日々是映画日和

日々是映画日和(151)――ミステリ映画時評

三橋曉

 邦題に吸い寄せられるように観た『逆転のトライアングル』だけど、残念ながらミステリ映画ではなかった。(ちなみに原題は『悲しきトライアングル』)モデル同士で、女は人気者のインフルエンサーだが、男の方は仕事探しに汲々とする収入格差のある美男美女のカップル。招待を受けたセレブでリッチな豪華客船の旅で、思わぬ椿事に巻き込まれる。男女の違いや貧富の差に由来する不条理の数々を意地悪く深掘りした、毒のあるユーモア満載の愉快な作品で、監督は「フレンチアルプスで起きたこと」のリューベン・オストルンド。あっと驚くサプライズ・エンディングもありますよ。

 さて、池井戸潤の同題小説は既にドラマ化されているが、今回の映画版『シャイロックの子供たち』には、脚本協力に作者自らが名を連ね、原作の佇まいを残したまま、物語の骨格から細部に至るまでに大鉈をふるっている。大手銀行の小さな支店は、成績不振に喘いでいた。支店長(柳葉敏郎)はやり手の営業マン滝野(佐藤隆太)が担当する大型融資を承認するが、借主の石本(橋爪功)はほどなく姿を消す。一方、支店内で百万円が紛失するという事件が発生し、行員たちの間に不信感が広がっていた。課長代理の西木(阿部サダヲ)は機転をきかせ、部下の北川(上戸彩)の濡れ衣を晴らすが、二つの事件は深いところで繋がっていた。
 脚本化の課題は、途中から主人公不在となる物語をどう映画向きに改変するかにあったと思うが、そういう意味では十分に成功しており、西木という主人公の誠実さを大切にする生き方が印象に残る。また、検査部から派遣される黒田(佐々木蔵之介)の過去と現在の対比も効果的にテーマに反映され、鮮やかに物語をしめくくる。群像劇としても見応えがあるし、小説の方を先に読んでいても、二度楽しめる作りになっているのもいい。(★★★1/2)*2月17日公開

 熊切和嘉監督の『#マンホール』は、100分弱のほとんどが、マンホールと思しき穴の底で展開する。明日が結婚式という晩のこと、職場の仲間たちが催してくれたサプライズ・パーティも無事に終わり、お酒も入っていい気分になった主人公の川村(中島裕翔)は、夜中になぜかマンホールの底で目が覚める。酔って転落したのか、足には裂傷まで負っていた。梯子段は途中で朽ちており、地上への自力脱出は不可能。スマホから心当たりに電話しても、繋がったのは五年前に別れた元カノだけで、警察も頼りにならない。間もなく雨も降り始め、さらには壁から染み出す廃液が泡となり穴に満ち、窒息寸前になるが。
 次々災厄に見舞われる前半だが、面白くなるのは、〈マンホール女〉のアカウントを即席で作った主人公が、SNSを通じてネット民たちに助けを求める展開だ。GPSの故障で手詰まりの主人公にさまざまな情報が届けられるが、やがて意外な事実を自らが発見する。そこからの畳みかけたるや実に見事で、待ち受けるサプライズにも心底驚かされる。ただ惜しいのは、意外な事実に至るディテールに不足があるところだ。拙速気味の脚本がなんとも惜しまれる。(★★1/2)*2月10日公開

 子どもの頃からのメグレ・シリーズを愛読していたと語り、シムノン原作の『仕立て屋の恋』を監督したこともあるパトリス・ルコントが、やっと辿り着いたともいえるのが『メグレと若い女の死』だろう。モンマルトルの広場で血に染まり豪華なドレスをまとった女性の死体が見つかる。しかし目撃者もいなければ、手がかりもなく、身元は分からない。事件を担当するメグレは、司法解剖の結果やドレスの出所をたどり、地道な捜査を開始すると、被害者の実像と事件の真相に迫っていく。
 すべてを圧するほどの存在感を放つ巨漢ジェラール・ドパルデューに尽きると言いたくなるほどのメグレ像が見事だ。メグレは原作でも体重百キロの体躯の持ち主だが、部下との接し方や家庭での妻とのやりとりなど、ルコントは自分なりの原典解釈で細やかに人物像を造形している点が好ましい。真相はやや拍子抜けながら、そもそもメグレ式捜査法を描いた作品なので、あの手この手を使って被害者像を掘り起こしていくメグレを丹念に追っていく作りは満足できるし、大いに評価もしたい。映画公開に併せて新訳版が刊行されるそうなので、併せて楽しめそうだ。(★★★1/2)*3月17日公開

『ドニー・ダーコ』の通行人役がスクリーン・デビューというフラン・クランツの初監督・脚本作である『対峙』は、田舎町の教会に二組の夫婦がやってくるところから始まる。沈鬱な面持ちの四人は既知の間柄だが、他人行儀に家族らの近況をぎこちなく尋ね合う。やがて、亡くなったそれぞれの息子に話が及ぶと、にわかに言葉のやりとりは感情的となり、緊張感が一気に高まっていく。彼らは、六年前にある高校で起きた銃乱射事件で亡くなった者たちの親同士だったのだ。
 予告編で明かされているのでネタばらしにはならないと思うが、二組の夫婦は被害者生徒と自らも命を断った加害者生徒の親たちなのである。セラピストの仲介で行われたこの顔合わせは、加害者側の責任を追求しないという誓約のもとで行われたものだが、息子の死を受け入れられない被害者家族は、なぜ悲劇を回避できなかったかという加害者側の責任を問いかけずにはおれない。そんな白熱のやりとりを演じる四人のうち、被害者の母を演じるマーサ・プリンプトンはキース・キャラダインの娘で、彼女を含む三人が舞台経験豊富な俳優ということもあり、テンションの高いセリフと演技の応酬が見どころだ。難問にきちんと答えを出し、その後に余韻も残す脚本の素晴らしさとも相まって、上質の舞台劇のカタルシスを味わえる。(★★★1/2)*2月10日公開

※★は最高が四つです。