健さんのミステリアスイベント探訪記 第85回
巨人・清張の全貌をコンパクトにまとめた文学展と鴎外の小倉時代を特集した鴎外記念館のイベントに注目
巨星・松本清張展 神奈川近代文学館(2019年3月16日~5月12日)
「鴎外、小倉に暮らす」展 森鴎外記念館(2019年1月19日~31日)
ミステリコンシェルジュ 松坂健
4月に入って最初の土曜、6日に横浜の神奈川近代文学館を訪れた。「巨星・松本清張」展を見学するためだ。
この近代文学館は港が見える丘公園にあって、高低差も適度にあり、いい散歩道だ。折しも春うららの午後、かなりの人出で、文学館にも人が吸い込まれるように入っていく。土曜日ということもあるだろうが、こんなに人が集まる文学展もないと思う。
やはり、清張作品が一年に2,3作品、スケールの大きな特番としてテレビ化されることの影響力が多いと思われる。
最近では、米倉涼子の弁護士、黒木華の悪女で作られた『疑惑』があるし、東山紀之の刑事、中島健人のピアニストでドラマ化された『砂の器』がオンエアされたばかりだ。
そういうこともあって、若い人にも知名度抜群なのが清張さん。やはり、戦後最大の国民作家でありつづけている。普通はどんなベストセラー作家も亡くなってしまえば、記憶からフェードアウトするものだが、清張作品の生命力は強いな、と実感させられる。
特別展の構成は、プロローグに「小倉時代」を置き、芥川賞の『或る「小倉日記」伝』で文壇デビューするまでの軌跡を丁寧に展示している。
そのあとは①評伝・歴史小説②社会派推理小説③”わるいやつら”――社会サスペンス小説④昭和史⑤古代史と清張の精神世界地図を順番に展開していく。
本当に、広いジャンルをカバーし、それぞれの分野で、専門家との論争にも応じていく脱領域的な知性の持ち主だったことが分かる。
そんな清張さんを支える感情と理性の相克はどのへんにあったのだろうか?
それを解明する手掛かりは、芥川賞を受賞した『或る「小倉日記」伝』にあるのではないだろうか?
この作品は田上耕作という民間の歴史学徒を主人公にしている。ふとしたことから、森鴎外が小倉に在留していたころ、当人がつけていたはずの日記が紛失していることを知った耕作は、なんとかそれを発見できないか、生涯をかけた探索に乗り出す。手掛かりがなかなか見つからず、焦燥する毎日。こんなことやっていても無駄ではないか、と自嘲気味になったりもする。そんな努力を周りの人たちは、決して褒めたたえようとはしない。結局、日記は発見されず、耕作は失意のうちに世を去る。その数年後、皮肉にも小倉日記は発見され、鴎外全集にも収録される。
テーマは孤独な情熱、そしてそれは決して報われない。誠実に生きていても、回りがそうとは認めないある種の不条理。清張作品にはこのパターンが多い。『砂の器』の善意の塊のお巡りさん、『霧の旗』で不条理な恨みを、本来、関係のない弁護士に向ける執念のヒロイン、みんなある種の宿命に踊らされながら、決して思いが実らない人生をたくさん描いている。
実は鴎外その人も、一見、栄耀栄華をきわめ世俗的には最高位につくけれど、その心は常に晴れず、いちばん楽しかったのが中央を離れて小倉にいた時だったという。お墓の銘文に「森林太郎の墓」とだけ記載し、一切の肩書などを彫り込むことを許さなかった鴎外の人生にも、清張さんはいくぶんか同調し、のちに鴎外をテーマにした作品をいくつも手掛けている。
要するに「孤独な反逆」ということだ。社会派推理にも『わるいやつら』や『黒革の手帖』といったモダンピカレスクノベルも同じ。
それは司馬遼太郎が戦国武将や幕末維新の英雄たちを好んで扱うのに、清張さんは無名の市井人を主人公にして、それも反逆者が多いことが特徴になっている。
『日本の黒い霧』などの昭和史ものも、古代史への関心も、ほとんどが虐げられし人々、事実の発掘につとめている。
そんな書く時のスピリッツが、今、読んでもエネルギーになって伝わってくるのだと思う。清張文学と司馬文学の比較はよく話題にそんな書く時のスピリッツが、今、読んでもエネルギーになって伝わってくるのだと思う。僕は最後に残るのは清張さんだとする一派。やはり、人間の心の奥底にある何か、を見つめているもの。司馬さんお小説は無類に面白いけど、読んでいて気持ちがよくなるだけの歴史って、本物の歴史叙述? と思わないでもない。
そういう「反逆児の不条理」という観点からすると、今回の展示は少しおとなしかったかな、という感じもした。全体に平板で、清張さんのもつエネルギーのようなものは薄かったのではないか。
もちろん、それでも清張さんの世界の広大さを学ぶ点で、この展覧会は一見の価値があるというものだ。
なお、偶然だが、東京・文京区千駄木にある文京区立森鴎外記念館では、「鴎外、小倉に暮らす」展を開催していた。「少しも退屈と云ことを知らず」という鴎外自身の述懐を副題にしたもので、「日記」の実物はもちろん、小倉時代の生活を窺わせるいくつかの資料が展示されている、当然、清張さんとのからみもしっかりワンコーナーになっている。
鴎外、清張、小倉。
ふたつの文学展で時代の異なる文学者の精神の交わりを見て、興味津々であった。