地平線・水平線・海岸線
この三つとも時代劇では頻出する言葉である。ところが、実は全て明治時代の造語で、時代劇に使うと、正確には考証ミスになる単語なのだ。
まず、海岸線は「陸と海との境界の線」の意味だが、明治二十七年十月二十一日刊の東京朝日新聞に「支那及朝鮮に接する露国の境界及ポシウェット湾よりアヤンに至る海岸線を巡視し」と出てくるのが初出らしい。
その後は「海岸に沿って設けられた鉄道」の意味で使われており、岩野泡鳴が明治四十四年に発表した『断橋』に「然し、かの女はどの列車で上野を出たらうと調べて見ると、電報を出したと同時に乘れば、米澤、山形まはりのである。まさか、それには乗るまい、夜中の海岸線であらう」と出てくる。
それでは、時代劇に使うのは何が正解かというと、「汀(みぎわ)」になる。これは承平四年(九三四)頃に勤子内親王(醍醐天皇の皇女)の下命により、源順が撰上した漢和辞典の『和名類聚抄』に「汀。唐韻云汀。和名美岐波。水際平沙也」と出てくる。ここにあるように「汀」は「水際」の意味である。
次が、地平線。これは明治六年に田中義廉が小学読本(小学校の教科書)の中で書いた造語で「もし正直なる棒を、水面に浮めるときは、此棒の位置は、即ち地平線の向きなり」と出てくる。
水平線は明治三十六年に永井荷風が発表した『夢の女』に出てくる造語で「然し猶判別する事の出来る遠い水平線の上には」と出てくる。
では、時代劇に使うのは何が正解かというと、「空際」か「天際」である。
「空際」は中国の元の詩人の范梈の造語で「奉同元學士以落月滿屋梁猶疑照顏色為韻賦贈鄧提舉之官江浙一首」と題した詩に「青天青如石、星辰何磊落。適見北斗高、忽複滯郊郭。感此流電驚、行邁孰為樂。況値杪秋令、清商動涼幕。芳燕候朋親、驅車背河朔。登高望四野、下田畢新獲。於時不同賞、惆悵睇雲岳。古人有云然、末契重交托。托契自有初、相晞在結發。請持交龍鏡、比似空際月」と出てくる。
もっと古い言葉は「天際」で、これは「詩聖」と謳われた杜甫が詠んだ五言律詩に次のように出てくる。
天際秋雲薄
從西萬裡風
今朝好晴景
久雨不妨農
塞柳行疏翠
山梨結小紅
胡笳樓上發
一雁入高空
また、「詩仙」と謳われた李白も「黄鶴楼にて孟浩然を送る」と題する七言絶句で、次のように詠んでいる。
故人西辞黄鶴楼
煙花三月下揚州
孤帆遠影碧空尽
唯見長江天際流
つまり、平安時代が舞台の時代劇に使うのなら、「天際」しかないことになる。
「海」繋がりで「瀬戸内海」に行こう。
「瀬戸内海」も時代劇には頻出する(奈良時代が舞台の時代劇にも見られた)が、この名称は、江戸時代の後期の安政六年(一八五九)になってからである。
徳川幕府の記録に「英国軍艦「十月十二日入津」一艘、長崎より瀬戸内海を通航して神奈川に向ふ。是日、下関(長門国豊浦郡)に繋留す。九日出帆」とあるのが、初出のようだ(東京大学史料編纂所のデータベースによる)。それまでは、大坂(「大阪」の表記は明治維新以降)側から順番に、和泉灘、播磨灘、備後灘、水島灘、安芸灘、燧灘……で、時代考証に正確を期するのであれば、「瀬戸内海」は使えない。
それまでの時代の「瀬戸」には、「海峡」の意味しかない。「瀬戸」は「西渡」の表記で日本書紀に、「迫門」の表記で万葉集に出て来る。
日本書紀では「阿磨佐箇屢 避奈菟謎廼 以和多邏素西渡 以嗣箇播箇柁輔智 箇多輔智爾 阿彌播利和柁嗣 妹慮豫嗣爾 豫嗣豫利據禰 以嗣箇播箇柁輔智」で、万葉集の長田王の歌は、「隼人乃 薩麻乃迫門乎 雲居奈須 遠毛吾者 今日見鶴鴨」である。「迫門」は、平安時代に付けられた注釈では「瀬戸」の表記となっている。
なお、「海峡」は文政九年(一八二六)に青地林宗が、ドイツ人ヒュブナーの書のオランダ語訳『一般地理学(Alegmeen Geographie)』を更に日本語に翻訳抄訳した『輿地誌略』での造語なので、これまた、大半の時代劇では使えない。