薔薇の播種

竹上晶

 二十七年前の十二月十日、奇しくも『虚無への供物』開幕の同じ月日、同じ曜日に中井英夫は永遠の眠りについた。台東区の法昌寺にて、歌人でもある導師・福島泰樹のもと、友人葬が行われた。一九九七年には同寺に「虚無への供物 中井英夫供養塔」が建てられ、今でも、時折その塔に中井が愛した薔薇が捧げられるという。
 一九九五年に中井家の墓がある山口市の正福寺に納骨されて以来、四半世紀振りに法昌寺に、何より生まれ故郷である東京に中井英夫が帰ってきた。冬はまだこれからだというのに、数輪開花させたずいぶんと気の早い寒桜が、門前で出迎えてくれた。
 朝方は折りたたみ傘が必要かと思われた薄曇りの空の下、最後の助手を務めた本多正一は骨壷を鞄に入れ、中井の生まれ育った田端を散策してから法昌寺へ来た。それまでも数日にわけて、武蔵小金井、多磨霊園で中井のパートナーだった田中貞夫の墓参り、そして中井の愛した羽根木と、中井の所縁の地を骨壷と共に巡ってきたという。
 曇り空から晴れ間が見えた午後三時、法事が本堂にて行われた。中井の係累の方や、日本推理作家協会、日本文藝家協会からも、また中井が短歌雑誌の編集長時代に見いだした歌人、中城ふみ子の孫などの関係者、そして中井ファン含め、二十人ほどが集まった。
 仏前にはワイン、赤と黄色の薔薇が供物として捧げられた。福島の荘厳な読経が堂内に朗々と響き渡る。お経に続いて、福島の著書『追憶の風景』から中井の死を悼んだ「薔薇色の骨 中井英夫」が朗読され、福島自身の中井への想いも語られた。
 後にとある参加者が「こう言ってはなんだが、楽しかった」と洩らしてくれた。十七回忌以来の今回の法要は、いうならば中井の帰京を「祝う会」である。羽根木の家の薔薇園でよく宴を催した中井なら、その率直な感想を喜んでくれただろうか。参列者のそれぞれの中井への想いが響き合うような黒鳥忌であった。
 東京の地に舞い戻ったこの薔薇の種は、春を待たずして馥郁たる香りを放ち始め、この世のものとは思われぬ暗い輝きに満ちた薔薇を永遠に咲かせ続けるだろう。
(文中敬称略)
法昌寺
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