追悼
井家上隆幸--いけがみ・たかゆき、と読む。全国で数軒しかない表記の姓らしく、初見の人にはまず読めない。本人によると、梶山季之の『ミスターエロチスト』に井家上姓の人物が登場するそうで、それ以外ではほかに見たことがないと言っていた。
最初に会ったのは、三十六、七年前になる。新宿ゴールデン街の酒場『深夜+1』で、店主の内藤陳さんに紹介されたのが始まりだった。年齢は二十歳近く離れていたが、それからあっという間に親しくなり(というか、親しくしてもらったというほうが正しいだろうか)、それ以後わたしは金魚の糞のごとく、ガミさんの後をついてまわったものだった。
一緒に酒を飲んだあと、もっともっと話を聞きたくてご自宅にまでついていき、そのまま一週間ほど滞在したこともあった。その間何をしていたかというと、膨大な量の本が詰まっている本棚を漁りながら食っちゃ寝して、昼間出かけていったガミさんの帰りをただただ待っていた。これが一度きりではなかったから、まさに厚顔無恥きわまりない。まったくその節は奥様をはじめ、ご家族にも大変な迷惑をかけてしまった。今さらながらではありますけど、本当に申し訳なかったです。
ああそれにしても、ガミさんは誰もが認める凄まじい読書家だった。それも小説だけに限らず、政治、経済、思想、芸能、事件、スポーツ……とジャンルを問わず、まるで世の中にある本をすべて読破してやろうという勢いで、手当たり次第片っ端から読んでいた。もちろん単に読むだけではなく、内容をしっかりと把握し、理解して褒めるところは褒め、批判すべきものは容赦なく斬って捨てた。それゆえ著者からは一目置かれながらも、好かれるということはあまりなかったように思う。
ご存じの方も多いと思うが、彼の左眼は義眼である。八歳のときに失明し、何度か手術した末、医者からは将来的には右眼も見えなくなるかもしれないと言われたそうだ。戦争中のこと、軍国少年には死の宣告と同じで、そんな“非国民”に友人などできるはずもなかった。楽しみといえば、本を読むことしかなかったのだ。そのときだ。いつ眼が見えなくなるかと怯えながらも、だったらそれまでは本を読めるだけ読んでやれと決意したのは。
だからというわけではないのだろうが、彼は「読むこと」の快楽を知ろうとしない人間、読むことで「勉強」しようとしない人間に対して、こちらが驚くほどの怒りをあらわにしたものだ。もっとも彼の怒りっぽさはつとに有名で、丸山邦男が斎藤龍鳳、柳田邦夫、井家上隆幸の三人を評して「すぐに爆発する」からと“プロパン三勇士”と名付けたくらいだった。そうした彼の怒りは、活字離れの若い人たちにも向けられたが、それよりもむしろ編集者に対してのほうが強かったように思う。自身が編集者として小沢昭一『私は河原乞食・考』、竹中労『エライ人を斬る』、小鷹信光『アメリカ暗黒史』、清水一行『小説 兜町』、嵐山光三郎『チューサン階級の冒険』といった本を過去に担当して--どの本も、今では名著と言われている――その経験と自負からの苦言だったのだろう。
何より強い口調で語っていたのは、元理論社の社長だった小宮山量平が、新人編集者の研修会で述べた「いまや出版物は、従来のものと、出版産業製品Xとしか言いようのない二つに分かれている。そして、後者のほうがいまは優位に立っている」という嘆きの言葉であった(もう、一体何回この話を聞かされたことか)。詳しいことは省くが、編集者は「出版物」を作るのが仕事で、ベストセラーリストの大半を占める、出版産業製品Xの“カタログ物”を作って営業成績を上げることは、本来の仕事とは言えない。同様に書評家や評論家も歴史の時間軸で現在を見て、現実の本質を捉えていかなければならないと、熱く熱く憤っていたのを覚えている。
そんな彼の仕事ぶりは『量書狂読』『またも量書狂読』『ここから始まる量書狂読』の三冊に集約されるだろうか。一体あの人はひと月に何冊読んでいたんだろうと思うほどの本の数が、短い書評とともにそこには掲載されている。著書のひとつに『一年で600冊の本を読む法』という本もあるから、最低でもそのぐらいは読んでいたと思われるのだが……。
また第54回日本推理作家協会賞評論その他の部門を受賞した『20世紀冒険小説読本〈日本篇〉〈海外篇〉』は、ガミさんにしか成し得なかった本当に頭が下がる力仕事であった。小説のジャンルの中でも、とりわけ好きだった冒険小説を、読んで読んでまたさらに読んできた彼が、どっしりと腰を据えて取りかかった仕事である。読み物としても、また資料としても一級品で、後進であるわれわれに対して、何かしらの道筋を示しているような気にもさせられる書であるのは間違いない。
ともあれ、わたしが付き合ってきた、大好きな大好きなガミさんは、読むことに関しては誰にも負けない碩学の人だった。
とまあいくら書いてもきりがない。紙数が許せばもっともっと書きたいのだが、とりあえずここで一応終わりにします。で、最後にこれだけは言っておきたい。
ガミさん、本当に有り難うございました。