日々是映画日和(170)――ミステリ映画時評
英国が最後の植民地を手放した香港の主権譲渡は、二十世紀の終焉を象徴する出来事だったが、一国二制度が中国共産党の口約束に終わり、彼の地の映画を熱烈に支持してきた日本のファンの心を不安感で満たし続けている。しかし今月公開予定の二本、九龍城の覇権争いでルイス・クーとサモ・ハンが火花を散らす『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』(1月17日公開)と、金融犯罪をめぐり詐欺師のトニー・レオンと捜査官のアンディ・ラウが執念の攻防を繰り広げる『ゴールドフィンガー 巨大金融詐欺事件』(1月24日公開)には、期待を募らせている向きも多いだろう。超豪華スターの饗宴もさることながら、庶民の生活が活気に満ち、世界経済の重要な拠点でもあった前世紀後半の香港を背景に収め、その黄昏をも視野に捉えている点で、見逃すことのできない二作品だと思う。
さて、愛娘をカルト教団に奪われた父親の決死の奪還行を描いたデビュー作でボストン・テランが日本の読者の前に登場してから早や二十年以上が経つが、なぜか今頃になって、その『神は銃弾』が映画化されたというニュースが作者の母国アメリカから届いたのが昨年。いささかの驚きと不安を抱きながら、日本公開を待っていたミステリ・ファンは多いだろう。
保安官事務所の仕事を投げうち、娘のギャビを連れ去ったカルト教団〈左手の小径〉を追跡しようとする主人公ボブ(ニコライ・コスター=ワルドー)の前に、同じ一行に拐われ、連れ回された壮絶な過去を持つ女性ケース(マイカ・モンロー)が現れる。同情と復讐心からの助力を申し出るが、心の内には悪魔のような教祖への執着心も残っていた。それぞれの苦しみを抱え、二人は教団の出没する砂漠地帯に乗り込んでいくが。
自身も娘を誘拐された経験があるという監督のニック・カサヴェテスだが、父親の苦悩にヒロインの憑かれたような行動力が加わり、物語は悪魔的な世界に踏み入っていく。カルト集団の脅威も、四半世紀近くの時の流れで形が変わり、やや古びた印象を与える箇所もありながら、原作の空気を忠実に映像化した作品として完成度は高い。ただ、二時間半という尺の大きな部分を占める主人公らの魂の彷徨と重なり合う追跡劇の部分が、好みを分けるかもしれない。砂漠の賢者といった趣きの主人公らと教団の間に立つジェイミー・フォックスが、物語の道標の役を果たしている。(★★★1/2)*12月27日公開
少し前に亀梨和也主演でドラマ(WOWOW)になった染井為人の原作が、今度は映画化された。主人公の死刑囚を横浜流星が演じる『正体』は、伊坂幸太郎や島田荘司の作品も映画化している藤井道人の監督作だ。
埼玉の郊外で起きた一家惨殺事件の犯人として極刑判決を受けた鏑木が脱走した。捜査一課の又貫(山田孝之)は、上司の命令で彼を犯人と決めつける取り調べを行ったことが、心の隅で蟠っていた。大阪の工事現場や東京の出版社、水産工場などを別人として転々としながら、捜査が及ぶ寸前に姿を消す彼には、実はある目的があった。
ネタバレではないと思うので書いてしまうが、テーマは冤罪。原作のオムニバス風の趣向を脚本にするのは骨だったに違いないが、鏑木の良き理解者である編集者(吉岡里帆)と弁護士(田中哲司)を血縁で結びつけたことが奏功し、いいドラマの流れを作り出している。ただ改変点でいえば、原作と異なる結末は観客の気持ちを慮ってかもしれぬが、小説の方がテーマと呼応し合っていたと思う。先の袴田事件再審の際も、判決が翻ってもなお過ちを認めようとしない検事総長の発言などを見るにつけ、映画の結末は現実の厳しさを十分に反映できていないのではないか。あくまで個人的な意見ではあるが。(★★★)*11月29日公開
SNS文化は、ネットを通じて不特定多数から盲目的な支持を集め、社会に影響を及ぼすインフルエンサーという存在を生んだが、『#彼女が死んだ』に登場するハン・ソラ(シン・ヘソン)もそんな一人だ。
ストーカー癖のある困った不動産仲介業者のク・ジョンテ(ピョン・ヨハン)は、コンビニのイートインで他人のスマホを盗み見たことから、人気インフルエンサーの意外な素顔を知ってしまう。彼女のマンションの鍵を手に入れると、調子に乗って留守宅に侵入するが、ある晩、血まみれとなってソファに横たわる彼女を発見する。しかし他人を伴い再び現場に戻ると、殺人の痕跡は跡形もなく消えていた。
監督で脚本も手がけたキム・セフィは、ネット犯罪という現代社会の闇をテーマにしながら、他人の私生活を盗み見て悦にいる主人公のストーカーや、人気を集めるためなら何でもやるインフルエンサーの日常を皮肉をこめてコミカルに描いてみせる。デビュー作とは思えないソフィスティケートされた作風だが、死体消失の折り返し点で物語が転調すると、そこに強力班の女性刑事(イエル)が加わり、不可解な事件の謎解きが始まる。ミステリ映画の収穫が多かった本年の韓国映画勢の中でも遜色ない一本といえる。(★★★1/2)*1月10日公開
※★は四つが最高点
というわけで、例によって昨年のベストを。今年もいいミステリ映画と出会えますように。(順不同、★は配信オンリー)
「ゴールド・ボーイ」
「瞳をとじて」
「ビニールハウス」
「貴公子」
「無名」
「あんのこと」
「スリープ」
「密輸1970」
「ラストマイル」
「あの人が消えた」
「ベイビーわるきゅーれナイスデイズ」
「黙する者が生きし場所」★
「ウルフズ」★
「#彼女が死んだ」