日々是映画日和(171)――ミステリ映画時評
個人的に〝ミステリ映画未満〟と呼ぶ贔屓の作品群がある。最近では一月公開の『オークション 盗まれたエゴン・シーレ』と近く始まる『ドライブ・イン・マンハッタン』が、そんな作品だった。どちらもミステリ映画と言い切れないが、謎とサプライズが物語に好ましい効果をもたらしている。ナチの手に渡り、行方不明だった名画が発見され、人々の思惑が入り乱れる前者では、主人公の競売人と元妻、弁護士の関係にフランス流のエスプリが漂う。一方後者は、ケネディ空港からマンハッタンに向かうタクシーの中での運転手と客という見知らぬ同士の会話劇だ。ダコタ・ジョンソンとショーン・ペンの舞台劇風のやりとりから浮かび上がる事実に、ハッとさせられた。心に残る愛すべき二作である。
全編がヒロインのモノローグからなる中村文則の短編「火」の映画化は、過去に桃井かおり監督・主演の『火 Hee』があるが、今度は奥山和由が『奇麗な、悪』として撮った。
街を行く、どこか浮世離れした美しい女が、辿り着いた精神科の診療所と思しき屋敷で、自らの数奇な来し方について語り始める。放火、売春、ネグレクト、そして。切々と訴えたかと思えば、担当医を翻弄したり。すべてを語るとの言葉通り、女の半生が詳らかにされていく。
先の映画化の際にプロデューサーだった奥山は、製作過程で別の可能性を見出していたのだろう。登場人物を語り手である主人公のみに絞り、原作にない叙述トリックを追加している。後者は惜しくも成功を収めるに至っていないが、原典を尊重したモノローグ劇は、ヒロイン瀧内公美の素晴らしさもあり、間然するところがない。ちなみに原作は舞台化もされており、『火 Hee』の桃井かおりも素晴らしかった。演じる者の数だけ無限の変奏を生む、ポテンシャルのある原作といえそうだ。(★★★)*2月21日公開
スクリーンで観たい作品が、配信オンリーとなる例が増えている。ジョージ・クルーニーとブラッド・ピットが犯罪隠蔽のプロとして腕を競う『ウルフズ』が昨秋よりApple TV+のコンテンツに加わったが、クリント・イーストウッド最後の監督作との噂もある『陪審員2番』も、日本ではU-NEXTの配信のみの公開となった。
酒酔い運転の前科ある主人公のジャスティン(ニコラス・ホルト)は、ある晩、視界のきかない雨中の道路を車で走行中に、何かと衝突する。跳ねたのは鹿だと自らに言いきかせ、その場を立ち去るが、ほどなく陪審員の指名を受け、法廷に呼び出される。酒場で酔って喧嘩し、恋人を殺したとされる男の裁判だった。ジャスティンの中で先日の事故の記憶が甦り、恐るべき可能性に思い当たる。
ラテン語で公正を意味する主人公の名前や、繰り返し画面に登場する法の女神像からも明らかなように、テーマは正義である。自分の犯した罪の裁定を自らが行うことになる男の悲喜劇を、有罪と無罪、良心と邪心の間で揺れ動く主人公の心の動きと共に、サスペンスフルに描いていく。事故の当日から判決までの主人公を追体験するような脚本の作りが巧妙で、映画ファンには既視感もあろうが、ラストシーンがこれまた秀逸。九十四歳を迎えたイーストウッドの演出に老いはない(★★★★)*12月20日より配信
タイムリープものの『ファーストキス 1ST KISS』は、ここのところ映画の『怪物』や『クレイジークルーズ』(配信)、ドラマの『初恋の悪魔』などでミステリ好きをときめかしている坂元裕二の脚本作品だ。
その朝、判を押した離婚届を受け取り、帰りに出してくると言って家を出た夫は、通勤途上の人命救助で命を落とし、帰らぬ人となった。しかしカンナ(松たか子)は、あろうことか二人がまだ出会っていない十五年前に戻り、夫の駈(松村北斗)と再会する。彼の死を回避しようとタイムトラベルを繰り返すが、過去の改変は上手くいかない。しかし失敗を重ねるうちに、冷め切っていた夫への気持ちに変化の兆しが訪れる。
時間旅行の目的は定番通りだし、タイムパラドックスへの言及もない。SF的にもミステリ的にも興味をそそられないが、若き日の夫と再会した中年女性の心の動きを濃やかに演じ、恋愛のやりなおしのテーマを鮮明にする松たか子が素晴らしい。
ただ、二十代と四十代の二人のカンナが同時に存在するシーンがあるが、直後に若い二人の出会いを見届けた四十代の彼女のその後が描かれない。安易なハッピーエンドでお茶を濁さない脚本はいいと思うが、現代に戻ったであろうヒロイン(年嵩の方のカンナ)のその後も、しっかり見届けてほしかった。(★★★)*2月7日公開
韓国ノワールお得意の復讐劇と悪徳警官ものという二大テーマが繰り広げられる『リボルバー』は、組織的な汚職の罪を一人で被り、二年間の刑務所暮らしを終えた元刑事の出所場面で始まる。しかし共犯者で男女の仲だったイム課長は直前に謎の自殺を遂げ、約束されていた金銭と不動産の対価も反故にされていた。なぜか唯一人彼女を出迎えた謎の女チョンから情報を引き出しながら、スヨンは裏切者捜しを始める。
ヒロインの元警官スヨンを演じるのは、『キル・ボクスン』の伝説の殺し屋役も記憶に新しいチョン・ドヨン。その元上司で、色男顔を困った表情で曇らせてばかりのイ・ジョンジェや、スヨンと好対照のド派手でかしましいイム・ジヨンら豪華キャストが、賑々しく雰囲気を盛り上げる。
途中、スヨンとイムに横恋慕する元同僚が絡んだり、悪役が無駄にイケメンで頭が悪かったりと、一歩間違えばドタバタコメディ直行なのに、語り口は終始シリアス。悪戯に複雑なストーリーの紆余曲折を追ううちに、こちらもすっかり悪酔いしてしまう。ノワールの底なしの沼に観客も道連れとは、曲者よのぉ、オ・スンウク監督。(★★★1/2)*2月28日公開
※★は四つが最高点