンで過去へと向かうが。
ハインラインの原作との間には二十五年のタイムラグがあるが、映画で物語の起点となる一九九五年の設定に、妙なレトロフューチャー感がある。しかしそれが気になるのも、物語が動き始めるまで。二〇二五年にコールドスリープから目覚めた主人公が時間を遡る旅に出ると、彼を陥れた者たちや、義妹らのたどった運命も解き明かされていく。そこまでの違和感の数々が、終盤伏線として回収されていく展開は期待通りで、ミステリファンにも支持される筈だ。原作にない藤木直人演じるロボットが、機械なのに温もりのある主人公の相棒役としていい味を出している。(★★★1/2)*六月二三日公開
ファン・ジョンミンとリュ・スンボムの二人は、ともに現在の韓国映画界を代表する俳優だが、彼らが名声を得る以前に共演をしていた『潜入』(二〇〇六年)が、やっと日本公開となった。深刻な経済危機から麻薬汚染が広がる一九九八年の釜山。麻薬捜査のさ中に同僚を失った捜査官(ファン・ジョンミン)は、同僚も鼻をつまむ汚職刑事だった。一方、成り上がりの麻薬ブローカー(リュ・スンボム)は、麻薬を精製する叔父の不注意で母親が焼死したという過去を引きずっていた。手段を選ばない捜査官はブローカーを内通者に仕立て、検察特捜部を向こうにまわしての強引な捜査で組織壊滅を目論むが。
傾いでは沈みそうになる麻薬捜査の泥舟で呉越同舟となった二人をめぐる物語が、年代記風に語られていく。前半はやや混沌としているが、裏切り裏切られを積み重ねた挙げ句に二人を結びつける関係が鮮明になっていく後半がいい。主人公らワルよりもっと悪い奴への落とし前をきっちりとつける韓国ノワールの潔さが見事だ。(★★★)*六月一八日公開
相続を意味する『インヘリタンス』は、文字通り父親から娘に継承される財産をめぐっての物語である。しかし、若き地方検事リリー・コリンズが、NY財界の重鎮で急逝した父親から引き継いだのは、とんでもない負の遺産だった。「真実は掘り起こすな」という警句とともに託された鍵は、鎖に繋がれた謎の男(サイモン・ペグ)が幽閉される地下室のものだったのだ。男は狡猾な父親に閉じ込められるに至った経緯を説き、彼女に解放を迫るが。
ヒロインは、男の証言と家族への信頼の狭間で、事態にどう対処すべきか激しく揺れ動く。エレクトラ・コンプレックスの影や司法を司る使命感からの軋轢が彼女を窮地に陥れていくのだ。欲を言えば、中盤でのツイストがやや予定調和なのと、三十年間という監禁期間の重みが伝わってこないところが残念。真相が明らかになった後に、せめてもうひと捻りあれば良かった。(★★★)*六月一一日公開
前々号で『パーム・スプリングス』を勢い込んで紹介したばかりだが、またもタイムリープ映画の秀作登場だ。『コンティニュー』では、まずどこか懐かしいドットの粗いゲームのスタート画面が映し出され、うんざりするほど同じ日を繰り返している主人公のぼやきが聞こえてくる。今回が、なんと139回目。しかし慣れたもので、寝起きなのに襲い来る敵たちを次々返り討ちにし、行きつけの中華食堂にたどり着く。だがそこで命運は尽きてしまう。ここのところ主人公は、亡妻の写真を手に追っ手の銃弾を雨霰と浴び、この場所で息絶える日々を繰り返していたのである。
本作が秀でているのは、すべてが主人公のリピート体験に託されている点だ。コンティニューの繰り返しで経験値をあげ、プレイヤーがスキルを磨いていくゲームよろしく、手強い敵を倒す術を徐々に身につけ、なぜ同じ日が繰り返されるのか、無限ループを脱するにはどうしたらいいのかの答えを、主人公は見出していく。元デルタフォース隊員を演じる主人公のフランク・グリロをはじめ、不思議な現象の鍵を握る妻役にナオミ・ワッツ、ラスボスとしてメル・ギブソンも登場するが、食堂にふらりと現れるミシェル・ヨーがなんとも味な役回りを演じるのがいい。終わり方も、これしかないと思わせる。(★★★★)
※★は最高が四つ、公開日記載なき作品は、すでに公開済みです。