追悼

不完全な追悼文

千澤のり子

 中辻理夫さんは、私が羽住典子名義で所属している探偵小説研究会の先輩だ。初めて会ってから、十二年が経つ。どこの誰かもよく分からない新入りにも、前から一緒に活動していたかのように接してくれたことを覚えている。
 個人的にお話をするようになったのは、まだ活性化前のmixiで相互登録をしてからだった。会話の大半が、文章をうまく書く手腕、評論を書くときのものの見方、参考になる本などを教えてもらうばかりで、雑談を交わしたことはほとんどない。互いの趣味趣向がまったく合わないと分かっているからだ。それでも、人間関係で衝突が起きたときは励ましてくださり、時には書いたものについてアドバイスをいただいたりすることもあった。
 私が心身ともに弱っている時期に、中辻さんからこんな言葉を言われたことがある。
「羽住さんはおなかが痛いときに「痛い」と人に伝えるでしょう」
 図星なので、素直に頷いた。
「それ、ダメだよ。負の感情を見せるのってかっこわるいよ。だって、言われたほうは反応のしようがないじゃん。俺だったら言わないな。どうせなら、かっこよく生きようよ」
 言われてみれば、中辻さんは言葉ではっきりと心情を見せたことがない。そのくせ、他人の心の中は敏感に察知している。相手の考えや興味を持っているものを巧みに聞き出し、上辺ではなく、その人の真髄を見出していく。いつだって本音で物事を語り、厳しさの中で優しさを表せる人だった。
 そんな中辻さんを、私は慕っていた。けれど、大勢の前で話しかけようとすると、いつも逃げられてしまう。「優しい先輩」というイメージを、周囲の人に持たれたくなかったみたいだ。ハードボイルドに生きる人は大変なんだなと解釈していた。
 いろいろなことを教えてもらったのに、私はまだ、かっこよく文章を書くことができそうにない。中辻さんがいなくなって、とてもつらいし、寂しいし、哀しい。追悼文を書くにあたって、再び、あの苦しさが戻ってきてしまった。こんなふうに書いてしまうようでは、「まだまだだね」と中辻さんは苦笑されるだろう。不完全な追悼文が届かないのも、虚しい。
 私は霊魂や魂をまったく信じていないけれど、輪廻転生はあってほしいと切に願う。書きたいことが、もっとたくさんあったはずだ。もしも、そんな時が訪れるのなら、日本語を第一言語とする人に生まれ変わってほしい。別の言語だったら、誰かの訳を介さないと、私は読むことができないから。
 文章を書くことについて、誰かと語り合う楽しさは、継続していきたい。負の感情は別の表現に置き換えて精進していくことが、私なりの弔いになるだろう。