御挨拶

京極夏彦

 初春のお慶びを申し上げます。
 昨年は疫禍に翻弄された一年でした。
 人類は過去にも幾多の時疫と対峙してきたわけですが、感染拡大の規模と速度を鑑みるに、この度の新型コロナウィルス感染症の流行は古今未曾有の災厄と捉えてもあながち間違いではないと考えます。
 全地球的規模で多くの人命が失われ、さらに多くの人が病苦に苦しみ、すべての人が感染の恐怖に晒されています。医療・防疫に従事されてる方々の利他的尽力にもかかわらず、その逼迫した状況は新しい年を迎えても変わることはありません。収束に向けたシナリオは、いまだ不確定といわざるを得ないというのが正直なところでしょう。
 ただ、こうした禍害が永遠に続くことはありません。災厄は、たとえ取り払うことが叶わなかったとしても、なんらかの形で必ず終熄するものです。
 しかしそれに伴って社会の在り方、個人の行動様式が変容することは明らかです。疫禍の中で培われた諸々は、それが過ぎ去った後の文化習慣に確実に影響を及ぼします。ウィズコロナだとかアフターコロナだとかいう標語のような言葉は使いたくないところですが、どうであれ、それ以前の状態に戻ることはありません。
 また、この疫禍が(結果として)経済活動に深刻なダメージを与えたことは疑いようがありません。私たちが属する出版界もその例に漏れるものではないでしょう。昨年に関していえば、緊急事態宣言下における大型書店の休業や印刷所の営業時間短縮、中小書店の廃業など、マイナス要因も多々見られ、業界全体として捉えるなら(これまで同様)市場は減少しています。
 しかしこの減少傾向は二十年以上に亙り続いているものでもあり、疫禍のみにその原因を求めることはできないものと思われます。事実、電子書籍に限れば市場は拡大傾向にあるようです。店頭販売に依拠するところが大きい雑誌の売り上げ低迷による減収が、電子書籍の増収を上回ったということになるでしょうか。
 決して楽観視できる状況でないことは事実ですが、悲嘆にくれる必要はありませんし、また悲嘆にくれている余裕はありません。
 読書は、極めてパーソナルな行いです。それでいて、書物は個と、それ以外を接続する装置でもあります。他者と物理的に接触することなく、孤立や絶望を緩和するだけの機能を、書物は持っています。不安に満ち、分断と反知性的言説が横行する情勢下においてこそ、本は必要とされるものであるはずです。
 私たちは疫病に対しては無力です。できることといえば、できる限り優良な、そして多様なコンテンツを供給し続けることだけです。
 とはいえ、今後旧態依然とした在り方が有効でなくなることは前述の通りです。書物を「手に取って」いただくために、今日的な表現が、先進的なプレゼンテーションが、そして革新的な販売・流通のシステム構築が求められています。それは出版業界が長年抱えてきた課題でもあるわけですが、この度の大いなる厄難はその課題の輪郭をより明確にする契機となったのではないでしょうか。
 また、出版業界においても例外なくリモートワークが定番化しつつあります。メリットは非常に大きいですが、当然デメリットもあります。昨今、コミュニケーション不全が原因となる版元と著者(編集者と作家)とのトラブルが頻出しているという印象があります。きちんとした意思疎通ができていれば防げていたと思われる事例も多く見かけます。
 両者は、発注者と受注者という以前に、目的を一にしたチームであるはずです。立場は対等であり、いずれかが優位であるなどということはあってはならないはずです。したがってビジネスライクに割り切るのであれば、事前に書面などによる微細な契約を交わしておくべきでしょうし、そうでないならば、双方が納得できるだけの十分な意見交換がなされるべきでしょう。
 文言が額面通りに通じないということは、私たちは誰よりもよく知っているはずです。瑣末な行き違いでも関係性が破綻することは十分にあり得ることです。かけがえのないビジネスパートナーを失うことは、経済的な不利益を生むだけではなく、出版文化全体の不幸ともなります。
 くりかえしますが、今は優れた作品を生み出し、広く供給して行くために一丸となって活動すべき時と考えます。
 会員諸氏および賛助会員におかれましては、このような状況下だからこそあえて「密」な意思疎通をしていただけるようお願いいたします。情報交換はどれだけ「密」にしようとも、決して感染いたしません。
 日本推理作家協会は、本年もより良い局面を創り出す一助となるべく、微力ではありますが、しかしながら全力で活動を続けて行く所存であります。
 ご理解と、ご協力のほどをお願い申し上げます。