小樽文学館
 連城三紀彦の世界展
 本多正一写真展の御案内

■連城三紀彦展 
 監修のことば 本多正一

 連城三紀彦が六十五歳という若さでこの世を去って五年を迎える。未刊行作品や研究書の刊行、文庫の復刊、テレビドラマ化などが相次ぎ、愛読者はいや増すばかりである。
 ミステリーと恋愛小説を往還しながら作品を生み出し続けた連城三紀彦だが、生涯独身を通し、晩年は母堂の介護と自らの病いで時間に追われる日々でもあった。そんななかでも、のちのことを慮ってか、身辺整理を怠らず直筆さえ残さないよう腐心していた節が認められる。
 今年は連城三紀彦が『幻影城』でデビューしてちょうど四十年。ご遺族、関係者の好意によって、はじめての連城三紀彦展を開催する。私事ながら筆者も連城さんに原稿をお願いし、一度だけ面会したことがある。連城さんのたいへんひと恋しそうな、それでいて人間関係を拒むような、ふしぎな瞳の色が強く印象に残っている。
 自らに厳しかった連城さんは苦笑されるかもしれないが、現存する直筆原稿、構想ノート、スケッチ類、愛用されていた身のまわりの品々、作品に添えられた挿絵原画、著作、映画舞台台本などを一堂に集める。連城三紀彦の文業と温容とを偲び、皆さん心のうちに、それぞれの連城さんへの“恋文”を刻んでいただけたら幸いである。

■本多正一写真展「うつし世のまことー江戸川乱歩の遺品」

 「うつし世はゆめ、よるの夢こそまこと」――日本探偵小説の開祖・江戸川乱歩は、死後半世紀を経てほぼ全作品が入手できる稀有の国民作家である。
 乱歩の遺品を撮影する機会を得たが、質素倹約を旨とした世代の文人らしく、大正十二年デビュー当時からの眼鏡や筆記具を愛蔵し、細かな手業(てわざ)のための道具も多い。有名な土蔵のなかは蔵書ばかりでなく、帽子や衣服類とともに、国民服やゲートル、動員袋といった太平洋戦争中の品物まで保管されており、粛然とさせられた。
 明治の長子らしく、厳父の著作や母堂による包丁カバー、早世した妹の遺影、一人息子のための鯉のぼりなど、家や家族を大切にした横顔も窺える。作家としての貌(ルビ:かお)ばかりでない、戦前、戦中、戦後とこの国の激動の時代を生き抜いた、一人の実直な人間のたたずまいと身体性、ありし日を追体験させられた。

 平成が終ろうとするいま、明治、大正、昭和と江戸川乱歩の生きた「うつし世」をふりかえり、私たちの暮らしやいまの時代を考えるよすがになればと思う。