日々是映画日和(122)――ミステリ映画時評
ゴールデンウィークが明け、コロナ特措法の緊急事態宣言による映画館を含む施設の利用制限が、地域によっては緩和された。しかし本稿を書いている時点で、まだほとんどの映画館は休館を続けている。新作の公開も滞り、前号紹介した『アナ』と『一度も撃ってません』も残念ながら公開延期により封切日未定、今回採り上げる中にも公開日を付記できない作品があることをお詫びしたい。いつでも映画館に足を運べる日常が、早く戻ることを祈るのみだ。
さて、単にマスマーケットとしてだけでなく、中国は映画の製作国としても注目を集めている。本欄でも『薄氷の殺人』(二〇一四年)や『迫り来る嵐』(二〇一七年)といったミステリ映画を紹介、絶賛してきたが、前者の監督ディアオ・イーナンがまたしても素晴らしい作品を撮った。中国南部の湖のほとりを舞台にした『鵞鳥湖の夜』(二〇一九年)である。
待ち合わせの場所に、妻は現れなかった。代わりにやって来た娼婦と思しきグイ・ルンメイに、フー・ゴーは前々日からの事の次第を語り始める。彼はバイクを狙う窃盗団の幹部だったが、縄張りをめぐる抗争で検問中の警官を誤って射殺し、報奨金付きで指名手配されてしまう。彼には妻子を棄てて家を出た過去があり、行政の管轄も曖昧な観光地の湖周辺に身を隠すと、義弟を通じて離別した妻との再会を果たそうとする。
ボニーMやジンギスカンのヒット曲が怪しく鳴り響く中、逃亡犯と謎めいた美女、警察や悪党たちが、追いつ追われつの四つ巴を繰り広げていく。湖面に広がる娼婦たちの白い帽子や、夜の闇に浮かぶのボート上のシーンも印象的だが、瞼に焼きつかんばかりの血まみれの光景が、中国の地方都市のくすんだ佇まいを下地に、重ね塗りされていく。そこに浮かんでは消える男の秘めた心とファム・ファタールの思惑が交錯する様は、映画に許された狂った企みに満ちている。まさに今日のフィルム・ノワールと呼ぶに相応しい一作だ。(★★★★)*近日公開
フェルディナント・フォン・シーラッハと映画といえば、「犯罪」所収の短編が原作の『犯罪「幸運」』があるが、作者初の長編を映画化した『コリーニ事件』もそれに続く成功例といえそうだ。駆け出しの弁護士エリアス・ムバレクは、初めての国選弁護人の仕事で、老実業家がホテルで殺された事件を引き受けることになった。偶然にも被害者は若き日の恩人だったことに驚くが、事件直後に逮捕されたフランコ・ネロは容疑を認めるも、それ以外は堅く口を閉ざしてしまう。さらに検察側の公訴代理人を世評の高いやり手弁護士が引受けたこともあり、新米弁護士は忽ち苦境に陥る。しかし事件には思いもよらぬ過去が秘められていた。
主人公がボクシングをやることを始め、細部の設定変更は少なくない。弁護士と実父との関係や、原作には登場しない人物、さらには新たなエピソードも追加されている。しかし、事件のホワイダニットから重要なテーマへと移行していく大きな流れに変更はなく、改変の数々も確実に物語に寄与している。例えば、子どもたちが祖父の部屋で銃を見つけるエピソードは、伏線としても機能しているし、見る者に訴えかけずにはおかない衝撃的なシーンもある。戦後のドイツに影を落とす主題を鮮明にしている点で、原作者のシーラッハもこの映画化を支持するに違いない。(★★★1/2)*六月十二日公開予定
冷戦下、東ドイツの国家保安省シュタージが秘密警察として果した悪しき役割は、ミステリや映画の世界でも度々詳らかにされてきた。ミヒャエル・ブリー・ヘルビヒ監督の『バルーン 奇蹟の脱出飛行』は、そのシュタージが作り上げた監視と密告社会の恐怖を背景にした上質のサスペンス映画といえる。一九七九年夏、西側と国境を接する町で電気技師とその親友は、手作りの熱気球による亡命を試みるが、計画に誤算があり国境を目前に不時着し、失敗に終わる。しかし家族ぐるみの堅い絆で結ばれた二人は、背後に迫るシュタージの影に怯えつつも、捲土重来の作戦に打って出る。
統計によれば、ベルリンの壁がほぼ完成をみた一九七六年から壁開放の前年までの十三年間に、五万七千人が母国からの脱出を試みたという。(そのほぼ三分の一が成功したそう)映画では国家の弾圧に屈せず、自由を希求し続ける人々の勇気ある行動が描かれていくが、主人公の長男の淡い恋心や、父親と息子が互いを思いやる姿など、印象的なサブエピソードも随所にあって、等身大の家族の物語であることにも気づかされる。一方、墜落の残骸から彼らの身元をたどるシュタージの影は刻々と彼らの背後に迫り、はち切れんばかりの緊張感が全編を覆っていく。最後がややあっけない気もするが、実話ゆえの説得力は十分に伝わってくる。(★★★)*七月十日公開予定
最後は、昨年DVDスルーでリリースされ、現在はネット配信でも手軽に観られる『ロスト・マネー 偽りの報酬』を。原題の「Widows(未亡人たち)」、仮題の「妻たちの落とし前」に較べ、ややがっかりな邦題ながら、見応えある犯罪ドラマだ。リーアム・ニーソンを参謀に四人の男たちが現金の強奪を計画するが、あえなく失敗。警官隊による銃撃と車の爆発炎上で、男たちは死体となり、現金も消えてしまう。お前の夫が盗んだ選挙資金を返せと黒人議員の弟から強請られたニーソンの妻ヴィオラ・デイヴィスは、やむなく夫の共犯者の未亡人たち、ミシェル・ロドリゲスとエリザベス・デビッキを巻き込み、現金強奪作戦を計画する。夫は、市長選での黒人議員の対抗馬コリン・ファレルの金庫をターゲットとするメモを使用人に託していたのだ。
日本での劇場公開見送りが、なんとも不思議。ある日突然に未亡人となった犯罪者の妻たちの困惑と葛藤、さらには窮地に立たされ反撃に転じる彼女たちの姿が、サスペンスフルに描かれ、終盤にかけては強奪ものの面白さも加わり加速していく。一九八〇年代英国のテレビドラマからのアダプテーションで、原案は『第一容疑者』のリンダ・ラ・プラント。(後に小説化もされている)今回の映画化では、監督スティーヴ・マックイーンとの共同で『ゴーン・ガール』のギリアン・フリンが脚本を担当している。物語には後日談もあるようなので、同じコンビでの映画化をお願いしたい。(★★★1/2)
※★は最高が四つ、公開日記載なき作品は、すでに公開済みです。