健さんのミステリアス・イベント探訪記 第72回
没後30年、異端の巨匠、澁澤龍彦の世界
なまの資料の存在感が圧巻
「澁澤龍彦―ドラコニアの地平」展
2017年10月7日~12月17日 世田谷文学
ミステリコンシェルジュ 松坂健
澁澤龍彦。
この異様に画数の多い名前を知ったのは、中学生の時だろう。この頃には、雑誌宝石やEQMMを古本屋で買いあさっていて、漁獲を家に持ちかえって、ぱらぱらめくるのが無上の楽しみだった。
探偵小説やミステリが並ぶなかに、ちょっと雰囲気の違う連載があった。それが宝石でいえば『黒魔術の手帖』であり、EQMMなら『秘密結社の手帖』だった。
どちらも、怪しげな知識と図版が盛り込まれていて、なんだか不穏な感じがした。でも、少年期、ブランヴィリエ伯爵夫人とかフリーメーソン、カバラや薔薇十字団などの存在を知ったのは、この時の連載を順番無視で読んだからだった。これがのちにカーなどのオカルトミステリに親しむことになってから役立った。
こういう変な知識を自家薬籠中のものとしているんだから、澁澤という人は、60を過ぎた老人(当時は50越えれば老人だった)で妖術師めいた風貌の人と信じ込んでいた。
昭和30年代の後半には、桃源社版のサド選集がどこの古書店の棚にもささっていたもので、これを盗み読むのにはずいぶん勇気がいったものだ。
それが大学に入って、1970年安保の季節を迎えるころ、夢野久作や国枝史郎などの復刻ブームから、時ならぬ怪奇と幻想が妙にもてはやされる時代が到来してきた。いわゆる「異端」が「正統」の座につき始めたサブカルチャー時代の幕開けで、この波に乗るかのように澁澤の仕事が急激にスポットライトが当たってきた。それで、彼の風貌が雑誌などで見ることができるようになって、その予想外の若さに驚いてしまった。でも。こんな普通の鎌倉文士風の人であるはずがない、もっともっと妖しくなけりゃ、サドや黒魔術の巨匠であるわけがない、と実は今も思っている。
そんな澁澤龍彦さんの生涯の仕事をコンパクトにまとめた展覧会が、新装なった世田谷文学館で開かれた。
SFや植草甚一さんなどサブカルチャーのジャンルに好意的な同文学館ならではの試みで、大いなる拍手を送りたいところではあるのだが・・・・。
『澁澤龍彦―ドラコニアの地平』と題された展示会は全体でプロローグを含め、4部構成。プロローグは澁澤さんの「球体、円環への志向」と題して、地球儀や地図に対するこだわりを表現し、以後、「精神」「創作」「生きること」のそれぞれのスタイルを、豊富ななま資料で伝え、最後を遺作『高丘親王航海記』の世界を創作メモからなま原稿などで表現することで締めくくる。
原稿や片々たる小冊子、書簡まで、よくもまあこんなに綺麗に保管されていたと感じ入ること大だ。几帳面な原稿紙面は怪奇と幻想とかサブカルチャー的なやんちゃさとは無縁で端正な感覚を感じさせる。実に清潔だ。
見回すと、展覧会最終日の一日前ということもあり、かなりの賑わい。熱心に展示を見ている人の7割近くが20代から30代半ばまでと思われる女性たち。こんなに、女性ファンがいるんだ~、と内心驚いた。
幻の植物や鉱物、貝の標本、博物学などに彩られた異界への夢。それなりに魅惑的だと思うが、僕には満足感が残らない。なんか、違うんだよなあ、と一人呟きながら会場を回る。
簡単なことで、ここにはエロスの匂いがまったくないのである。
サディズムもマニエリスムも黒魔術も妖しい毒婦の肖像などなど、禍々しいものがどこにもない。生きることの「過剰」としての、セックスの世界がない澁澤ワールドは、なんだか気の抜けたビールみたいなものだ。
せめて、ジョルジュ・バタイユの世界と澁澤のかかわりくらいはないと彼の世界を語ったことにならないだろうに。
それに「サド裁判」の経緯などもワンコーナー欲しい。世俗のつまらなさを撃ち続けてきた思想家としての側面が抜けおちてしまう。
まあ、税金で運営される公的施設での展示となると、これくらいが限界かなとも思う。
まがまがしいもののデオドラント化。無臭化。
と、文句は言ったものの、こういう異端を顕彰する機会はないよりあったほうがいいのは事実。今度、やる機会があるなら「血と薔薇」の部分に大きくスポットライトを与えてもらいたいと思う。